おはようございます
久しぶりの観光バス旅行です。 小松から飛行機で福岡へ、二泊三日で翌日は
長崎です、博多では中洲のホテルだそうです
まあ、働きづめの、ご褒美としましよう
グルメまでいかないけど、キリンビールの試飲からアサヒビールのジンギスカン
フグの夕食、しっぽく料理、長崎チヤンポン、イタリアン料理?
おまかせ旅は気楽です
楽しんできます 七割が女性 九割が70才以上(笑)
今は金沢市手前を通過中です
おはようございます
久しぶりの観光バス旅行です。 小松から飛行機で福岡へ、二泊三日で翌日は
長崎です、博多では中洲のホテルだそうです
まあ、働きづめの、ご褒美としましよう
グルメまでいかないけど、キリンビールの試飲からアサヒビールのジンギスカン
フグの夕食、しっぽく料理、長崎チヤンポン、イタリアン料理?
おまかせ旅は気楽です
楽しんできます 七割が女性 九割が70才以上(笑)
今は金沢市手前を通過中です
2度目の台湾は先月、30数年ぶりだった
青ざめた旅行だった。 とにかく今風にいえば「マジ、死にて!」
今回はネットで大手旅行社から航空券を買った、2ヶ月前から申し込んで
ANAのHPで席も予約して、当日の搭乗券も印刷して準備万端
当日は相棒の一人を自宅まで車で迎えに行き、新幹線駅へ駐車
駅には新幹線発車30分前に到着、それから改札口へ、ところが前もって買っておいた
新幹線の往復乗車券がA3封筒の中に入っていない
時間が無い、あせった、頭がマッしろ、だって自分の分だけでなく仲間のも無い
「電話して、誰かに東京のどこかへ送ってもらえばいいんじゃないか、とりあえず新幹線
切符は行きの分だけ無駄になるけど買ってさ」
どんな状況になったのか頭の整理がつかない、とにかく新幹線に乗らなくては
ということで、パニクったまま機械で行きの新幹線切符を買った
急いでホームへ向かう、そして気づいた、もしかして帰りに必要な書類も忘れたんじゃ無いか?
封筒を見ようと思った、するとさっきまで手に持っていた封筒が無い、キャリーバックをホームで
開いて中を探したが無い! 「!」 切符を買ったとき忘れてきたんじゃ?!!!
青ざめた! 旅行そのものがダメになる、慌てて下の階に駆け下りて駅員に事情を話して
機械のところへ、そこには飛行機の搭乗券が入った封筒があった
「ホッ」とした、だが今度は帰りの書類と帰りのグランクラスの乗車券が無いのが気になった
東京へ送ってもらえばというが、どこへ送るというのか、スケジュール的には東京のどこかに
立ち寄る時間など無い、どう考えても無理な話
もう脳みそがパンクしそうで頬がきんきんと燃え上がっている
自分だけならあきらめれば済むが、仲間の旅行まで失ってしまうのではという恐怖感が
ホームに戻って、仲間に出て言葉は自分でも思いがけないものだった
「この新幹線は見送って、次の新幹線で行くから先に行って、家に戻って探してくるから」
相棒たちは驚いた顔をしたが「仕方ない、それがいいだろう」
私は急いで駅を出て駐車場へ戻り、車で家に向かった、次の新幹線まで一時間
ところが家の狭い部屋なのに封筒が見当たらない
急いで店に行くことにした、時間はあと40分足らず、また冷や汗が出てくる
「これは悪夢か! 夢なら覚めてくれ!」、マジに口に出して叫んだ
ぶつぶつ言いながら、事務所を探す、時間はどんどん過ぎていく、あせる! あせる!
遊びに行くのに、こんなにも苦しまなくてはいけないのだろうか、情けない
棚に目をやると茶色のA3封筒があった、目の前に花園が一気に広がった、中を確認
恋人に再会した気分、急にるんるん気分になって、急いで駅に向かった
あと15分、駅員にこうこうで乗車券を買ったけど払い戻し出来るか聞いてみた、出来た!
