西山八幡神社のスギ並木
巨樹を探して主に湖北地方を巡っている間に何本ものスギに出会いましたが、大きく分けるとスギによって個性的な姿をしている樹と太く真っすぐに伸びているスギがあるようです。
米原市西山にある八幡神社には「八幡神社の杉並木」と呼ばれるスギの巨樹が10本以上林立しているといいます。
西山集落はちょうど三島池の南東にある源氏山(標高221m)の麓にあり、山を背にして八幡神社が祀られています。
八幡神社の拝殿・本殿は急な石段の上にありますが、その石段の両脇にスギの巨樹が並び、「並木道」という柔らかな言葉では表しきれない荘厳な巨樹群となっていました。
集落内は農村部によくある曲がりくねった細い道が入り組み、慣れていないと通れない道が多く、少し離れた場所に車を停めて歩いていくことにしました。
境内に入るとまずは手水舎の横に立つケヤキ?の樹に迎えられます。
驚くのは石段の横に林立するスギの見事さでしょうか。
1本1本もそれぞれサイズがあるのですが、これだけの本数が並ぶと圧倒されてしまいます。
案内板には2種類の書き方がされており、滋賀県の指定自然記念物には“幹周3m以上の大木が全部で10本、樹齢300年以上”とある。
旧山東町(今の米原市)の指定天然記念物には“17本(指定)の杉並木、樹齢400年以上”とあります。
またこの杉並木には別称として「豊公薩摩大杉」の名があり、秀吉が長浜城主の頃から武神であるこの神社を崇敬していて、後に大阪城主になってから安産祈願をしたところ秀頼が生まれたといいます。
秀吉はそのお礼として薩摩国よりスギの苗木を取り寄せて植えたと伝えられているそうです。
石段の下にあるスギには注連縄が巻かれており、この樹がこの杉並木を代表する御神木なのかと思われます。
幹周は5m弱といった感じですが、もっとも手前にあり神社の顔ともいうべき巨樹です。
スギの中でもっとも大きいのは二又のスギで幹周は6m近くありそうです。
スギの巨木が林立する神社は他にもあるとはいえ、これだけのサイズのスギが並木道のように並ぶのは見た事がありません。
八幡神社の御祭神は應神天皇で、配祀神は玉依姫命と神功皇后を祀り、創祀は延暦元年(782年)で一書には嘉禎2年(1236年)ともされている。
本殿から下り道を降りたところには「西山観音堂」があり、平安時代後期の作と伝わる「十一面観音立像(当初は聖観音といわれている)」が祀られているという。
残念ながら厨子は閉まっていたのでその姿を伺うことは出来ませんでしたが、写真で見ると穏やかな表情をされた美しい観音さまです。
石段の上から下を眺めるとまさに巨樹が林立する杉並木に圧倒される。
スギに気を取られて降りていると、急な石段に足を滑らしそうになりますね。
八幡神社には一之鳥居と二之鳥居があって、集落に面した一之鳥居から参道を歩いて行くのですが、一之鳥居の前には「天然記念物 八幡神社杉並木」の石碑がありました。
石碑には昭和13年3月と彫られてありましたが、今は米原市指定天然記念物となっているようです。
西山の欅(ケヤキ)
同じ西山集落には「西山の欅(ケヤキ)」という古木があるといいますので、集落の中を移動して向かいます。
ケヤキのある場所には祠が祀られており、一角には古墳「王街道塚古墳」の石碑が立ちます。
米原市も古墳の多い地域ですが、この王街道塚古墳については情報を得ることが出来ませんでした。
古木感の漂う西山のケヤキには、幹の中央部大きな空洞があり、痛みもありますが、落葉はしているものの上部には小枝が生えている。
幹周は7.6mで樹高11m、推定樹齢は400年といいますからかなりの古木です。
このケヤキも八幡神社の杉並木と同様に米原市指定天然記念物にしていされているといいますから、西山集落は巨樹の多い村といえます。
見る角度によって見え方は全く違い、周辺をグルグルと回って樹を眺めてみる。
巨樹の中には事情があって伐採されてしまったり、枝を伐ってしまったりされているものもありますが、残せる樹は残していって欲しいと思います。
今、新しい樹を植えても、巨樹に育つのは25世紀とかの遥か未來に可能性を残すということになりますから。
米原市には「清滝のイブキ」といい、この「西山のケヤキ」といい異形の形をした巨樹が残されています。
まだ見ぬ巨樹も多いようであり、再び米原を巡ってみたいと思います。
