神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

29度が待ち遠しい

2023年08月16日 17時40分05秒 | 地理
当地の台風の影響は少なく、通過地域の皆様の安全を祈るばかりです。
被害は嫌だけど、趣味の畑作家にとって台風に多少の雨を期待しています。
もう25日近く雨が降っていないので、畑もひび割れ、強い雑草まで枯れ始める始末、まだ田んぼの水不足問題が出ていないのが不思議なくらいです。

今朝はどうかと5時に起きてみたが、ぽつりと数粒落ちて来ただけでさっぱりです。 
空を見ると今にも降り出しそうなグレーの空、風はなくほのかに生暖かい
水気の無いナスが出来るのではと心配している、トマトも完熟に近づくと割れ目ができるし、収穫のタイミングが難しい。

今日は台風が丹後の方に進んで日本海に抜ける、それから日本海のどまんなかを北海道西部に向かっていく予報だ。
それで富山、新潟の沖合を行くのは午前から昼にかけてらしい
予報では石川、富山は少し風が吹くようだが、新潟や長野は大きな影響はないようだ。

それで今日は先々週と同じように霊仙寺湖へいくことにした
道中どこも雨に当たることも風に煽られることもなく着いた
逆に気温が下がって29度あるかどうかでずいぶん涼しかった
先週は暑くて暑くて参ったのだが、今日は最高だ、涼しい風もちょうどよい感じで吹いている。



帰りは能生の手前まで雨は無かったのに、能生へ入ったとたん雨が降っていた
このあたりは谷ごとに天気が良く変わる
我が家に戻ると畑が濡れていた、ある程度の雨が降ったようだ

明日からまた暑さがぶり返すようだ、いったいいつになれば30度以下の日になるのだろう。

先々週はこんな


日本の戦争の歴史 せかいのおわり

2023年08月15日 15時42分19秒 | 時代検証
日本では、鎌倉北条が後醍醐天皇と足利、新田ら尊王武士団によって滅んで以後、徳川家康が、豊臣家を大坂城に滅ぼすまでの約300年間の内戦があり。
その後、約260年の長い平和が続いた。

明治維新によって、その平和は破られ徳川幕府と武家社会が日本から消え去った
明治政府は国力がつくと西洋に追いつくため、工業の発展と軍備増強(富国強兵)に力を注いだ。
そして台湾出兵支配下に置き、その後1894年「眠れる獅子」と言われた巨大国家「清国」(現中国にあった満州族国家)と戦争をして大勝利
そして国際ルールにのっとって勝利国の権利として莫大な賠償金を「清国」から取り上げ、更に清国の領土のなかに権益と租借地を勝ち取った。

それから間もなく、満州と朝鮮の利権を巡ってロシアと対立、日本の10倍の経済と軍隊をもつロシアに挑んだ。
そして同盟国イギリスの協力を得て、奇跡的な勝利をおさめたが、これは薄氷の勝利だった
そのため、清国から得たような賠償金は一銭も取れず、政府は国民の不興を買った、(余力があるロシアに対して、日本は破産寸前で戦争継続の余力が無かった)樺太の半分を受け取り、満州、朝鮮の権益を確かにしたにとどまった。
まさにこれを教訓に、昭和の戦争も最初の一撃の勝利の後で停戦に持ち込めばという考え方もあるが、それは無理だろう。
特にアメリカは負けたとも、日本を恐れたわけでもないし、真珠湾攻撃がルール違反の奇襲として、逆に反日感情を増大させてのだから、日本が停戦を持ち込んでも蹴ったであろう。

清国は日本に負けたことで一気に威信と国力を失った。
清国は満州民族が漢民族の国を武力制圧して作った国であったから、清王朝が弱ると漢民族の反乱などがおこって、ついに清王朝は滅んだ。
このどさくさに紛れて義和団の乱などに付け込み、日本、欧米各国は北京に兵を送り中国の主要な都市や港に権益を持つようになった。

日本は、日清戦争で勝ったことにより、清国の従属国家だった朝鮮王朝を解体して大韓帝国に改めさせた
さらに1910年には大韓帝国を解体して、朝鮮人に国家を運営する力が無いとし、日本帝国に吸収した、世界地図から朝鮮が消えて、それを世界も認めた。

朝鮮を手に入れた日本帝国は、さらに北の満州を思い通りにするため、傀儡国家の満州国を満州人に建国させて、清国の王子だった溥儀を初代皇帝の座に座らせた。

清国が滅んだあとの中国には漢民族の派閥がいくつか現れて、特に国民党蒋介石、満州閥の張作霖、ソ連で共産主義を学んだ毛沢東などが大きな派閥を作って、中国統一戦争を引き起こした。
満州の日本軍は張作霖をバックアップして、日本の都合の良い政権を作ろうとした。

