hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

村上春樹「若い読者のための短編小説案内」を読んで

2006年05月13日 | インポート
戦後登場した「第三の新人」の吉行淳之介、小島信夫、安岡章太郎、庄野潤三や、その前後に登場した丸谷才一、長谷川四郎の短編小説を村上春樹さんが同じ作家の視点から読み解く読書案内です。アメリカのプリンストン大学の大学院で学生達と一緒に系統的にじっくりと読みこんで、それについてみんなでディスカッションした結果をもとにしています。
何もたいしたこと起こらなかったり、わけのわからないことが起こったり、不思議で単純でない小説が多くなってきた気がします。私はそんな小説もけして嫌いではありませんが、このような小説は自然に作家の身体から湧き出してきて、感覚的に書いているのではないのかと、思っていました。この短編小説案内を読むと、作家は意識的、あるいは無意識でも、かなりいろいろ工夫して構成し、比喩を使っていることがわかります。批評家とは全く違う、村上さんの面白い分析が出ています。

内容については興味ある人は文春文庫なので読んでいただくとして、以下、前書きにあたる「僕にとっての短編小説」の部分を要約します。村上さんが率直に小説創作方法を語っていて、読者としてなかなか面白い部分です。小説を作るためには、天才の方法が一般の人に参考になるとも思えませんが。

短編は、アイデアひとつ、風景ひとつ、台詞一行が頭に浮かぶと、机に座り書き始める。プロットも構成も必要なし。頭の中にある一つの断片からどんな物語が立ち上がっていくか、その成り行きを眺め、それをそのまま文章に移し替えていけばいいわけです。たいてい数日間で終わります。
「その女から電話がかかってきたとき、僕らは台所に立ってスパゲッティーをゆでているところだった」という一行から「ねじまき鳥と火曜日の女たち」という短編を作った。5年後に大きな可能性を感じ、わくわくした特別な感覚があり、2年を経て長編小説「ねじまき鳥クロニクル」になった。
どんな作家も短編小説の傑作は十に一つか、五にひとつです。短期間に集中的に数をまとめて作ることが必要です。
20代、30代にかけて外国の小説を英語で読んでいて、日本語の小説をほとんど読まなかった。

追記
一般の人が質問・意見を出し、村上春樹さんが全部読んで、そのうち幾つかに答えるという、村上朝日堂が、6年ぶりに3ヶ月間限定復活しています。ただし、5月15日がメールの締め切りです。
作家の人をこんな形で多面的に知るのも面白いものです。それにしても村上春樹さんはクールな印象なのに、サイン会どころでなく大変な労力がかかる読者サービスをよくやりますね。
http://opendoors.asahi.com/asahido/index.html


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「正しい戦争は本当にあるのか」を読んで

2006年05月13日 | 政治
藤原帰一東大教授の「正しい戦争は本当にあるのか」(ロッキング・オン発行)を読んだ。
その意見は全体的に賛成できるものであり、以下に要約する。
蛇足だが、「お金持ちのグローバリズム、貧乏人のナショナリズム」との指摘があるが、お金持ちは国家など越えている一方、今、ナショナリズムで燃えている世界中の多くの人々が貧乏人であるとの哀しい現実がある。日本のネット右翼も格差社会に沈む若者が多いのだろうか?

1.戦争に対する考え方
(1)正戦論:悪いやつが戦争を起こす。そのような政府は戦争で取り除かねばならない。
しかし、すべての侵略に立ち向かい、好戦的国家を排除することは難しい。東チモールなどを併合したインドネシア、北朝鮮、アフリカの独裁国など数が多すぎて、結局どこかの国が倒すことに決めた敵だけが倒されるという不公平が起こる。アメリカもイラクで手一杯。