去年、金沢へ行ったときにも金庫の中に新幹線乗車券を入れたまま鍵を紛失して
当日新たに買って行った記憶が蘇る、それも聞いてみたら、当日なら紛失を届けてあとで
切符を持ってくれば、手数料だけで払い戻ししてくれるんだそうだ
早く聞くべきだった
ようやく新幹線に乗って、先行した仲間に電話した
こんな危機一髪の状況になったが、ラッキーな面もあったのだ
実は最初の予定では私が乗った新幹線で行く予定だったのだが、仲間の一人が最新の煙が出ない
タバコを買いたいので免税店に寄りたいけど、それがどこだかもわからないので探し歩く時間が欲しいから
一列車、早くしてほしいと言うことで、一時間前の新幹線に変更したのだった
しかも行きは自由席だったので何の問題も無かった
もし、最初の予定どおり私が乗った新幹線だったら、そこで今の事件が起こり、次の新幹線では
飛行機に乗れなかった、仲間のタバコのおかげで一列車の余裕が出来て間に合ったのだった
何が幸いするかわからない、私はタバコは吸わない(長男が生まれた38年前にやめた)
だからタバコを吸う人には最近冷たい、だけどこれからはそういう態度はやめよう。
さて、その彼だが結局、免税店にそのタバコは売ってなかったそうだ、どうしても搭乗前に一服したくて
我慢できず、喫煙ルームに入って、タバコを吸っている人から一本1000円で売ってくださいと頼んで
買って吸ったそうだ、相手は驚いて「お金はいりませんよ」と言ったが、そんなわけにはいかないと
高いタバコを吸ったんだそうだ。
タバコを吸うにも苦労の時代になった。 ホテルでも部屋で吸えないと言うことでベランダに出て吸うのだと
言っていた。
台湾旅行というといつもヒヤヒヤする、この次ぎ行くならばパーフェクトな旅にしたいものだ。
第一回目は父の代理で行った、今から35年くらい前の話
60人観光バス二台の団体、高速道路が無い時代
前夜7時に出発、翌日の午前10時頃のフライト
時間は充分とってあったはずだった・・・・・・・が
北陸路から信濃路へ、そして東京から成田へ列島横断500km
季節は冬2月、雪国故みんな長靴にコート、アノラック、これはすべて成田で
バスに置いて行くしか無い、目的地は南の島国台湾
出発時はたいした雪も降っていなかったが、軽井沢付近から難所碓氷峠に差し掛かる辺りで
渋滞にはまってしまった、バスはいっこうに動かない
雪があって、たぶんノーチェーンの車がスリップでもして動けなくなったのだろう
何しろ標高は1000mを超えているはず、道路も雪ばかりでは無く氷点下で凍っているだろう
時間はすでに23時過ぎているのではなかろうか
とうとうドライバーと添乗員は信越線国道19号をあきらめてUターン佐久まで戻って小海線経由で
20号中山道へ向かった
大幅な時間ロス、甲府に近づいたときはもう午前3時、このままでは間に合わないと判断
国鉄で東京まで行こうとなって甲府駅に行った、しかし夜中に電車が走っているわけも無く
再びバスは走り出した、ここだって高速道はまだ無かったと思う、こうなれば大月から東海道に出て
東名高速道を走るのが最後の手段、しかしこの日、関東の山間部でも雪が降り河口湖にさえ
到達できない、東名高速経由も失敗、仕方なく戻り、八王子に向けて走り続けた
運転手と添乗員の話を聞いていると、都内を8時までに抜け出なくてはならないという
都内を新宿方面から江戸川方面に抜けるには朝のラッシュ前に入ってしまわなければならない
もはやそれは不可能であることは、どちらにもわかる時間になっていた
新宿に近づいたときにはもう7時をまわっていた
いよいよ最後の手段、首都高で上野に向かって京成スカイライナーに乗り込むしか無い
飛行機の出発に間に合うにはそれしか無い
そして、それはGood Idea! だった
駅のホームに立った時、まだ飛行機に間に合う時間のスカイライナーの時刻に30分くらいあった
みんなホッとしたのも束の間、バスは2台だったのだ、今ここに居るのは1号車のメンバー
2号車のメンバーが居ない
すると一人が「首都高で2号車とすれ違ったぜ」と素っ頓狂なことを言い出した
すると数名も「オレも見た、手を振っていた」といいだした、どういうこと?