満州の日本軍は関東軍といい、関東軍100万といって力を誇った
関東軍司令部は、次第に日本内地の指揮系統を無視して暴走を始めた。
盧溝橋事件などをおこして、内地の司令部の命令も無視して中国との戦争を始めた
挙句、味方だった満州で権力をふるう張作霖を暗殺してしまった。

こうして満州、朝鮮で巨大な力を得た関東軍は、さらに中国領内に攻め入った
アメリカやソビエト、欧州の強国はさすがに日本のやりたい放題を見逃せば、いずれ自分たちにも不利益が及ぶと考えて、満州に対して干渉してきた。
これらが原因の一つとなって、太平洋戦争、大東亜戦争が引き起こされる。
中国以外では、ソ連が一番の目の上のたん瘤だったが、日ソ不可侵条約を結んで、日本は対中国戦に、ソ連は対ドイツ戦に臨めるようになった。

明治維新から僅か70年ほどで、日本は世界を相手に戦争を始めた
ロシアや清国に対しては、わずか25年ほどで戦争をしたのだから驚きだ。

そして結果、日本は1945年に2発の原子爆弾を長崎、広島に落とされて、兵士および国民、およそ310万人を犠牲にして敗戦を迎えた。
310万人とはたいへんな人数だが、この戦争では中国人が1000万人以上、ソビエト人は2000万人以上も死んでいる
日本と同盟を結んでいたドイツも700万人以上死んでいる
国内が戦場にならなかったアメリカは亡くなったのは軍人だけで、およそ30万人だという(アメリカはヨーロッパ戦線と、対日戦線の両方に軍を送った)

あれ以来、今日まで78年間、日本は新憲法(連合軍によって作られた憲法)を守って対外戦争をしていない
しかし安倍、岸田政権の今、にわかに戦争ムードが高まりつつある感じがする
ウクライナ戦争、台湾の危機を例に挙げて、我が国も同様な環境にあると訴える。
世界的にも国防費の大幅な増額が論じられるようになったし、ドイツや日本も既に増額を実行に移し、さらに増額の予定だ。
当然ながら戦争当事国のロシアや、ますます巨大になる中国も莫大な国防予算の増額を実行している。
ここまでくると疑心と暗鬼で軍拡競争はますますエスカレートするだろう。

世界終末時計と言うのがある、午前零時を核戦争などによる人類の終末時間と定めて、今現在が何時何分何十秒であるかを示す時計だ。
これによると2023年1月の発表では23時58分30秒、即ち人類の終末まで、あと90秒に迫ったと言う。 1年間で10秒縮まったそうだから、この割合で行けば2032年に世界は終わる計算になる。
1月から7か月過ぎた今は、1月よりもっと危険度が高まっている気がする。
それは単に戦争危機だけでなく、環境破壊なども含まれるそうだ。
世界中で頻発する山火事、ここ数日ハワイでもアメリカ史上最悪の山火事被害が発生している。
マイクロプラの危険性もしかり、われわれの周囲ではどれだけのプラが使われて、どれだけが回収されているか
プラの中に埋もれて暮らしていると言っても良い
海岸清掃に行くと、どれだけプラごみがでているのか驚く、既に海の中に浮かんでいるプラごみも多い
これが砕けて、魚や鳥の内臓に入り込み、それを人間が食べて吸収する
まさに天に唾を吐いて、自分にかかる如しである。
終末時計はこれらも含めて進んでいるのだ。








お盆の事 法事の事

2023年08月15日 08時30分04秒 | ライフスタイル
最後に雨が降ったのは7月22日で、それ以後は雨の日が無い
それどころか連日35度越えの猛暑日が続いている
畑地の乾燥ひび割れは我が家のみではなく、多くの畑でおこっている
一日二度の水やり作業も70代80代には炎天下で厳しい。

私の小さな畑もいよいよ終わりが近づいてきた、スイカもメロンもあと2ケずつでお終いだが、葉を虫に食われて、いよいよ栄養も回らず小さめで収穫となりそうだ。
あとナスがちらほら実っているが、数日に1ケくらいのものでないに等しいし、もうおしまいだろう。
キューリは蔓を全部廃棄して終わった、今盛んなのはトマト、私のトマトは中玉でもぎたてが食べやすい
暑さのせいか、ひびが入るのも少しあるが、太陽の30度で温められたホッとトマトが意外に美味い。
最初のは酸味があったが、この頃のトマトは酸味が無く甘い
毎日3ケくらいずつ獲れるが、息子も好物なので、キューリのように困ることはない。

昨夕は合同廟の例祭で、地元の住職に来てもらい読経してもらった。
今日はこれから我が家に住職がおいでになる
母の命日は8月16日なので毎年16日だったが、今年は都合なのか今日になった
母も本来明日が七回忌になるのだが、半年後には父も七回忌となり、その時、一緒に七回忌のお経を読んでいただくよう今日話す。

