速報 女子回転 大本命ブルフォバー(スロベニア)1回目8位から大逆転金メダル獲得
羽生も出来るぞ! 続け!
今は180度変わった環境に満足しているが、きっとまた不満が頭を持ち上げてくるだろう、「不満」こそ次のステップへのエネルギーだ
人は現状に満足することは無い、生きて居る以上、何かしらの欲求が生まれてくる、私はそういう状況になるとリストアップして一つ一つ潰す
それが目標となり生き甲斐となる、この一ヶ月は白板が赤いマーカーでいっぱいになった、一日に2つ3つと解決して黒のマーカーで横線が引かれていった
30ほどあった項目がついにあと3つになった、消し去った大部分は会社で過去に利用していたシステムであり、個人となった今は不要のものばかり
残った3つは使用中の4台の携帯電話と一台のタブレット、使用中の個人のWI-FIネット環境、個人の固定電話、これだけは今のところ消せない、人とつながる唯一の機器だから
しかし収入が限られた中で毎月合計3万円の支出をほおっておくわけにはいかない、今日の最初の仕事は20年来のつきあいがある電話代理店の社長に会って今後の電話環境の相談をする、ドコモ直営ショップは使い勝手が悪すぎる、特に高齢者には
それがうまくいけばネット環境代理店の担当女史に自宅のネット環境の引っ越しについて相談する、彼女とも20年来のつきあいで信頼できる人だ
商売に於いても、日常生活に於いても人間のつきあいで一番大切なのは「信頼」に尽きる
昨日書いた建築会社の社長もそうだ、私より15歳ほど若い人だ、なんと言っても素晴らしいのはその動きの迅速さだ
お願いしても「忙しいので来週になります」とか「明日行きます」となる会社が多い中、彼の電話応答はいつでも「社長今どこ?」「店にいるよ」
「うん、じゃあこれから行きます」だ
せっかちな私にとって、これほどつきあいやすい人はいない、こういう人を父は「さっそくな人」と言っていた、まさにそうだ!
父も「あとで」という言葉を決して許さない人だった、私の数倍もせっかちで「ならおまえには頼まん!」とよく憤慨して、すぐに自分でその仕事を始めたものだった、いつしか私もそうなった
「今できることは今やる、後回しは仕事が溜まるばかりで、余計にたいへんになる」、それが口癖。 「思い立ったら吉日」すぐにやることが楽しい
このように早く確実に仕事が出来る人こそ「信頼できる人」なのだ
そもそも「あとで」などと言う奴はレースで言えばいつも真ん中以下を走ってあたりまえと思って居るような人間だ
家で余暇を楽しんでいるなら問題無いが競争社会では問題にならないし頼りにならない
電話機器代理店の社長も、ネット代理店の女史も、建築会社社長もすべて仕事が早くて信頼できる人だ、性格的に問題ある人も居るけれど信頼で帳消しだ
仕事をするならこうした人たちとやるとスムーズに運ぶ、一粒で二度美味しい
一時間にどれだけの仕事量がこなせるか、それが企業で一番の課題になる
私は理屈では知っていたけれど経営者の器ではなかった、信頼に足るトップの意図を汲んでこまめに走り回る方が性分にあっていたようだ、あるいはフリーの仕事をしたかったかも
少年時代は父は「おまえは坊主か学校の先生が向いている」と言っていたが、坊さんは修行が嫌だし、なにか息苦しい
先生はちょっとタイプじゃないな、同僚同士で年齢関係なくお互いに「先生」と呼び合うのも気乗りしない。
そういいながらも父は自分の仕事を継がせたのだからそれほど真剣に坊さんだの教師だのと言っていたわけではないのだろう。
「覆水盆に帰らず」私の54年間の勤労人生は終わった、けれどもきっと現状に飽き足りない日が近づいている気がする
こんな日々の繰り返しで残る人生を過ごすなんて私には似合わない、なにより人恋しく、人との関わりが大好きなのだから。
春になるのが待ち遠しい
今できることは今する、それを日常の生活にも仕事にも意識して実行していました。
就職してしばらく経った時、うんと年上の先輩に
「○○ちゃん、明日でよいことは明日にしよう」と言われたこともあります。
今ではそれらをちゃんぽんにして都合よくやっていますが、
基本的には「今すぐ!」です。
せっかちというのではなく、やれるのだからやればいい、そんな感じですね。
早速取り掛かる人は安心して見ていられますね(^_-)-☆
美人様のお父上も後回しが嫌いな方だったんですね
わが父の口癖は「前を空(す)かしておけ、前が空いていれば急に何が入っても対応できる」
するべき仕事を早く終わらせておけば体が空いているからとっさの仕事にも対応できる
「まだ時間があるからあとで良いよ」という人はトラブルが起きたときに対応できない
そんなことより、仕事は次から次とやっておけば気持良いですよね、余裕も出来るしね
父も「さっさとしなさい」の言葉に、そのような考えがあったんでしょうね。
「前を空かしておけ」これからの私自身にも言い聞かせ、
息子にも伝えておくたいと思います。
よい言葉を教えて頂き、有難うございました(^_-)-☆
父の言葉は全て経験から出てきた言葉でした
幼児の時に両親と離れ怖い義祖父と暮らし
小5で東京に出て再婚した母と無職の義父と暮らし、12歳で神田の印刷工場に住み込みで働き、
兵隊に行っている間に両親と家は空襲でやられ
23歳で一度も来たことがなかった日本海側に一人やってきて闇米を売って私たちを食わせてくれました
あとでなどと言う呑気ものは飢え死にする時代でしたから
全て体験から出た生きぬく知恵だと思いま