(2)非戦の論理:経済統合が戦争を防ぐという考えと、市民の政府になれば自分が死ぬのはいやだし、税金が増えるのはいやで戦争はなくなるという考え方がある。

(3)国際政治のリアリズム:戦争はあくまで力関係であり正義とは関係なく自分のために戦争する。政府は自分達の欲望や利益を最大にしようとして行動している。勢力均衡しているときが平和。相手が正しかろうと何だろうと脅して攻められないようにしておけば、それが平和である。

2.国連主体での行動
おまわりさんが持つ暴力はおまわりさんが法に縛られているから許される。一国の国益援護としての軍事行動は規制が効かない。アメリカが世界の警察官ではアメリカの利益のための戦争になり、やくざになる。国際機構による制約の下で紛争に立ち向かうしかない。
コンゴやアフガニスタンなど地域紛争には国連が本腰入れて介入すべき。そんなに金も人もかからないで大きな効果がある。アフリカの貧乏国の人はテロリストにすらなれない。

3.日本国憲法
欧米やアジアでは日本の平和主義などなにも知らない。日本の軍事行動をおさえるものが日本国憲法と日米安保条約と考えられている。連合国はデモクラシーを守るために戦ったのだと考えられている。これがグローバル・スタンダード。
ブッシュが電話してきたから、攻め込まれるわけでもないのに、国連からの要請でもないのに、イラクに軍隊を送るのはおかしい。現憲法の枠組みをはずしたら、もっとおかしなことをやりだす。安保に反対しないし憲法も変えないというのが国民の多数。

4.その他
北朝鮮のように悪い国は内側から倒すのが望ましいし、いずれ倒れる。
お金持ちのグローバリズム、貧乏人のナショナリズム:グローバリゼーションは裸の資本主義だから、市場と競争が第一で富の再配分とか福祉とかは余分。セーフティ・ネットが奪われてしまう。
以上
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シェイクスピア作「タイタス・アンドロニカス」を観る

2006年05月08日 | その他
シェイクスピア作「タイタス・アンドロニカス」を観る

俳優の友人が出演するので、遠路はるばる彩の国さいたま芸術劇場まで行って、蜷川幸雄演出によるシェイクスピア作「タイタス・アンドロニカス」を観た。シェイクスピア全作品中最も悲惨といわれる初期の作品だ。この劇は、シェイクスピア生誕の地Stratford-upon-Avonでシェイクスピア全37作品を1年間で上演しようという世界初の「シェイクスピア・フェスティバル」に正式に招待を受けている。

久しぶりの(小学校の学芸会以来?)芝居見物だが、やはりすばらしい。TVで見る芝居とは別物で、まったく違っていて華がある。出演者はほとんどの場合、観客席の通路から登場するのも臨場感がある。俳優も女優も声が良く通り、キビキビした動きだ。服装も、持ち物もデザインが良く、少しもチャチな感じがしない。慣れない私にとっては日常会話にない翻訳口調、シェイクスピアらしい高度な言い回しが気になったが、それも最初だけだった。場内はほぼ満席で、関東地区での最終公演日であったためもあろうが、カーテンコールが数回続いた。

それにしても、悲惨な復讐劇を書いたものだ。なにしろ、冒頭から復讐の繰り返しで、途中つぎつぎに8人、最後に5人が殺され、生き残る人がほとんどいないというすさまじさ。しかし、そこはニナガワ演出、ほとばしる血を赤い糸できれいに見せ、白で統一した舞台も簡素で美しい。最後も原作にない、わずかだが希望を感じさせる演出になっている。

終演後、楽屋へ寄った(麻実れいの素顔を拝めた)。今後は富山、大阪、新潟と6月4日まで公演した後、6月16日からStratford-upon-Avonのロイヤル・シェイクスピア・シアターでの公演となるとの話で、友人もはりきっていた。

帰りは、興奮のせいかいつになく750円奮発して湘南新宿ラインのグリーンで横浜まで帰った。普通のグリーンは初めてだが、ちょっと高い2階席でいつもの町を眺めるのも良いものだ。