もう昔と違って、しかもコロナ以後は葬儀も法事も簡素化されるようになった
我が家も親戚は多くないこともあって、七回忌と言っても地元にいる兄妹の家族だけで行う。
お斎もしないし、お菓子とお茶で語り合ってお終いとなるだろう。
特に今年は新潟の弟も一緒に、古河の墓参りに行くので改まった法事は必要ない、生きている者が楽しめばよいのだ。
よほど信心深い家とか、代々続く旧家なら毎年のように法要を行うであろうが、最近の傾向では一周忌、翌年三回忌を正式に行えば、次は27回忌か33回忌まで家族だけで簡単に済ます。
我が家の33回忌と言えばあと26年後で、私は生きていれば99歳、生きていてももう祭主にはなれまい。







8月15日 78回目の終戦の日

2023年08月14日 14時17分42秒 | 時代検証
昭和20年に数え20歳の人たちが最後の招集兵だったと思う
だから1926年頃の生まれだろうか
今も生きていれば満97歳、正規兵でもっとも若い兵隊である
もう全国で60数万人だけになったとか。 戦場での戦争体験を語れる僅かな人々である。
だがそれより下には、志願兵と呼ばれる少年兵たちが居た1930年生まれ位から上の人たちである。
この年代だと100万人以上はいると考えられるが、あくまでも志願だから、この年代の一部でしかなかったろう。
ともあれ、戦場で戦った人たちは、この年代であり90何歳から上の人たちである。

戦争を体験した人となれば、もっと多い、赤ちゃんは別とすれば1940年生まれより前の人は、戦争中の日本を体験した記憶を持っているだろう
おそらく1000万人以上はいると思われる。
幼児、小学生、中学生で戦争を経験した人たちだ、もちろん満州や中国などで体験した人たちは悲惨な体験をしているはず
また空襲を受けた都市に住んでいた人たちも逃げ惑う悲惨な戦争を体験した
田舎で暮らしていた人たちは、戦争の空気感だけで済んだかもしれない。
だがそこから出征して戦死した兵士の家族だったかもしれない。
こうした戦争体験をした人たちは年々減っていくわけで語り部は少なくなるばかりだ。
団塊世代前後の人たちは、兵士の子供が多いはず、父親や母親から戦争の体験話を聞かされた人も多いだろう。
われわれは語り部二世として伝えていく責任(ではないが)があるのではないだろうか。

なぜ日本が戦争をしたのか? 
それは「こんな理由だったから」などと一口で言えることではない
様々な国内事情や国際関係が重なって戦争になったのだ、今だって同じだ
自国の言い分もあるし、敵国の言い分もある
だからここでは戦争になった原因や理由は書かない、そもそも正確なことを私が知っているわけもない
親や親世代から聞いた話、あとは体験談の本などから知ったことくらいが私の知識だ。

大東亜戦争か、太平洋戦争か?とたまに論議がおこる
東亜とは「東アジア」という意味だろうから、「東アジアでの大戦争」という意味なのだろう。
一方、太平洋戦争は「太平洋を戦場とした戦争」という意味であろう。

東アジアとは中国、日本、朝鮮半島、満州、ソビエト沿海州
一方、アメリカが主たる敵である戦争の太平洋戦争は、日本に対する経済封鎖の親玉である世界一の経済大国がいよいよ英仏蘭に味方して、日本との戦争が避けられないことを知って、正面からの戦いを避けて、ハワイの真珠湾米軍海軍基地を先制攻撃したことで戦争が始まった。
東亜戦争は日本から見た主なる敵は中国共産党軍と中国国民党軍であろう、いわゆる日中戦争でこれはアメリカを相手とした太平洋戦争より何年も早くから始まっていた(日支事変)(満州事変)

東亜戦争の他にもインドシナ半島(今のベトナム、ミャンマー、カンボジア、インド、ラオス、シンガポール、マレーシアなど)でも日本は戦争を行っていた
当時、フランス、イギリス、オランダなどの植民地となっていた国々をアジアの同胞として、日本が欧米の植民地から解放することを目的とする戦争とも解釈できる(聖戦ということだ)
そして解放後は日本を中心として東アジア、東南アジア諸国を一つの大きな経済圏として共に繁栄すると言うアジアは一つ「八紘一宇」の思想を持っている。

だから太平洋戦争と大東亜戦争は日本から見れば一つの戦争であるが、実態は違う場所で違う国としている戦争だったと言える。
ひとくくりにはできない、実際終戦の時、アメリカと戦争していた軍隊は敗戦を認識したが、中国で戦っていた兵隊は日本が負けたことが信じられなかったと言う話を聞くことがある。

これで日本は太平洋のアメリカ、オーストラリア、大陸の中国、東南アジアからインドネシアの英仏蘭印との戦争、三方面戦争を始めてしまったのだった。
アメリカ一国だけでも日本の10倍以上の経済力と軍事力、生産力を持っているのだから、まさに一か八かの神頼みの無謀な戦争であることは識者ならわかっていただろうと思う。

