僕はびわ湖のカイツブリ

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“男のためのガーデニング”改め

御朱印蒐集~彦根市 普渡山 済福寺

2017-04-01 18:25:25 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 黄檗宗(おうばくしゅう)は日本禅宗三派の一つですが、臨済宗(栄西)・曹洞宗(道元)などの鎌倉時代に始まった禅宗とは違って、日本では江戸時代に伝わり・始まった禅宗の宗派とされています。
1654年に中国臨済宗の僧(隠元禅師)によってもたらされ、隠元師が臨済宗の正式な法系の僧であったことから「臨済正宗」と呼ばれ、黄檗宗の本山である萬福寺(京都府宇治市)は15あるとされる臨済宗の各派の本山の一つとなっています。

彦根市にある黄檗宗の済福寺は400年前の大阪城落城の際の戦没者供養のため、彦根藩四代目藩主 直興の寄進により建立されたと伝わることから菩提を弔うための寺院という印象を受けますが、外観は一般的な禅宗の寺院というよりも中国明朝の影響を感じさせ、他の寺院ではあまり見慣れない雰囲気があります。



三門は中国風の雰囲気が漂う造りになっており、手前の石碑には「不許葷酒入山門」(不浄なものや心をみだすものは寺門内に入ることを許さない)と書かれてありました。
京都の萬福寺(黄檗宗の大本山)へは行ったことはありませんが、写真等で見ると、萬福寺の総門とここ済福寺の三門は外観が非常によく似た門になっていますね。



境内には正面に本堂、右側に観音堂が建てられており、本堂はやはり中国風の雰囲気のある建物です。
本堂の2階部分は改修時に幅を狭めたらしいのですが、そのためより中国風の建物に見えるのでしょう。



本堂の拝所には魚板(かいぱん)が吊るされており、魚板は時刻を知らせるという役割もありますが、“昼も夜も目を閉じない魚のように修行にはげめということ”という意味もあるようです。
本堂の障子に大仏様が見えていましたが鍵がかかっていましたので、隣接する住職さんの自宅のチャイムを鳴らしてお呼びしてしまいました。
なんでそんな大それたことをしてしまったかというのは、中にある彦根大仏をどうしても間近で見てみたい一念からでしたのでお許し下さい。



突然の訪問にも関わらず、ご住職夫妻には非常に丁寧な説明をしていただき感謝している次第です。
この大仏は高さ5.5㍍の「延命地蔵菩薩」で、1807年に彦根藩11代目藩主・井伊直中建立されたものとされています。



11代目藩主・直中と月舟如棹和尚(五代目住持)が同時に“京都寺町の誓願寺の柳の根元に、地蔵菩薩の御頭が埋もれているから、これを礼拝せよ”との霊夢のお告げを授かり、「安産地蔵尊」として大仏の胎内仏として祀ったとされています。
誓願寺は京都市中京区の新京極通りにある浄土宗の寺院で、丈六の阿弥陀如来像を本尊として祀る寺院です。
誓願寺に参拝した時に繁華街にありながらも、静かで落ち着いた本堂の中に安置されていた阿弥陀如来像に圧倒された記憶が残っています。


「安産地蔵尊」

胎内仏の「安産地蔵尊」は、「延命地蔵菩薩」の胸の丸い蓋を外すと、ちょうどお顔が拝めるようになっていて、開帳時の写真を見せての説明をしていただきました。
座して拝んだ視線の先に「安産地蔵尊」のお顔がきますからうまく造られているものです。



また大仏様の膝の上には厨子に納められた「子宝地蔵菩薩」が祀られており、本来お地蔵さんが左手に持っている玉の代わりに赤ん坊を抱いておられます。
この三躰の地蔵菩薩によって「安産・子安・延命」が叶い、お地蔵さまの「抜苦与楽」のご利益を与えて下さるとされます。



大仏様の裏側へ廻ってみると、大仏様の背後の地下部分に納骨堂があり、ここにも地蔵菩薩が祀られています。
ここで地元で墓参りや供養が出来ない状況になっている方の永代供養をされているそうです。
文字が刻まれていましたが内容は不明。この右下に納骨堂があります。

“ここは地下なので夏でも涼しいんですよ”と取りようによってはちょっと背筋がヒンヤリする話も少々...。
位牌や骨壷が並べられている場所ですから早く立ち去りたくなりましたけどね。



延命地蔵菩薩の上部左右には地蔵菩薩の脇侍である掌善・掌悪の像が安置されています。
時代は大仏様より新しいようですが、『延命地蔵菩薩経』に書かれた経を見せてもらいながら説明していただくことが出来ました。


掌善

 
掌悪

本堂の左右の壁には18羅漢像が祀られていますが、一般的には16羅漢というお釈迦様の弟子で優れた16人の弟子の像を祀ることが多いかと思います。
済福寺の本山である萬福寺の18羅漢には「慶友尊者(けいゆうそんじゃ)」「賓頭廬尊者(びんずるそんじゃ)」が加わっているとされますのでその影響からということなのでしょう。





堂内には他にも仏像が安置されていて、開山者である「大虚道清和尚坐像」がありました。
また「虚空蔵菩薩」と「「釈迦牟尼仏」が祀られており、大仏様以外にも仏像の多い寺院です。

写真左の虚空蔵菩薩は、講で廻っていた仏像か?どこかの寺院の仏像を預かったままその寺が無住になってしまったのか?今ではよく分らないとのことでした。
しかし厨子の中の虚空蔵菩薩の足元には“岩窟のような造作に苔の花のようなもの”が見られますので、それなりの由緒はあるものではないでしょうか。



写真の左に祀られていいるのは「釈迦牟尼仏」ですが、この仏像は開山時には御本尊として祀られていたものが、大仏建立にあたって後方に下げられたということだそうです。
仏像の光背や台座はキンキラして新しそうですが、仏像は開山時の本尊ですから江戸時代初期の作と考えられます。

境内には観音堂があり、中には千手観音が祀られているとのことでしたが、ガラス越しでよく見えなかったため、こちらは参拝のみ。
西国三十三ヶ所の観音さんと一緒に祀られているようですから、真言宗との関係もありそうです。



黄檗宗の寺院は中国・明の影響があってお経を唱える時に中国語読みで唱えることがあるそうです。
経典を見せてもらいながら「般若心経」の中国語読みを聞かせてもらったのですが、随分発音が違うように聞こえます。
日本では南無阿弥陀仏を“ナムアミダブツ”と読みますが、中国語では“ナムオミトフ”と読むそうです。寺院巡礼のたびに新しい発見がありますね。


コメント
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