僕はびわ湖のカイツブリ

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“男のためのガーデニング”改め

「井之口のスギ」「福田寺の蓮如松とイチョウ」~米原市の巨樹~

2021-04-16 04:55:55 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 井之口のスギ

米原市の井之口集落は姉川の南に位置する集落で大きな化学工場があるが、基本は田園が広がる農村地帯といえます。
工場を目の前にした姉川の岸の堤防下に「井之口のスギ」はあり、ひっそりと威風堂々とした姿を構えています。

集落の外れにある巨樹ですから、このスギがこの集落の野神さんかと思っていたのですが、実際はこの集落の野神さんは別の場所にあり、そこには祠が祀られているのだという。
スギの横は今は工場の建物が建っていますが、元は田圃だったのでしょうから、農作業の際の休憩場所だったのかもしれません。



スギは地上すぐに2本の幹に分岐しており、主幹が高く伸びている。
合体樹のような分かれ方で、幹周は6.7m・樹高20mで推定樹齢は300年以上だとされています。



裏側から眺めるスギは迫力がありますが、この場に巨樹がポツンとあるのには違和感もあります。
目の前には大きな工場と姉川、田園地帯の向こうには新興住宅地もある。



樹の下には折れた大きな枝が落ちている。
これが頭上から落ちてきたら大ケガをしてしまいますね。



ルッチプラザのお地蔵さん

米原市の長岡にコンサートホールや図書館・福祉センターの総合型施設「米原市民交流プラザ(ルッチプラザ)」があり、トイレ休憩に立ち寄りました。
おやっと思ったのは建物の横に祠と樹がある場所がありましたので、何やろと思い見に行きました。



長岡の野神さんはルッチプラザの裏山の中腹にあるといいますから、野神さんではありませんが、なかなかの存在感があります。
分かれ道にあってお地蔵さんを祀る祠がありますから、元は道祖神として祀られていたのかもしれません。





福田寺の蓮如松とイチョウ

米原市は平成の市町村合併により、坂田郡の山東町・伊吹町・米原町・近江町が合併して「米原市」が誕生しています。
米原市のウェブサイトには、山東町は「水に恵まれ鴨と蛍のまち」、伊吹町は「伊吹山の山麓に広がるまち」、米原町は「近畿・東海・北陸を結ぶ交通の要衝で宿場町として栄えた」とあります。

次に向かった近江町は「古代豪族息長氏の繁栄や山内一豊の妻千代など、数々の歴史が残る」とあり、長沢にある「布施山 福田寺」へと参拝しました。
福田寺は、天武天皇の勅願によって、近江の名族・息長宿祢王が645年に建立したのが起源とされます。



福田寺は法相宗の寺院として始まり、天台宗に宗旨を変えた後、鎌倉時代に浄土真宗に改められたといい、室町時代には真宗中興の祖である蓮如が3か年にわたって滞在されたと伝わります。
境内にある「蓮如松」は、蓮如が福田寺に滞在していた時にお手植えされたものと伝わり、現在は何代目かの松になるようですが、幅広く這うように枝を広げています。



織田信長と戦った元亀・天正の法難では、住職・覚芸が福田寺門徒四千五百余人と湖国十ヶ寺の総統領とし同士二万数千人を指揮して戦ったといいます。
この蓮如松の先祖はそんな戦いの様子を見てきたのかもしれません。



「蓮如松」の根元には先代か先々代か分かりませんが、かつての「蓮如松」の株が遺構のように残されています。
この福田寺は別称「長沢御坊」と呼ばれ、五本筋塀門といい御殿といい格式の高さを感じるのですが、それもそのはずで江戸時代の住職・本覚は大老・井伊直弼の従兄弟だそうです。
また本覚の後室は、摂政関白で最後の関白である二条斉敬の妹・かねこ(明治天皇の皇后の従姉妹)だといい、明治十一年には明治天皇行幸の折、福田寺に立ち寄られたとされます。



境内には「蓮如松」と共に幹周5mを越えるイチョウの巨樹もあります。
イチョウは落葉期で寂しい状態ですが、葉を茂らせる頃や紅葉の頃には見応えのある巨樹となるでしょう。



滋賀県には何でこんな所にと思うような場所に立派な神社や仏閣があり、驚かされることが多々あります。
日本海と都との交通の要所であったことや、古代から豪族が栄え、戦国時代には「近江を制するものは天下を制す」とまで言われた反面、非常に信仰の篤かった地ということになるのでしょう。



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