しかしハワイ攻撃の大成功、シンガポール陥落、有利な中国戦線、イギリスが誇る大戦艦プリンスオブウェールズ、戦艦レパルスを一方的に撃沈
ビルマ陥落、インドネシアの解放と進駐、フィリピン占領と勝利が相次いで、日本人全てが舞い上がったのが、戦争を辞めるチャンスを逃すことになったのだと近年言われている。
「勝っている戦争を、こっちから『やめましょう』などと言うバカなことがあるか、負けてる敵に頭を下げさせろ」という雰囲気である。

結局、その経済力と生産性の差は、互いに軍艦や武器を大量に消耗しだした昭和18年頃から顕著になって行く。
日本が飛行機1機作る間に、アメリカは10機、20機と作る、日本が空母1隻作る間にアメリカは10隻も作ってしまうこの差は決定的だ。

更に19年には弾丸や砲弾、大砲、飛行機を作るにも鉄やアルミ、ゴムなどの材料が無く、燃料の油も底を尽きだして、敵の飛行機が日本に攻め込んできても迎え撃つことが出来なくなってきた。
原料不足を補うために鍋釜はもちろん、寺の釣り鐘まで国に納めたと言う

それで20年に入ると、アメリカの爆撃機は日本の飛行場を襲って航空機を破壊し、滑走路を破壊した
更に航空機や武器生産の工場を集中的に爆撃して、戦地に飛行機や武器がいかないようにした。

日本の自慢の軍艦も燃料が無く、瀬戸内海などの入り江の奥に身をひそめ、本土決戦に備えて航空機も掩蔽壕に隠して飛び立つことはなかった。
そして日本の空がほぼ安全と見たアメリカ軍は、いよいよ東京、大阪などの大都市への無差別爆撃を行い、都会を焦土とすると今度は地方都市を爆撃を始めた。

太平洋の小さな島の守備隊は次々にアメリカの大兵力の前に玉砕(全滅特攻作戦)を続けた。
父は東京でB29やムスタングP51、グラマンなどを相手に前線で戦っていたし、両親をアメリカの爆撃で失ったが、この玉砕や特攻作戦については「しなくてもよいことだった、ここまで行けば国はバンザイ(降伏)するべきだった、死ななくてもよい若者を大勢無駄に殺してしまった」と言った。

招集兵は通常20歳で通知が来て兵になる、だから昭和20年に20歳になった人までが正規兵であるが、敗戦濃くなり、兵の戦死が大量になると、15歳くらいから志願兵を募集し始めた、そして俄かパイロットを作って、片道燃料の飛行機に爆弾をつけて敵艦に体当たりせよと命じた。

アメリカ兵をやっつけるぞ!と勇んで行った少年たちを待っていたのは、「明日死ね」という命令だった。
少年兵はどんな気持ちであったろうか、今の人間は無駄死にだとか、なぜ嫌だと言えないのかなどと言う
しかし、それは今、平和な時代に不自由なく生きている我々が今の価値観で言っていることなのだ。
私も、高校生や30代くらいまで父に、「なぜ・・・」という疑問を何度かぶつけたことがある。
その時、父は悲しそうな顔をして「俺たちのしてきたことを、ああだこうだと批判するのは辞めてくれ」と言った。
平和な時代に言いたいことを自由に言って、正論だと正義面している息子に何をどう説明しても、今死ぬかもしれない戦争の渦中での経験と思いを、お前に理解できるものかという思いだったのだろう。
確かに、この戦争の中にわが身を置けば、今思っている考えは吹き飛ぶであろう。

孫子も冒頭で、「戦争は生産性が無い消耗だけの究極の無駄であるから、侵略戦争など論外で、身に降る火の粉を払う以外はしてはならないことだ」と言っている。
だが、世界の指導者は、聴く耳を持たない、ああだこうだと言い訳して正当性を訴える、わが身に火の粉が降りそそいでいるから、その敵を攻撃するのだと言い張る。
今日も世界で戦争は続いているし、今も兵士や国民が死んでいるのだ。







お盆になりました 墓参り

2023年08月13日 13時14分21秒 | 心 思い
私が産まれてから今日まで、我が家の〇〇家の墓というのはない。
子供の頃は盆になると提灯を持って、家族で近くの墓参りに行った
それは母の実家の墓で、先祖代々の墓だった
母の実家はずっとこの地域に続いている家で、東京から流れて来た父とは違い、地元に親戚も多く根を張っている。

もっとも、母の実家(Y家)も母の両親の時、それまでのY家の血が絶えている。
母の母(外祖母)が嫁入りして間もなく子もできないうちにこのY家の主である亭主が亡くなった。
それから外祖母は明治時代の人でもあるから、この家を守っていたが私の外祖父になる人が、地元の山間部から婿入りして、私の母など4人の子が出来た。
二男である兄さんは天寿全うしたが、他の二人は幼くして亡くなったそうだ。
「らんまん」の万太郎の長女、園のように昔は子供が育つのは難しかった、それゆえに何人も子を作ったのだろう。

