写真は事実をそのままに写し、絵画は画家に主観で自由に写し取ると、簡単に考えていた。どうもそう単純ではなさそうだ。
もう4年ほど前であるが、NHK教育TVの日曜美術館で写真家入江泰吉の特集を見た。写真家は、風景に関する「こうである」というあるべき景色があり、そうなるまで、霧がかかったたり、人が通ったり、望む情景なるまでじっと待つと言っていた。
考えて見れば、人物を撮るときも、その人の一瞬の表情を捕らえフィルムに写し取る。人物の場合は、写真家がモデルの人に話しかけるなどして、能動的に表情に働きかけられる点が風景を写真に撮る場合と異なる。
絵画の場合は、情景を契機として画家が受けた印象をキャンバスに写す。実際の情景と異なるものにする自由度が絵画の場合にはある。TVでも、友人の画家杉本健吉の話しが紹介され、同じ情景を入江泰吉が写真に、杉本健吉が絵画に描いた例が紹介されたが、写真では黒い壁を絵画では白い壁に描いた。杉本さんの話しでは、壁の上の影をはっきり描きたかったからとのことだった。
写真の場合はフィルターをかけたり、全体の色を変えたりはできても、全く新しいものにする自由度はない。その分写真撮影は、野外での自然の中の動物の実態撮影の場合のように、じっと何日も耐えて待ち、一瞬のシャッターチャンスを写真に固定したり、逆に普段意識されない一瞬の意外な表情を動きの中から切り取ったりできる。
もう4年ほど前であるが、NHK教育TVの日曜美術館で写真家入江泰吉の特集を見た。写真家は、風景に関する「こうである」というあるべき景色があり、そうなるまで、霧がかかったたり、人が通ったり、望む情景なるまでじっと待つと言っていた。
考えて見れば、人物を撮るときも、その人の一瞬の表情を捕らえフィルムに写し取る。人物の場合は、写真家がモデルの人に話しかけるなどして、能動的に表情に働きかけられる点が風景を写真に撮る場合と異なる。
絵画の場合は、情景を契機として画家が受けた印象をキャンバスに写す。実際の情景と異なるものにする自由度が絵画の場合にはある。TVでも、友人の画家杉本健吉の話しが紹介され、同じ情景を入江泰吉が写真に、杉本健吉が絵画に描いた例が紹介されたが、写真では黒い壁を絵画では白い壁に描いた。杉本さんの話しでは、壁の上の影をはっきり描きたかったからとのことだった。
写真の場合はフィルターをかけたり、全体の色を変えたりはできても、全く新しいものにする自由度はない。その分写真撮影は、野外での自然の中の動物の実態撮影の場合のように、じっと何日も耐えて待ち、一瞬のシャッターチャンスを写真に固定したり、逆に普段意識されない一瞬の意外な表情を動きの中から切り取ったりできる。