![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/49/b5855c050dcee2c07ba6eeba9e5222dd.png)
第5図以下の指し手。▲2五桂△6三銀▲5三角成△4一玉▲6三馬(投了図)
まで、73手で一公の勝ち。
植山悦行七段がこちらに戻ると、私は▲2五桂と跳んだ。桂を助けて飛車を差し上げるというのだからメチャクチャな手だ。
しかし△2八角成なら▲5三桂成△3一玉▲5二成桂で下手勝てる。また△2五同銀は▲同飛で、目標の飛車桂が逃げられる。
植山七段は
「ピッタリの手がありましたか…」
とつぶやいて△6三銀。この銀は読んでいなかったのだが、指されてみると意外に難しい。
とはいえ▲5三角成の一手だが、ワンテンポ置いたら、植山七段はその場を離れた。
植山七段が戻ってくるや、私は▲5三角成。植山七段は△5一玉と指しかけたが、△4一玉。私はすぐに▲6三馬。これで植山七段が投了した。
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以下は△5二銀打に▲5三桂不成で即詰みである。実はさっきまでこの手が見えず、ウンウン唸っていたのだ。だから▲6三馬では▲3三歩を打とうかなどと考えていた。
「△2二歩は失敗した」
と開口一番植山七段。「△7七歩(40手目)と打ったのに△2二歩はおかしい。△7六歩と攻めを続けるべきだった。それならこうこうこうこう…」
植山七段は激しく悔やむ。それはそうなのだろうが、疑問手のレベルが高すぎて、私にはよく分からない。
「▲6五銀も、ここは桂が跳ねるところだからありがたいと思ったんだが、意外にいい手だったのかなあ」
これはおっしゃるとおりで、この辺はまったく指す手が分からなかった。ただ目についた手を指しただけだ。よって私は好手を指した手ごたえがなく、中盤以降は無理攻めの自覚さえあった。本譜は植山七段が私の好手を勝手に読んで、自滅してくれたように思えたのだった。
私は感想戦が一区切りつくと、その場を離れた。
◇
しかしおかしい。この将棋をスンナリ私が勝てるものだろうか。
帰宅してからも一局を反芻してみる。例えば投了の一手前、△4一玉で△5一玉はどうか。
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これも本譜同様▲6三馬と銀を取る(参考1図)。次は▲4一金の詰めろだから何か受けなければならないが、A△4二金は▲5三銀とかぶせて下手勝ち。以下△5二銀打は▲4二銀成以下容易に詰む。
またB△4一銀は▲5三桂不成で、以下詰めろの連続で迫って下手が勝つ。
しかしC△5二銀打が最強の応手だ(参考2図)。
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以下イ▲5二同馬△同銀▲5三銀は、△7一角で下手が攻めあぐねる。
ヘンな手だがロ▲5四銀と繋げるのはどうか。これは△5四同飛▲同馬に△7七銀が厳しい。▲7七同金は△同角成で詰みなので▲5九玉だが、△2八角成と飛車を取られ、次に△3七馬や△3九飛を見せられて下手敗勢だ。
ではハ▲5三桂成はどうか。これは、△6三銀▲同成桂は必然。以下a△4一角に▲5三金と張りついて下手が残しているようにも見えるが、△8二飛とさらに粘られると、もう訳が分からない。またb△8二飛▲5三銀△9五角(参考3図)の王手もいやらしい。
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以下▲8六銀△同角▲同歩△7七銀▲5九玉△2八角成▲6二角△4一玉▲4二金△同金▲同銀成△同玉▲5三成桂△3一玉▲4二金と進めば詰むが、もちろんこうはならず、△8六同角で△8四角と落ち着かれるぐらいでもよく分からない。
つまり△5一玉~△5二銀打なら、まだごちゃごちゃした戦いが続いていたということだ。
再度確認するが、▲5三角成の局面で、上手の応手は△4一玉か△5一玉しかない。△4一玉と指して次の手で投了するのなら、△5一玉と指して粘りそうなものではないか。なぜ植山七段が簡単に負けにいったのか、理解に苦しむのだ。
そこで以前も書いたことを再掲するが、植山七段は下手がある程度うまく指すと、終盤であからさまに緩い手を指して投げる癖がある。いわば下手へのご褒美だ。まあこれは私の勝手な見解なのだが、実際植山七段はこの後の指導対局で「時にはスパッと切られることもある…」とつぶやいたのだ。これは我が仮説の正しさを証明していないか?
ともかく植山七段はこの将棋で、おのが指し手に呆れていた。戦意を喪失していたのだ。それで私のキビキビした指し手?に、粘る気力を失った。…そんなところではあるまいか。
だがそもそも冷静に考えるとこの将棋、私がいいと思えた局面はほとんどなく、終始むずかしい将棋だった。確かに上手は△7七歩と指しすぎたうえ△2二歩と凹まされたが、その後は△3五歩~△3四銀と逃げ道を開け、終盤も△7七歩~△7六歩を利かし天王山に角を打ち、厳しく反撃していた。むしろ上手が優勢だったとさえ思えるのだ。
結局、気が付けば上手が優勢になっていた。これが上手の技量である。
私はお釈迦さまの掌の上で踊らされていた気がして、深くうなだれたのだった。
(つづく)