Y家にもどるが、そんなわけで先祖代々のY家の血脈は絶えたが、家は続いていて、新たな「シンY家」になった。
今の人は、子孫繁栄だとか、家がどうだとかいう人はほとんどいなくなった
生活様式も、家族や家の考え方も戦争で負けてからまったく違ってしまったから仕方ない。

私は今や希少な種になりつつある家系にこだわりをもつ「嫌な父であり、嫌なおじさんなのだ」
我が家もこのままいけば血脈が絶えてしまう、弟のところだけ長男が結婚して娘もできたので未来へ僅かな希望がある
それでも、昔は家名を残すために一人娘は「婿を取る」ことが普通だったが
現代は長男さえ家を出て親と暮らさない時代になったから、弟のところも期待はできない。

まあどうでもいいことだ、そういう時代なのだから
ただ言えるのは、地球上で暮らす生物、昆虫、植物は人間以外ほぼ全て、子孫を残す、子孫繁栄の為に生きている。
そのためにメスを巡る、オス同士の激しい戦いあり、犬や猫はなわばりを巡回して歩くし、侵入者が居れば戦う。
もっとも家猫、家犬の時代だから、犬猫はペット化して野生は失われつつある

昆虫や野生の生物をテレビで見るが、まさに生きるために食べ、なぜ生きるかと言えば子孫を残すことそれだけの為のように見える。
植物も子孫を残すために様々な生き方を考え、目立つように工夫している

人間だけ、どうして種の保存をあきらめたのか不思議だが、世界の人口はまだまだ増え続けている
日本人や韓国人が際立って減っている、インドなど毎年数千万人も増えるらしい、中国も一人っ子政策をしてから、減少傾向になったが、それは国の政策で国民の一人一人は日本人とは考え方が違うと思う。

いつも話は、書いているうちに思わぬ方向に行ってしまう
子供の頃の墓参りを書いていたのだった。

我が家は、父の時に子孫から墓参りしてもらうことは無くなると予測して、共同墓地を選択して、私もそれに従った。
今年も先日草刈りと墓掃除に行って来たし、14日には地元の住職にお願いして共同の墓参りを行う。
今は盆踊りもすたれてしまったが、共同墓地の前で(狭いか?)盆踊りをやれば楽しいのではないだろうか。

我が家のように、何世代にもわたって定まった墓を残さない家は珍しい
栃木県に先祖代々の墓があったはずだが、私の4代前に破産して茨城県古河に移ったので、栃木の墓を守る人はいなくなって百数十年になる。

古河の墓には父の祖母、祖祖母、祖母の再婚相手、その息子の4人が眠っている、祖母の再婚相手が建てた墓だった。
ところが、その墓も戦争を挟んで、父が今の地で必死に生活をしていたため、気が付いて寺へ行ったときには無縁墓地として処理されていた。
(寺院内の無縁仏墓碑に再埋葬)
父の人生での痛恨事の一つであった、生涯悔やんでいた。
毎年、墓も無いのに供養を願って寺に必要以上のお布施を毎年、盆近くなると
送っていた。

父が亡くなる前に私に頼んでいったので、私も父の金額は無理だが少しは送っている。
そして東京大空襲で死んだ私の祖母と、その再婚相手の墓も無い
戦後、父と祖母の再婚相手(父が養子になって継いでいる今のわが姓〇〇家の当主)の弟(父の叔父さんになる)の二人で浅草日輪寺で両親の葬儀を行った
(遺骨などは残っていないが)、その時、戒名をいただき、その位牌が今我が家の仏壇にある、これが墓がわりである。

父の母の再婚相手〇〇家が東京へ出てきたのは江戸時代で、その先祖は浜松に住んでいた、父も母が再婚して間もなく浜松へ法事に行ったそうだ
その時、商売をやっている親戚のAさんを頼りにして、私にも「〇〇家のことを知りたければ浜松のAさんを訪ねろ」と言ったのを覚えている。
その浜松の〇〇家、先祖代々の墓も、戦争でアメリカ軍の艦砲射撃で寺ごと爆破されてしまって今は亡くなってしまった。
わが一族は、本当に墓に縁が無い家なのだ。

珍しく、妹と弟が古河の寺へ墓参りに行きたいと言ったので、9月に行くことに決めた。
兄弟三人で旅行をするのは、子供の時に親が連れて行ってくれた以外では初めてのことだ。
帰りは日光で一泊して帰ってくる予定だが、兄弟三人で同じ部屋で寝るのも子供の時以来、60年ぶりくらいになる。
これが最初で最後の兄弟旅になるのか、はたまた癖になるのか?
行ってみるまでわからない。

富山平野




おしゃれな海王丸

2023年08月12日 11時44分17秒 | ドライブ
暑い中を海王丸パークへ行って来た
それでもこのあたりは35度くらいで、38度前後の新潟県よりは涼しい?

