一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

負け犬の泣き言

2017-04-09 23:25:48 | プライベート
今朝は珍しく、仕事をやっている夢を見た。何だか自分の仕事が否定された感じの夢で、起きた瞬間にメモをしておけばよかったのだが、詳しい内容は忘れた。

4月に入って我が仕事もいよいよ最終盤になり、この品物はこれが最後の作業手順、というケースが多くなった。これが最後の材料注文、これが最後のプレス、これが最後のメッキ依頼、これが最後の箱詰め…。そんなこんなであとは数点の注文を残すのみである。
仕上げ場の後ろにある棚には、いつも何かしらの納品用の品物が置いてあった。材料置き場にも、鉄材やらステンレス材やら、なにがしかの材料が置いてあった。
ところが今や棚にはほとんど品物がなく、材料置き場には材料が皆無になった。
2011年7月24日にテレビが地デジに移行する際、当日までに1週間を切った時、DVDデッキの週刊番組予定表が1日ごとに消滅していった。テレビ番組表に「終わり」はないから、おぞましい絵づらだった。
あるいはむかし、閉店間際のコンビニに入ったことがあるが、店内に商品はほとんどなく、店舗の末期症状はこういうものか、と世の無常を感じた。それが現在の弊社である。
この数週間が夢で、一夜が明ければ、またふつうに工場(こうば)で仕事があるような気がする。だってプレス機はどこも故障はないし、仕事もふつうに来ていたのだ。どうして仕事を辞める必要があるのだろう?
今までは日曜が終われば、また月曜からの仕事があった。だがそれも、あと2週間もすれば確実に終わる。日曜が終わっても、私には仕事がなくなる。私はこの仕事を長くやったわけではないが、それでも丸16年務めた。初期はこの仕事を好んでこなしたわけではない。しかし今は、この仕事がいとおしい。何か、帰る場所がなくなった気分である。
もっとも社長(オヤジ)は、この仕事を60年近くも頑張ってきた。その喪失感は私の数十倍だろう。
私がもう少し仕事を覚えていれば、社長もバイトを雇ってでも、仕事を続ける気になったかもしれない。しかし私はこの16年間、あまりにもぬくぬくと仕事をしすぎた。あまりにも仕事を覚えなかった。
むかしW氏に仕事の悩みを話した時、「今の仕事は大変かもしれないけど、その仕事ができる最短距離にいるのはあんたなんだぜ」と言われた。近い将来廃業になるのだったら、そうならないよう今から努力しろ、という意味だったと思う。
人へのアドバイスというのは、専門家や親友ではなく、遠くもなく近くもない知人から教えられることがあるのを知った。しかし私には届かなかった。あんでるせんのマスターに、10年後の自分を想像して行動しましょうと諭されても、私は動かなかった。それは今のザマである。
こんなブログを書いているヒマがあったら、金型の特長を覚え、プレス機の性質を勉強し、まめに帳簿を付けるのだった。
それらを一切しなかったのだから、私に廃業を嘆く資格はないのだ。

いま心に引っ掛かっているのは業務先への廃業告知で、品物の卸先には1月末に伝えているが、その他の取引先には一言も伝えていない。社長の指示だからそれに従っているが、ふつうだったら同時期に伝えそうなものだ。早く伝えて我が社へのサービスが低下することを、社長は恐れたのかもしれない。
いま私に動く気力はないのだが、社長は先日プレスした品物にも0.1ミリの誤差があったとかで、それを修正するつもりでいる。職人として、最後の最後まで仕事を全うするつもりだ。私もあと最後のひと踏ん張りをしようと思う。
コメント
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