巨樹を探して主に湖北地方を巡っている間に何本ものスギに出会いましたが、大きく分けるとスギによって個性的な姿をしている樹と太く真っすぐに伸びているスギがあるようです。
米原市西山にある八幡神社には「八幡神社の杉並木」と呼ばれるスギの巨樹が10本以上林立しているといいます。
西山集落はちょうど三島池の南東にある源氏山(標高221m)の麓にあり、山を背にして八幡神社が祀られています。
八幡神社の拝殿・本殿は急な石段の上にありますが、その石段の両脇にスギの巨樹が並び、「並木道」という柔らかな言葉では表しきれない荘厳な巨樹群となっていました。
集落内は農村部によくある曲がりくねった細い道が入り組み、慣れていないと通れない道が多く、少し離れた場所に車を停めて歩いていくことにしました。
境内に入るとまずは手水舎の横に立つケヤキ?の樹に迎えられます。
驚くのは石段の横に林立するスギの見事さでしょうか。
1本1本もそれぞれサイズがあるのですが、これだけの本数が並ぶと圧倒されてしまいます。
案内板には2種類の書き方がされており、滋賀県の指定自然記念物には“幹周3m以上の大木が全部で10本、樹齢300年以上”とある。
旧山東町(今の米原市)の指定天然記念物には“17本(指定)の杉並木、樹齢400年以上”とあります。
またこの杉並木には別称として「豊公薩摩大杉」の名があり、秀吉が長浜城主の頃から武神であるこの神社を崇敬していて、後に大阪城主になってから安産祈願をしたところ秀頼が生まれたといいます。
秀吉はそのお礼として薩摩国よりスギの苗木を取り寄せて植えたと伝えられているそうです。
石段の下にあるスギには注連縄が巻かれており、この樹がこの杉並木を代表する御神木なのかと思われます。
幹周は5m弱といった感じですが、もっとも手前にあり神社の顔ともいうべき巨樹です。
スギの中でもっとも大きいのは二又のスギで幹周は6m近くありそうです。
スギの巨木が林立する神社は他にもあるとはいえ、これだけのサイズのスギが並木道のように並ぶのは見た事がありません。
八幡神社の御祭神は應神天皇で、配祀神は玉依姫命と神功皇后を祀り、創祀は延暦元年(782年)で一書には嘉禎2年(1236年)ともされている。
本殿から下り道を降りたところには「西山観音堂」があり、平安時代後期の作と伝わる「十一面観音立像(当初は聖観音といわれている)」が祀られているという。
残念ながら厨子は閉まっていたのでその姿を伺うことは出来ませんでしたが、写真で見ると穏やかな表情をされた美しい観音さまです。
石段の上から下を眺めるとまさに巨樹が林立する杉並木に圧倒される。
スギに気を取られて降りていると、急な石段に足を滑らしそうになりますね。
八幡神社には一之鳥居と二之鳥居があって、集落に面した一之鳥居から参道を歩いて行くのですが、一之鳥居の前には「天然記念物 八幡神社杉並木」の石碑がありました。
石碑には昭和13年3月と彫られてありましたが、今は米原市指定天然記念物となっているようです。
西山の欅(ケヤキ)
同じ西山集落には「西山の欅(ケヤキ)」という古木があるといいますので、集落の中を移動して向かいます。
ケヤキのある場所には祠が祀られており、一角には古墳「王街道塚古墳」の石碑が立ちます。
米原市も古墳の多い地域ですが、この王街道塚古墳については情報を得ることが出来ませんでした。
古木感の漂う西山のケヤキには、幹の中央部大きな空洞があり、痛みもありますが、落葉はしているものの上部には小枝が生えている。
幹周は7.6mで樹高11m、推定樹齢は400年といいますからかなりの古木です。
このケヤキも八幡神社の杉並木と同様に米原市指定天然記念物にしていされているといいますから、西山集落は巨樹の多い村といえます。
見る角度によって見え方は全く違い、周辺をグルグルと回って樹を眺めてみる。
巨樹の中には事情があって伐採されてしまったり、枝を伐ってしまったりされているものもありますが、残せる樹は残していって欲しいと思います。
今、新しい樹を植えても、巨樹に育つのは25世紀とかの遥か未來に可能性を残すということになりますから。
米原市には「清滝のイブキ」といい、この「西山のケヤキ」といい異形の形をした巨樹が残されています。
まだ見ぬ巨樹も多いようであり、再び米原を巡ってみたいと思います。
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