主な出演者は、吉田鋼太郎、麻実れい、小栗旬、真中瞳、壤晴彦、鶴見辰吾など。
タイタスのあらすじは、以下のHPで富山公演のパンフレットをご覧ください。
http://www.aubade.or.jp/titus06/titus.html

蛇足
舞台には歴史の教科書で見たローマ建国神話の狼の乳を飲む双子の大きな像が置いてある。
兄弟が争い、弟が王座についた。兄とその息子は殺され、娘も子を産まないようにと巫女にされた。しかしこの巫女が乱暴されて双子を産む。これがロムルスとレムスである。双子は川に捨てられるが、雌狼に乳をもらい、羊飼いに拾われる。二人は成長すると仲間の羊飼い達とギャング集団を形成し、ついに新都市国家を築く。しかし初代王座をめぐって争いが生じ、レムスは殺されてロムルスが王となる。ローマの名は彼にちなんだものである。建国の神話がこんな残虐なもので良いのだろうか。
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「天皇家の誕生(帝と女帝の系譜)」(遊子館発行)を読んで

2006年05月05日 | 日本
今、世情でかしましく、場合により極論が、声だかに横行する皇位継承問題の根本を知ってみたいと読んでみた。著者は筑波大教授などを歴任した歴史学者井上辰雄氏であるが、平易で冷静な語り口で、考古学や文学など幅広い資料を用いて、天皇家の誕生から、古代天皇継承の実情を探求し、解説している。260ページほどで、丁寧な解説があり知識のないものにも容易に読め、いかに天皇家が誕生し、その後多くの皇統継承の危機があったが理解できる。

内容を語る前に、終章の皇室継承に関する著者の考えを紹介する。
天皇家は幾度かの継承の危機を日本独特な方法、政治的解決で乗り切って、世界史でも珍しい1,500年以上にもわたる継承を続けてきた。これは、天皇家が政治の主催者としてではなく、日本文化発信の中心として日本人の精神の源泉であったためである。過去、天皇が政治の前面に出たり、政治家の野心に利用されたりしたときに皇統の危機に見舞われてきた、との著者の意見は説得力がある。なお、著者は女帝の夫君の実家の影響力を懸念して現状で男系での継承を考慮するよう提案している。この点には私は異論がある。現在では諸外国の王家を見ても、外戚の問題より、心配すべきは週刊誌などによるスキャンダル報道での国民の敬意喪失であろう。

以下、内容を皇位継承の部分を主に要約するが、卑弥呼や大和朝廷誕生の話も面白い。
弥生時代、西暦1世紀に既に日本には、王、官僚、軍事力と徴税体系を持つ百あまりの国があった。3世紀中ごろ、邪馬台連合国が強国に対抗するために利害が対立する男王でなく宗教的カリスマである霊媒者卑弥呼を統合者として担ぎ上げた。卑弥呼は祭り(マツリ)を行い、男弟が執政官として政(マツリゴト)を行った。政治上、外交上の失敗があれば、執政官が辞職する。これが古代日本の統治の原型になった。

天皇家の祖先は、北九州の勢力や朝鮮の騎馬民族による征服王朝ではなく、大和の豪族達に擁立された宗教的な王であると、著者はさまざまな間接的事柄から推測する。そして、宗教的王という性格が一貫して天皇家を規制していった。天皇家誕生時期は、文献史料からは4世紀末から5世紀にかけてで、考古学では3世紀中葉と分かれているが、著者は4世紀初頭と推定している

5世紀の中国の宋書には倭の5王が使節を派遣したことが書かれている。現在では、この5王は16代仁徳天皇から21代雄略天皇までであろうとされている。倭国、ヤマト王権は大陸の先進文化を独占的に手に入れ、利用して国内支配を進めていった。5世紀後半、雄略天皇の時代には北は北武蔵から南は肥後北部まで支配下におさめていた。

