職業安定所で私が欲する職種はこのところ新着がなく、先週9月25日は気分転換も兼ねて、自室にたまった雑誌等の整理をした。
何の場合でもそうだが、とくに雑誌や書籍の類は、中身を見ずに捨てることが肝心だろう。
だが私が愛読している「FLASH」や「FRIDAY」は、そう簡単にはいかない。セクシーアイドルのグラビアが多く、つい中を見直してしまう。しかもこれらは袋綴じがほとんどで、開いてないものも多いのだ(いまはオフセット印刷だが、慣例でグラビアの名称を使用する)。
私の場合、商品を購入した時点で半分ストレスを解消できているので、「積ん読」が多い。今のご時世、新しい情報はどんどん入ってくるので、そうなったら、もう再読はしない。そのまま部屋の片隅に埋もれることになる。
だが私もグラビア目当てで買っているわけだから、捨てる前に、すべての袋綴じを開きたいわけである。
とはいえ、最近の写真週刊誌は1冊につき3つも4つも中綴じがあるので、ハサミでジョキジョキやるだけでも、相当な手間になる。
ハサミで中綴じを開ける瞬間がいい、というコアな読者もいるが、断言してやろう。中綴じの中身は期待はずれがほとんどである。こんなもん、中綴じなんかにせず、ストレートに見られるほうが、はるかにストレスが少ない。
まったく、最近の写真週刊誌はアホな台割を組んでいると思う。袋綴じは、読者に立ち読みされないための措置だが、そのために購入する読者がバカを見るという、皮肉な構図になっているのだ。
ともあれ中身を確認し、そこでお気に入りカットを見たらダメである。橋本マナミや柳ゆり菜やおのののかや三上悠亜や坂ノ上朝美など、ここだけ切り取って保存したくなってしまうのだ。
幸い袋綴じの部分(ほとんどが8ページ)はノリづけされているので剥がすのは容易だが、その対抗部分にもう1ページ付いていて、つまり8ページ目と9ページ目が見開き1カットになっているのだが、これも保存するかどうかでまた迷う。
平日の昼間、大多数の人間はこの時間、働くなり勉強するなりしている。なのに私はグラビアの切り抜きに奮闘している。何て堕落しているのだろう。
まあとにかく、剥いだ袋綴じをビニール袋に入れて保存するのだが、これだって見返すことはないから数年後には捨てるのだろう。
それだったら今捨ててしまえばいいのだが、そう割り切れないところに私の粘着気質がある。
現在ゴミ屋敷に回帰しつつある桐谷広人七段にも、私と同じ癖があると思う。
写真週刊誌以外の雑誌もある。ここ数年、青年マンガ誌はほとんど買っていないが、「週刊プレイボーイ」が圧倒的に多い。これなんかも表紙がAKB48だと反射的に購入し、中を一切見ないことが多い。
これもグラビア部分を切り取ったりして、繰り返すが、とても50男がやることとは思えない。
「週刊現代」や「週刊ポスト」も意外にあった。これもグラビア目当てで買ったのだろうが、今の冷静な目で見ると、なぜ購入したのか分からないものもある。
私は新聞の切り抜きもよく行う。鉄道記事とか将棋の記事とかが主だが、これも後で見返すこともないので、捨てた。
フィルムカメラの時に撮った紙焼き写真もけっこうな量になる。これも今は見返すことはまったくといっていいほどない。どんな写真を撮ったかは、ネガフィルム大の写真で確認できるので、紙焼きのほうもなるべく捨てた。
この作業を午後6時ごろまでやったが、到底追いつかない。
翌26日も同じ作業を行った。私はamazonなどで購入した写真集もそのままにしているので、今回初めて梱包を解いた。この外箱だけでもかなりの量になった。「Peach John」もいっぱい出てきたが、これは永久保存である。
ほかには、VHSのエロビデオを何本か処分した。いまもそれ用のビデオデッキはあるのだが、この先再生する機会があるとは思えなかったからだ。
まさに発掘工事のごとくだが、数年前に紀伊国屋書店で購入した「小嶋陽菜1stフォトブック こじはる」がどこにも見当たらず、解せなかった。
ともかく2日間の奮闘でかなりの雑誌が処分できた。ほかに20リットル前後のビニール袋2つが、ゴミ屑で満杯になった。
積み上がった雑誌を見ると、よくこれだけ買ったものだと思う。しかも驚くべきは、これだけの雑誌が自室から排出されたのに、自室の景色がほとんど変わってなかったことだ。
よほど自分の目の届かないところに、雑誌を潜り込ませていたのだろう。