さて今日の海王丸は三連休バージョンか、お盆バージョンか、はたまた夏休みバージョンなのか、万国旗をなびかせ三角帆が今日はお目見え。
この前の日曜日にはここで大花火大会があったが、すぐ前に行ったので、さすがに連チャンは無理だった。



一回りぐるりと歩いてみたが、頭の上からガンガンと照り付ける
日陰の回廊に入って歩いても下手したら倒れそう
事務所のあるセンターに入った、ここはクーラーが効いていて展示館にもなっている
今日は中学生の港風景などの絵のコンクールの表彰作品が30数点飾ってあって
それをゆっくりと見ながら涼んだ
ここで時間を潰すにしても30分がいいところ、食堂や喫茶店もあるがガソリンがついに174円になった今、たちまち胃袋に消えるものは勿体なくて食べられない。
年金暮らしの物価高が続く今では、現役時代の私を知っている人間なら「えらくケチな人間になったなあ」と呆れるだろう。
まさに「貧すれば鈍する」なのであるが、それはそれとして今やっている行動の中で最大限楽しむようにしている。
「猛暑もまた楽し」があるはず

さてっと相棒は帰ってこないし、車のエンジンをかけてエアコンを入れて涼んでいたが、15分ほどでクラクラしてきた。
相棒に帰ろうと言いに行ったが、もう少し海を見ているという
私もテントの中の椅子に座って見た、「あれっ!」涼しい
海からいい風が流れてくる、日陰になっているから直射日光もないし
ほんと炎天下より10度くらい低い感じがする、ここは風がある普通の夏だ

これはいいわ! 座っていたらウトウトしてきていい気持ち




沖合を練習船日本丸が敦賀に向けて航海中のはず。


北信越勢一回戦で全滅

2023年08月11日 16時56分51秒 | 野球
夏の全国高等学校野球大会
早くも私のブログテリトリーの三県が甲子園から早々と姿を消した
加えて北信越の残る二県、福井、石川も敗れた。
新潟県東京学館新潟4-5市立和歌山、富山県富山商業2-3鳥栖工業、長野県上田西3-8土浦日大、石川県星稜3-6創成館、福井県北陸4-9慶応
例年なら1~2校は一回戦突破するのだが、今回は全滅だ、しかし新潟、富山はあと一歩だった。

春、夏併せたブロック別の過去の成績を見ても、北信越五県の通算勝率は新潟が最下位47位で勝率.309 富山県が45位、石川県37位、長野県34位、福井県31位と振るわない。
ついでに調べたら、次に成績が悪いのは東北六県、さすがに宮城県は19位と強い、だがそれ以外は30位以下だ。
しかし近年、青森県、岩手県が強くなってきているし、昨年の夏は、宮城の仙台育英がついに東北勢初の優勝をした。
間違いなく東北は全国レベルになっている、北信越と何が違うのか?
それを知りたい。




早朝のルーティン

2023年08月10日 09時57分52秒 | 家庭菜園
今朝も目が覚めたら5時前
最近、新しいルーティンが加わった
とりあえず顔だけ洗って、縁側に座って庭を見る
縁側と言っても3.6mのサンルームのことで網戸越しに見る
足元はひんやりとした合成樹脂の床、気持ちよい
今朝のように風があると尚更きもちがいい。

まだ起きて10分くらいだから、頭はぼ~っとしていてまとまらない
ただただ風と朝の香りに身を任せている

外は一面の緑で、その緑が油絵のように定かでない輪郭をぼかしている
目を上に向けると、まだ陽が差さない青空は薄い青で、これもまた百日紅の朱色をぼかしている

そんなことを思いながら、ぼさっとしているうちに
少しずつ思考回路が働きだす
(風が強い いつになく強い ・・台風 )そうか台風が来るかもしれない
今、畑にはネットからぶら下がった中玉のスイカやメロンがいくつかある
細い茎にしがみついていて、台風が来ればたちまちもげてしまうだろう
台風雨の中での作業はできない、ではいつやる 「今でしょ!」

そう思ったら、もう立ち上がって、作業ズボンに履き替え、長袖シャツを着て
腰に蚊取り線香をぶら下げて、ネットの中に居た

最初に赤く輝いているトマトを3ケ、それからナスを2ケ収穫
手探りで蔓をたどって、いらなくなった蔓を切っていく
だいぶすっきりした
それからキュウリの枝に行ってみると、もうキューリは1本しかなっておらず
それも成長は危うく見えた
それで今日、キューリの処分をすることにした、大きな葉から切り落とし
太い蔓を切り、とうとうネットの上を覆っていたキューリの葉は無くなった
「ありがとう ありがとう」と何度もいいながら切った
始めて収穫の喜びを教えてくれたキューリに感謝だ
旨く育てれば木1本でキューリ100本収穫できると聞いて励んだ