皇統継承の危機は何度となくあった。
22代清寧天皇は病弱で子がなく、父雄略天皇が3人の皇子を殺して天皇になったため有力な皇位継承者がいなかった。しかし、隠されていた2人の皇子が見つかり、23代顯宗天皇、24代仁賢天皇となる。

25代武烈天皇は女性不信、暴虐で皇子を持たなかった。既に57歳になっていた15代応神天皇の5代孫を連れ出し仁賢天皇の皇女を皇后に迎え26代継体天皇となった。

31代用明天皇崩御後、蘇我馬子が穴穂部皇子、さらには32代崇峻天皇まで殺し、天皇空位という事態になった。この時代の皇后は天皇とともに共治しており、先代天皇の皇后が一時的に即位し推古女帝となった。

外戚の地位を得ようとする蘇我氏の強行策で35代、37代の皇極(斉明)女帝が即位した。

40代天武天皇が崩御されると、皇后は謀反を口実に大津皇子を殺した。しかし、息子は病弱であるため、自ら持統女帝となり、孫が42代文武天皇となるまで在位した。

42代文武天皇崩御時に首皇子(おびとのみこ、後の45代聖武天皇)はまだ7歳だった。そこで、皇子の祖母にあたる43代元明女帝から伯母にあたる44代元正女帝と引継いだ。

藤原氏の圧力で聖武天皇の娘安倍内親王がはじめて女性で皇太子となる。46代孝謙女帝となるが、47代淳仁天皇に実権を譲らず孝謙上皇となり僧道鏡を法王に任ずるなど寵愛した。さらに淳仁天皇を廃し、自ら称徳女帝となり、皇統の危機をもたらした。結果的には藤原氏の逆襲もあって、称徳女帝崩御後は志貴皇子の子が49代光仁天皇となり、皇統は天武系から天智系へ移行した。

このように女帝の歴史は皇統の断絶を回避するためでもあるが、同時に女帝の恣意があらわになると、皇統が他家に移行する可能性もはらむものである。

以上
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甘いもの

2006年05月02日 | 食べ物
ご無沙汰のhiyamizuです。
日本に帰国してホームページ「ロングステイのためのパース事始」の更新に手間取っているので、とくに話題もなく、思い浮かぶことを連ねてみます。

日本はゴールデン・ウイークですが、この言葉は和製語で、英語には無いそうです。

オーストラリアでは連休になるイースター・マンデイEaster Mondayが今年は4月17日(月)でした。イースターは、その年の春分の日の後に来る満月の直後の日曜日と決められています。したがって毎年、日にちが異なります。キリストが磔にされたのが金曜日でGood Fridayとなり、Easter Saturday, Easter Sunday, そして、3日後に復活したので月曜日がEaster Mondayと呼ばれ、金曜日から月曜日まで連休になります。

イースターと言えば、彩色したゆで卵を思い出しますが、パースのスーパーなどには、卵やウサギの形をした大きなチョコレートがたくさん並んでいました。どうも中は空洞のようですが。

私の誕生日は12月26日で、子供の頃は安く買ったクリスマスの残りのケーキが誕生日のケーキになっていました。国中が貧しい中でも特に貧しい家庭だったので、それさえ稀で、運の良い年だったのですが。少し固くなっていたが、あの甘さは忘れられません。今、食べるケーキにあの美味しさはありません。

オージーの女性が東京に来て、いろいろなケーキがあるので驚いていました。パースではおもわず手が出るようなケーキにはお目にかかったことがありません。

ラジオ英会話に出てきたSundaeを辞書で引いたら(入力したらが正しい)、「サンデー、(チョコレート・サンデー)。シロップ、果物、ナッツなどを上に載せたアイスクリーム。Sunday、週末の売れ残りの安売りが語源か?」とありました。

パースでは、昼飯には私がFish & chipsか、サンドイッチを、奥さんがたいていパンが3枚位付いてくるSoup of the dayを頼むと、二人でちょうど良い量になりました。私は、このSoup of the dayを、昨日の残り物で作るFoods of yesterdayだと考えています。
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