一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

あのハガキがなかったら

2009-05-12 17:38:41 | 将棋ペンクラブ
私が「将棋ペンクラブ」に入会したのは、大山康晴15世名人が亡くなった翌年だと記憶するから、1993(平成5)年ということになる。
ペンクラブの会員になると、当然ながら会報への投稿が可能となる。将棋を趣味にしていれば、誰しも将棋に関するエピソードのひとつやふたつは持っているものだ。だから投稿は毎回余るほどありそうなものだが、これがそうでもない。
思うところはあっても、いざ原稿用紙やワープロに向かって文章を書くとなると、億劫になるらしい。
事実私も、入会してから10年近くは一切投稿をせず、ただの一読者だった。しかし2002年初頭に次年度の会費を郵便振替で入金する際、通信欄に、「今年は私も何か投稿しようかな」と書いたのが転機となった。
その数日後、当時の幹事だった「ジミー」こと、観戦記者の蝶谷初男さんから、1枚のハガキがきた。何事かと読んでみると、そこには金釘流の字で、「ぜひ投稿してください!」としたためてあったのだ。
以前読んだ本に記してあってのだが、たとえば電車内で女性が無法者に遭ったとき、「誰か助けてください!」と言うのはダメだそうだ。ここでの最善手は、特定の人に「助けてください!」と救いを求めるのがいいらしい。
その意味で、蝶谷さんが投稿の意志を見せた会員に対して、ピンポイント攻撃を仕掛けたのは的を射た行為であった。
私はその文面の行間から、蝶谷さんのペンクラブにかける熱い思いを感じ、以前から温めていた、大阪での将棋の思い出を書くことにしたのだった。
このとき私は、古いマッキントッシュは持っていたが、ホコリをかぶって休眠状態の上、肝心のプリンタを持っていなかったため、文章は手書きとなった。
手書きとワープロ、どちらも一長一短だが、確実に言えるのは、ワープロのほうが推敲がラクだということだ。文章の素人が、1回で完全な文章を書けるわけがない。
とは言っても、プリンタがないのだから仕方がない。今回は手書きでいくしかなかった。
実際執筆を始めると、書くそばから文章のアラが見え、書いては消し、書いては消しを繰り返す。休みだと思っていた土曜日が仕事になったりして、清書の時間も取れず、けっきょく投稿用の原稿用紙を赤字だらけにしたまま、投函したのだった。その分量、適量の4頁を越える5頁半。これを転記する編集氏はたいへんな苦労だったと思う。
ちなみにこの号の発行日は2002年4月6日。通常、春号は3月の発行なので、今回は異常な遅れである。これ、私の手書き原稿も遅配の一因になったのではあるまいか。
事実次の号だったか、編集後記では、「投稿はなるべくフロッピーか電子メールでお願いします」と書かれていた。
ともあれ、自分の文章が活字になった嬉しさは格別だった。それから私はたびたび投稿を繰り返し、今年の春号まで、計12回も掲載されるまでになった。
あのとき、もし蝶谷さんからハガキをもらわなかったら、はたして私は投稿をしたかどうか。蝶谷さんとは会話を交わしたことはないが、今でもとても感謝している。
コメント
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