100本には届かなかったが80数本獲れた
最後は処分に四苦八苦したが・・・今朝も浅漬けにして2本を一人で食べた

スイカの葉や茎に蟻が居るので、葉の裏を見たらやはりアブラムシが湧いていた
酷い葉は切って踏みつぶした、それから木酢液のちょっと濃い目を徹底的にスプレーした。
確認したら一応何もいなくなった、スイカもメロンも空中にいるのは地上におろすことにした
しかし蔓やネットが絡み合って、容易にうまくいかない
メロン2ケはなんとか地上におろしたが、スイカは一つもうまくいかず、なんとか落ちないようにいろいろやってみた。

ようやく作業を終えて、時計を見たら7時だった
1時間半ほど作業していたことになる、だが今朝は汗をかかなかった
やはり風が吹いていたのが良かった

「暑い 暑い」と騒いでいても、あと1週間もすれば風も季節も変わる
そして暑かったことなど忘れて「早く秋晴れになればいいのに」などと言いだす。
まさに「のど元過ぎれば熱さ忘れ」なのである。




















医者通いの夏

2023年08月09日 09時09分17秒 | 病気と健康
今年の夏は連日35度が見える猛暑の夏だ
この先、お盆までこの天候は続くらしい
まことに不快ではあるが、澄み渡った青空と庭の百日紅の花とのコントラストを見ると、小学生時代、毎日、海岸へ泳ぎに行った時の、あの空と同じだと思った。
違うのは毎日の気温だ、連日の35度、37度はあきらかに人間の果てしない欲望が作り出した人工物だ
私も批判する側に回れない、一日中まわしているエアコン、毎日乗っている車の排気、洗い物で使った洗剤を流し、自然を破壊している。

こんなマイナスのスパイラルが地球を壊し始めている
環境破壊に反対する少女が世界を駆け巡ったが、大人たちはせせら笑っている

私も世界観より自分の体の始末に追われて暑さにかまけている
こんな毎日は高齢者には厳しい、散歩も楽しめない照り付ける太陽
風もない日は、クーラーが無い部屋は35度越えでとても住めない
結局、エアコンをかけて閉じこもる、ずっとエアコンの効いた部屋にいるから
これはこれで体に悪い、体が冷えてくしゃみが出るし、鼻水も出る

私も6月末に37度台の微熱が5日続き、医者に行ってコロナとインフル検査でセーフだが、夏風邪のよう。
熱が治まったら今度は咳が出て、また医者へ行った、半月ほど激しい咳が続いて
ようやく最近静かになって来たが、まだ完全ではない。
熱が無いのでコロナの心配はないが、咳が出る人間に近づきたい人はいないから困る。
そして今月の入ってまもなく、咳は良くなったが、今度は舌の付け根に口内炎が出来て、食事の時に痛くて難儀する
自然治癒を思ったが治らず、今日三度目の医者へ行って来た
受付の看護婦も「今日はなんですか?」

やはり口内炎で、塗り薬をもらったが、昔ならヨーチンみたいなルゴール液ですか、あれを塗ってもらってお終いだったが、今はコロナが怖いのか口の中の治療はあまりしないようだ。

ついでだから、咳の方も気管支が心配だから一応濁したら、
聴診器で調べた、いつもより長く調べてる、そして「左の方が少し狭くなっているようだ」と人生で初めて聴診器診断のコメントを聞いた。
気管支への吸引の粉薬をもらった、インフルのリレンザのようなものだ。
やはり73歳になって体の調子が下がっているのを感じる、今まで風邪やインフルでも5日で治ったが、今は一か月たっても不調のママだ。
自然治癒能力が落ち、さらに薬の力を借りてもなかなか治らない

そのほかにも飲み薬を3種類くらいもらって、前の薬が終わると新しい薬をもらう繰り返しは続いている。
この暑さが続く限り体調不良が続く気がする、他人に迷惑をかける症状は無くなったが、健康体ではない。
それなのに8月は行事が多い、いろいろな集まりや飲み会もある、法事のこともあるし、海岸清掃、墓地の草刈りなど共同作業さまざまだ。

帰宅して、炒めたキャベツをどっさり、ネギ、ピーマン、ベーコンを入れて、ガーリック、チリペッパーで味付けした味噌ラーメンを作って食べた。
そのあと15時前に昼寝をしたが、目が覚めたらもう18時前だった、ずいぶんぐっすりと寝たものだ
最も医院でも待っている間に椅子に座ってしばらくウトウトして、看護婦に呼ばれるまで気が付かなかった。

1週間くらい前に魚屋の先輩が86歳で亡くなり、今朝の新聞を見たら70歳の後輩の魚屋亡くなっていた、心臓病だそうだ。
一緒に入院していた人が、「5日前に退院していったのを見送ったのに」としょげていた。

