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この中で、これまでに当方が訪れたことのある寺院・観音堂は19所。
満願するのはまだ先の事になりますが、そもそも開帳される寺院・観音堂が毎年同じとは限らないので目安程度ということになります。
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高月町雨森というと江戸中期に活躍した儒学者の雨森芳洲の生誕地になります。
芳洲は対馬藩に仕え、朝鮮との外交にあたった方といわれますから、さしずめ外務省のエリート官僚か外交官といったところでしょうか。
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近年に造られたように新しい感じのする太鼓橋を渡ると、奥に観音寺が見えてきます。
観音寺はじゃつて己高山(923m)の山頂近くに建立されていたといわれますが、資料のほとんどは消滅しているため、詳しいことは分かってはいないようです。
しかし、その「己高山観音寺」と山号・寺名が同じことから何らかのつながりがあるのでは?とされています。
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当時の己高山観音寺は比叡山延暦寺の影響を受けており、七堂伽藍を有する寺院であったのではともされていますが、姉川の合戦で天台宗に激しい敵意を持つ織田信長によって灰塵と化したようです。
その後、里人により再建を果たしたものの、明治12年に火災によって焼失したとされます。
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観音様を尊ぶ村人は火災の翌年には比叡山に参って「十一面千手観音」「毘沙門天」「不動明王」の三尊を賜り、再建を進めて明治14年に無事落慶を迎えたようです。
村の方の観音様に対する信仰心の深さがよく伝わる話だと思います。
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堂の正面の厨子には「十一面千手観音立像」が安置されてあり、まず目を引きます。
観音寺の十一面千手観音は寄せ木造りで像高は27cm。
この仏像は清水式千手観音と呼ばれる様式をとっているといわれますが、確かに清水寺のお前立ちと雰囲気がよく似ています。
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比叡山延暦寺と清水寺の関係は不明ですが、“観音菩薩・毘沙門天・不動明王”が三尊となる組み合わせは天台宗の影響と思われます。
御本尊は小ぶりな「十一面千手観音立像」ではありますが、興味深い仏像だと思います。
脇侍の2尊は、御本尊の右側にある厨子は「毘沙門天像」、ご本尊の左側の厨子には「不動明王立像」が安置されています。
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御本尊の厨子以外は厨子に装飾はありませんが、神棚の如くきちんとお祀りされているのが分かりますね。
堂内には他にも「薬師如来像」「弁財天」など多数の仏像が祀られています。
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念持仏カードには“袋掛け観音と親しまれ、姉川の合戦の戦禍に遇い「還ってきた観音様」という昔話が残る。”とあります。
話としてはちょっと分かりにくいのですが、地元の観音様への信仰が伺われる話です。
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「念持仏カード」
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