そうこうするうちに電車が入ってきた、「我々だけでも行こう」あせった客が言ったが
添乗員が許すわけも無い、最後の綱の電車は我々を置いて出て行った
それから15分も経って2号車の連中が到着した。 慣れない運転手が入り口を間違えて逆方向に
入ってしまって、しかも出口を見落として2周もしたのだった
次のスカイライナーに乗った、飛行機離陸時間の45分後に成田に着く電車
もう間に合わないけれど行けるところまで行ってみるしか無い
我々はみながっかり、もう気持ちは切り替わって石和温泉か熱海に向かっていた
私も初めての海外旅行がこうも簡単に夢破れるとは・・・・がっくり
添乗員は二人並んで立ったままつり革にぶら下がって言葉も交わさない、一人が「首だ、首だ!」と
つぶやいている
成田について国際線に向かった、まるで敗残兵の列の様に
すると突然、叫び声が「急いで! 急いで! 走ってください、走って!」
何が何だかわからないが、みんな一斉に走り出した、そのままフリーパスで60名の団体は飛行機に
収まった、何の検査も無く、飛行機に乗っていた。
今、思ってもあり得ない話しだ、だがそれは事実だった、機長判断で50分待ったのだと後で知った
飛行機は外国(アジア地域)の飛行機だった、こうして3泊5日の台湾旅行は実行されたのだった。
悪夢の様な16時間だった。
35年前の高速道が無い時代のお話
神戸を起点に、明石海峡大橋、大鳴門橋と淡路島を横断して四国に
向かう、鳴門の渦潮が眼下に見えて迫力満点
四国に入って瀬戸内沿いの高松道より、直線で距離が短く見える徳島道が良いかと考えたのが悪かった
単線で前を走るのろのろ自動車にくっついてしまい、さっぱり進まない
ここで予定時間を大幅にロス、ようやく高知道の分岐にたどり着き、四国山地を超えて太平洋を目指した。
初めての高知県、四国もまた日本の縮図、海岸近くまで山が迫っている。
豊臣秀吉が四国の覇者、長曽我部を攻め臣従させて四国を制圧した戦ではきらびやかな豊臣軍の鎧、具足に比べ四国勢の装備はあまりにもお粗末で貧しかったという、それだけでも戦意喪失、四国で圧倒的強さ、毛利とも戦った長曽我部氏もあえなく敗れて降参、土佐一国に押し込められたものの中堅大名の座は守られた、しかし関ケ原の戦では豊臣方に義理立てて徳川家康に敗れ、領地を失って浪人となる。
それに代わって土佐の大名になったのが山内一豊、本人より有名になったのが「山内一豊の妻」、小説やドラマで何度も取り上げられ、大河ドラマで仲間由紀恵が演じたことも、そして山内家の家来は土佐の上級武士、その下に旧長曽我部の家臣が郷士として蔑まされて生活してきた江戸時代260年。
幕末のヒーローとして人気が高い「坂本竜馬」もそんな郷士の一人だった、これも福山雅冶が演じて評判に、その坂本竜馬の像がある「桂浜」は思ったより狭かった、もっとも月の名所ということで昼間では評価できない。
先祖が徳川に敗れて260年後、竜馬たちは薩摩.長州と共に徳川幕府を破って明治政府を作った、しかし竜馬はそれを見ることなく暗殺された。
ともあれ帰りは18時までに宝塚に到着しなくてはいけないので、ここで名物のカツオの刺身定食を食べて一目散、瀬戸大橋を渡り18時30分なんとか宝塚に到着した、走行距離600キロ強だった。
宝塚の温泉で地元の人と一緒になり、今日の話をしたら「僕らは飛行機で行くけどね」と簡単にあしらわれてしまった。お疲れ!
。