ためしに「FLASH」「FRIDAY」を数えたら、70冊近くあった。
アホやね。
何の場合でもそうだが、とくに雑誌や書籍の類は、中身を見ずに捨てることが肝心だろう。
だが私が愛読している「FLASH」や「FRIDAY」は、そう簡単にはいかない。セクシーアイドルのグラビアが多く、つい中を見直してしまう。しかもこれらは袋綴じがほとんどで、開いてないものも多いのだ(いまはオフセット印刷だが、慣例でグラビアの名称を使用する)。
私の場合、商品を購入した時点で半分ストレスを解消できているので、「積ん読」が多い。今のご時世、新しい情報はどんどん入ってくるので、そうなったら、もう再読はしない。そのまま部屋の片隅に埋もれることになる。
だが私もグラビア目当てで買っているわけだから、捨てる前に、すべての袋綴じを開きたいわけである。
とはいえ、最近の写真週刊誌は1冊につき3つも4つも中綴じがあるので、ハサミでジョキジョキやるだけでも、相当な手間になる。
ハサミで中綴じを開ける瞬間がいい、というコアな読者もいるが、断言してやろう。中綴じの中身は期待はずれがほとんどである。こんなもん、中綴じなんかにせず、ストレートに見られるほうが、はるかにストレスが少ない。
まったく、最近の写真週刊誌はアホな台割を組んでいると思う。袋綴じは、読者に立ち読みされないための措置だが、そのために購入する読者がバカを見るという、皮肉な構図になっているのだ。
ともあれ中身を確認し、そこでお気に入りカットを見たらダメである。橋本マナミや柳ゆり菜やおのののかや三上悠亜や坂ノ上朝美など、ここだけ切り取って保存したくなってしまうのだ。
幸い袋綴じの部分(ほとんどが8ページ)はノリづけされているので剥がすのは容易だが、その対抗部分にもう1ページ付いていて、つまり8ページ目と9ページ目が見開き1カットになっているのだが、これも保存するかどうかでまた迷う。
平日の昼間、大多数の人間はこの時間、働くなり勉強するなりしている。なのに私はグラビアの切り抜きに奮闘している。何て堕落しているのだろう。
まあとにかく、剥いだ袋綴じをビニール袋に入れて保存するのだが、これだって見返すことはないから数年後には捨てるのだろう。
それだったら今捨ててしまえばいいのだが、そう割り切れないところに私の粘着気質がある。
現在ゴミ屋敷に回帰しつつある桐谷広人七段にも、私と同じ癖があると思う。
写真週刊誌以外の雑誌もある。ここ数年、青年マンガ誌はほとんど買っていないが、「週刊プレイボーイ」が圧倒的に多い。これなんかも表紙がAKB48だと反射的に購入し、中を一切見ないことが多い。
これもグラビア部分を切り取ったりして、繰り返すが、とても50男がやることとは思えない。
「週刊現代」や「週刊ポスト」も意外にあった。これもグラビア目当てで買ったのだろうが、今の冷静な目で見ると、なぜ購入したのか分からないものもある。
私は新聞の切り抜きもよく行う。鉄道記事とか将棋の記事とかが主だが、これも後で見返すこともないので、捨てた。
フィルムカメラの時に撮った紙焼き写真もけっこうな量になる。これも今は見返すことはまったくといっていいほどない。どんな写真を撮ったかは、ネガフィルム大の写真で確認できるので、紙焼きのほうもなるべく捨てた。
この作業を午後6時ごろまでやったが、到底追いつかない。
翌26日も同じ作業を行った。私はamazonなどで購入した写真集もそのままにしているので、今回初めて梱包を解いた。この外箱だけでもかなりの量になった。「Peach John」もいっぱい出てきたが、これは永久保存である。
ほかには、VHSのエロビデオを何本か処分した。いまもそれ用のビデオデッキはあるのだが、この先再生する機会があるとは思えなかったからだ。
まさに発掘工事のごとくだが、数年前に紀伊国屋書店で購入した「小嶋陽菜1stフォトブック こじはる」がどこにも見当たらず、解せなかった。
ともかく2日間の奮闘でかなりの雑誌が処分できた。ほかに20リットル前後のビニール袋2つが、ゴミ屑で満杯になった。
積み上がった雑誌を見ると、よくこれだけ買ったものだと思う。しかも驚くべきは、これだけの雑誌が自室から排出されたのに、自室の景色がほとんど変わってなかったことだ。
よほど自分の目の届かないところに、雑誌を潜り込ませていたのだろう。
ためしに「FLASH」「FRIDAY」を数えたら、70冊近くあった。
アホやね。