米原市の梓河内は霊仙山にくいこむような谷あいにある集落で、その最奥にある「神明神社」には巨樹のスギがあるといいます。
集落の端は霊仙山へとつながり、獣除けの柵で閉ざされています。
柵は2カ所あってどちらへ入るべきか悩んでいる時、運よく地元の方がおられるのを見つけて道を聞くことができました。
周辺には「クマ出没注意」の看板が何枚も掛けられていたので“クマって出ませんよね。”と聞いてみると、“クマさんは見たことない”。これは安心です。
柵の先は林業用の道となっているようで、地元の人が軽トラで山へ入られるような道。
柵を開けなくても横から入れるので入りましたが、動物というより不審者の侵入を防止するような柵になっています。
年中、獣除けの柵を越えてこういう感じの場所を歩いていますが、野鳥の羽音や水の音しかしないこういう場所は実に心地よい。
多賀もそうですが、霊仙山の周辺には神秘的でかつ霊的な場所が多いなぁと思います。
“橋を渡ったら神社だ”と聞いていましたので、すぐに場所は分かりましたが、この位置から見ても霊的な場所だと感じ取れます。
不思議に思ったのは、醒井養鱒場方向から霊仙山に向かった先の上丹生にも「神明神社」があり、梓河内から霊仙山に向かった先にも「神明神社」がある。
谷間の集落から霊仙山に向かう最奥に同じ社名の神社があるのは何か意味があるのでしょうか。
「神明神社」は同じ集落にある「八幡神社」の摂社となり、オコナイの祭事などでは両社を行き来するそうですが、「神明神社」には山の神のような雰囲気がある。
石段の横には数本の巨樹の前に巨石が舞台のように置かれ、竹で造られた鳥居には御幣が吊るされている。
「神明神社」は一般的に天照大御神を御祭神として祀り、太陽を神格化した神として農耕儀礼の結びつきが深いとされます。
ここでは霊仙山を神として祀り、巨石と巨樹を信仰の対象としており、「八幡神社」を野の神とするならば「神明神社」は山の神とするような印象が頭から離れない。
巨石と鳥居、御幣が奉じているのは御神木の前になりますが、裏側へ回り込むとその姿がよく分かります。
境内にはスギの巨樹が数本あり、もっとも太くて神木とされているスギは注連縄を巻かれた二股のスギのようです。
御神木のスギは幹周が6.7mで樹高は33m。
巨樹ぞろいの境内にあっても一際目立つ巨樹で、角度によっていろいろな表情を見せてくれます。
凄く気になったのは石段を登った先にある石でした。
座ってうつむいて本でも読むような姿をしている人?猿?なにか擬人的な雰囲気の漂う石です。
石垣の上にある本殿の周りにもスギの巨樹が数本あります。
幹周もが数メートルクラスのスギがこれだけ並ぶと迫力も神秘性も凄いとしかいえません。
本殿のすぐ前のスギもこれ以上は根元を広げられないかのように盛り上がり、石段の袖石の上に被さるようになっています。
生命感溢れるといった印象で、まさに神の依り代。「天地神明に誓って」という言葉を思い起こします。
本殿の左のスギ群を離れて見ると、石垣の上の太い根が張り、急な斜面の崖になっているにも関わらずしっかりと根を張っているのが分かります。
崖の手前には「子宝の水」という名水があり、お盆に水を汲んで仏壇に供えたり、飲むと子宝に恵まれると伝わるそうです。
神社から林道へ戻ると道はまだ先まで続いている。
林業用の道かと思いますが、この先はどうなっているのでしょうね。
獣除けの柵まで戻って、車に乗って元来た道を引き返す。
「梓河内 八幡神社」の前を通ると祭典の準備が整い、正装した村の方がぼちぼち集まりかけておられるようでした。
集落の端は霊仙山へとつながり、獣除けの柵で閉ざされています。
柵は2カ所あってどちらへ入るべきか悩んでいる時、運よく地元の方がおられるのを見つけて道を聞くことができました。
周辺には「クマ出没注意」の看板が何枚も掛けられていたので“クマって出ませんよね。”と聞いてみると、“クマさんは見たことない”。これは安心です。
柵の先は林業用の道となっているようで、地元の人が軽トラで山へ入られるような道。
柵を開けなくても横から入れるので入りましたが、動物というより不審者の侵入を防止するような柵になっています。
年中、獣除けの柵を越えてこういう感じの場所を歩いていますが、野鳥の羽音や水の音しかしないこういう場所は実に心地よい。
多賀もそうですが、霊仙山の周辺には神秘的でかつ霊的な場所が多いなぁと思います。
“橋を渡ったら神社だ”と聞いていましたので、すぐに場所は分かりましたが、この位置から見ても霊的な場所だと感じ取れます。
不思議に思ったのは、醒井養鱒場方向から霊仙山に向かった先の上丹生にも「神明神社」があり、梓河内から霊仙山に向かった先にも「神明神社」がある。
谷間の集落から霊仙山に向かう最奥に同じ社名の神社があるのは何か意味があるのでしょうか。
「神明神社」は同じ集落にある「八幡神社」の摂社となり、オコナイの祭事などでは両社を行き来するそうですが、「神明神社」には山の神のような雰囲気がある。
石段の横には数本の巨樹の前に巨石が舞台のように置かれ、竹で造られた鳥居には御幣が吊るされている。
「神明神社」は一般的に天照大御神を御祭神として祀り、太陽を神格化した神として農耕儀礼の結びつきが深いとされます。
ここでは霊仙山を神として祀り、巨石と巨樹を信仰の対象としており、「八幡神社」を野の神とするならば「神明神社」は山の神とするような印象が頭から離れない。
巨石と鳥居、御幣が奉じているのは御神木の前になりますが、裏側へ回り込むとその姿がよく分かります。
境内にはスギの巨樹が数本あり、もっとも太くて神木とされているスギは注連縄を巻かれた二股のスギのようです。
御神木のスギは幹周が6.7mで樹高は33m。
巨樹ぞろいの境内にあっても一際目立つ巨樹で、角度によっていろいろな表情を見せてくれます。
凄く気になったのは石段を登った先にある石でした。
座ってうつむいて本でも読むような姿をしている人?猿?なにか擬人的な雰囲気の漂う石です。
石垣の上にある本殿の周りにもスギの巨樹が数本あります。
幹周もが数メートルクラスのスギがこれだけ並ぶと迫力も神秘性も凄いとしかいえません。
本殿のすぐ前のスギもこれ以上は根元を広げられないかのように盛り上がり、石段の袖石の上に被さるようになっています。
生命感溢れるといった印象で、まさに神の依り代。「天地神明に誓って」という言葉を思い起こします。
本殿の左のスギ群を離れて見ると、石垣の上の太い根が張り、急な斜面の崖になっているにも関わらずしっかりと根を張っているのが分かります。
崖の手前には「子宝の水」という名水があり、お盆に水を汲んで仏壇に供えたり、飲むと子宝に恵まれると伝わるそうです。
神社から林道へ戻ると道はまだ先まで続いている。
林業用の道かと思いますが、この先はどうなっているのでしょうね。
獣除けの柵まで戻って、車に乗って元来た道を引き返す。
「梓河内 八幡神社」の前を通ると祭典の準備が整い、正装した村の方がぼちぼち集まりかけておられるようでした。
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