こんな暑い時は病気になれば高齢者はイチコロだ
医院には患者が大勢待っていた、いつもより30分以上待たされていると、隣に座ったおばあさんが私に嘆いた。
隣町では医院が次々に廃業して無くなったから、ここまでバスで来ていると言った、わが町も酷いと思ったが、そんな町を頼りに隣町から来る人もいる
町医者がそこそこあるわが町は、まだ良いのかもしれない

待合室の患者の8割が女性で、8割が私より高齢の方たち
私と同じくらいの女性が付き添いと来て、看護婦が「どんな具合ですか」と聞くと「頭がふらふらして立っていられないです」と言っていた、何かは知らないが、この暑さ続きでは私もふらふらしそうになる。

玄関からストレッチャーに乗せられた男性が入って来た、目の前で止まったので見たら、90歳前くらいだろうか教養がありそうなおじいさんだった
脱力していて何も話さないし、目は閉じていた、たしか老人を最後まで預かる医院だったのを思い出したが、もうやっていないと思ったが・・・

私たちが世話になった、市内トップの会長さんが寝たきり老人になって、この医院の相部屋で人生を終えたのを思い出した。
大金持ちでも、そんな最後もあるのか?と思ったが、ほぼ意識のない本人は超高級の老人ホームで最期を迎えようと、ここで迎えようとわからなかっただろう。
だとすれば、家族は賢い選択をしたのではないだろうか。






超人対決 凄いのは大谷選手か金田正一投手か?

2023年08月08日 11時08分16秒 | 野球
エンゼルス、マリナーズに4連勝と思って期待していたのに、4連敗とは
それも接戦を落したり、クローザーで逆転負けを喫したり
まったくいいところなく連敗、連続では6連敗ですか?7連敗ですか?
貯金どころか、借金生活でワイルドカード争いも参戦が難しい状況ですね。

大谷選手もエンゼルスがワイルドカードから遠のけば無理せず、10勝2桁したら、もう打者に専念した方がいいかもしれません
どう見ても疲労ですね、集中力が途切れて思わぬ大けがをしたり、肉離れで戦線離脱とかになれば痛いですから。
相当無理がかかっていると思います

無理と言えば昔の西鉄の鉄腕稲尾和久投手 「神様 仏様 稲尾様」と言われた人
「村神様」の元祖みたいなネーミングです。
その稲尾様、良いところは8年で終わっています(8年間で524試合登板、244勝92敗、暗算なので間違いあるかもしれませんが)
この登板数はほとんど先発でキツイと思いますが、それでも投手専門で2試合に1試合は休んでいる勘定ですよね

私が小学生の時からファンだった34番、金田正一投手は、当時の国鉄スワローズのエースでチーム勝利数の半分くらいを稼いでいた。
国鉄はセリーグの中で毎年最下位争いを続ける弱小チームで、リーグ優勝などしたことが無い
そんな中で孤軍奮闘する姿は、エンゼルスの大谷投手と重なる。
優勝の喜びを味わいたいと、最後の5年間を巨人で過ごした、最後の5年間で47勝あげているから、最初から常勝軍団巨人にいれば500勝まで行ったかもしれない。
だが名投手が多い巨人なら、当然登板間隔も空くだろう、それでも勝率が上がるから、やはり500勝行ったかもしれない。
 
国鉄で14年連続で20勝から30勝を続けた金田正一さんは年間登板数も14年間は、44~68試合で(たぶん年間試合数は130くらいだと思いますので絶頂期は5試合に2試合くらいの登板)年間最多登板は68試合、60試合以上が4回 50試合以上が11年ありました。
1950年から1969年まで20年間で944登板、400勝298敗という特別な超人です。(デビューが私が生まれた年、最後の年は社会人1年目)
Wヘッダーで1試合目先発完投、2試合目リリーフで出るなんてことも珍しくなかったらしい。

打撃も調べたら、生涯打率.198 2054打数 406安打 本塁打38 53二塁打 8三塁打 盗塁7 四死球111
年間最高打率は.275 長打率.425 120打数33安打 本塁打3 打点11 6四死球
登板の無い日に代打で出場することも。 年間最多本塁打は6本
因みに 
堀内恒夫投手 .172 本塁打21 盗塁0 1010打数 174安打 203勝139敗
星野仙一投手 .205 本塁打15 盗塁1 654打数 134安打 146勝121敗 
桑田真澄投手 .216 本塁打7 盗塁0 890打数 192安打 173勝141敗 

生涯打率では星野、桑田が金田さんを上回っているが、その打数と安打数では
圧倒的に金田さんの数字がでかすぎる。 勝利数敗戦数でも金田さんのビッグは際立っている。


一方、大谷選手は162試合のほとんどを休まないですからね
どちらが優れているかは、大谷選手が今の成績をこの先、何年続けるかで
決まるのでしょう。

私は日本人史上最高の選手は、大谷選手、イチロー選手、金田選手
+(王選手=台湾?)だと思っている。