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東草野の山村「甲賀~吉槻」~与九郎滝と姉川ダム

2021-06-17 06:03:15 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 伊吹山系の最奥、姉川の源流部に「東草野」と呼ばれる「甲津原」「曲谷」「甲賀」「吉槻」の4つの集落があり、「東草野の山村景観」として日本遺産に指定されています。
有数の豪雪地帯でもある東草野の4集落は、農業・林業・炭焼きなどが主要産業かと思いきや、それぞれ独特の副業が発達しており、峠を通じて北陸や美濃との交流が盛んだったとされます。

集落ごとの産業としては、「甲津原の麻織」「曲谷の石臼」「甲賀の竹刀」などがあったといい、同じような谷あいの集落にありながらも、その地の特色を生かしたものが多かったようです。
最奥から順に「甲津原」集落と「曲谷」集落を巡ってきましたが、引き続き巡った「甲賀」「吉槻」についての云々です。



「甲賀」集落は、農業が中心だった一方で、養蚕・炭焼き・大工などの生業が営まれていたといい、かつては生産した炭を国友の鉄砲鍛冶へ納めていたとの伝承があるようです。
地域を支えた伝統産業の「竹刀製造」は、大正時代に池田九右ヱ門とその子の政太郎が京都深草で修行して技術を伝えたといいます。

竹刀の需要は昭和30年以降に激増して、昭和40年代に最盛期を迎えたものの、餡かな機械製や輸入品が出回り始め、職人技で作る竹刀は衰退していったとされます。
おそらく衰退期にあたる時代には交通機関が発達して、竹刀製造職人としてよりも勤め人になった方が収入が安定したこともあるように思います。

東草野で滝といえば曲谷の「五色の滝」ということになりますが、山歩きが必要になる。
甲賀にある「与九郎滝」は、駐車場から歩いて数分ということもあり、何年振りかで「与九郎滝」へと向かいました。



甲賀集落へは、江戸時代に彦根藩や小室藩(旧浅井軍、小堀遠州が藩祖)からお殿様が訪れることがあり、ご馳走をふるまったといいます。
村の与九郎さんという魚捕りの名人はイワナなどを捕まえてもてなしたとされており、その与九郎さんがよく魚を捕った場所だったことから「与九郎滝」と呼ばれるようになったとされています。



駐車場からパイプの橋を渡った後、滑りやすい急斜面の山道を降りていかないといけないのが難点ですが、ロープが張られているため大きな問題はない。
滝つぼは池につながっており、なんとも癒される場所とはいえ、滅多に訪れる人がいないような感じもします。

落差は10mくらいでしょうか。けっして大きな滝ではありませんが、見応えのする滝です。
幹がグニャリと曲がって上方に伸びているスギともマッチして、滝を垣間見る感も好きです。



「与九郎滝」は下まで降りると、滝の正面からも横からも眺めることは出来ますが、上段の滝は下からは見えません。
少し山道を登り返したところから上段の滝が何とか見え、上段の滝の滝つぼから下へと滝が続いているのが分かります。



さて、道草がてら次は姉川ダムへ立ち寄ります。
姉川ダムの提高80.5mは、滋賀県内のダムとしては既設の中で最も堤高が高いとされており、堤長225mとある。



この辺りには過去に何度か訪れたことがありましたが、この辺りにはクマの目撃例があるそうで、山中への立ち入りは危険です!の注意書きがあります。
ほとんど車も通りませんし、いかにもクマの居そうな山系ではありますが、さずがに山へ入ろうと思えるような山でもない。



せっかくなのでダムの上を歩いて下を見下ろしてみることに。
80mの高さって単純計算ではビルの24階前後かと思いますが、落ちることはないと分かっていても足がすくんで怖い。



さて、反対側を見てみるとダムに堰建てられて広がるのは「白龍湖」という貯水池。
白龍湖にまつわる民話では、一人の若者に恋した姉妹が、お互いの幸を願って山の池に身を投げたとする龍池の話が伝わるという。
水を龍に見立てて祀るのは、洪水の危険や渇水による飢餓を怖れから水神である龍に守って欲しいとの願いなのかもしれません。





姉川ダムからもとの県道に戻って姉川を下流に向かうと、東草野地区の最後の集落である「吉槻」集落に入ります。
吉槻集落は、東草野における近江と美濃を結ぶ交通の要衝であったとされ、七曲峠は長浜市の旧浅井町に通じているようです。
吉槻から七曲峠へ抜ける峠道が鍛治屋町へと続くということは、伊吹山へ続く姉川沿いの村と金糞岳に続く草野川沿いの村が通じているということ。これには少々驚きました。



吉槻集落への入口を示す看板があり、字はほとんど消えているものの「桂と石仏の里-ここは吉槻です-」と書かれている。
「石仏の里」と名が付くのは、石造物の多さからだといい、過去に東草野中学校の生徒が三百体まで確認したことがあったといいます。



集落内を歩くと確かに石仏があちこちに祀られていますが、これらは墓標として集落縁辺部の墓地にあったものが、移動されて集落全体に拡散したとされます。
この石造物の多さは、中世末から近世にかけて吉槻が交通の要衝として栄えていたことを示すものともされます。





石仏は祠に納められているものもありますが、野に置かれているものもある。
東草野の県道沿いに祠が祀られているのを数カ所目にしますが、集落のあちこちに石仏があるというのもある意味不思議な光景です。



「桂と石仏の里」と呼ばれる吉槻のもう一つの魅力は「吉槻のカツラ」と呼ばれる樹齢1000年とされるカツラの巨樹でしょうか。
姉川に通じる急坂の斜面に踏みとどまるように立っています。



幹周8.1m、樹高16mのカツラは何本もの株立ちで若葉の緑も美しい。
今年の3月にも吉槻のカツラを見にきましたが、やはりまだ寒い時期のカツラと暖かくなってからのカツラとでは随分と異なった印象を受けます。



最後に吉槻集落の風景です。
畑仕事をされる方の姿も見える長閑な山村です。
道路によって秘境の地ではなくなった東草野地域ですが、まだかつての山里の風景や遺産が多く残されていることが分かります。





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