古事記に曰く「豊国の宇沙に到りましし時、その土人(くにびと)、名は宇沙都比古、宇沙都比賣の二人、足一騰宮を作りて大御饗獻りき。」
日本書紀に曰く「筑紫の国の宇佐に着いた。すると宇佐の国造の先祖で宇佐津彦、宇佐津姫と言う者があった。宇佐の川のほとりに、足一つあがりの宮(川の中へ片側を入れ、もう一方は川岸へかけて構えられた宮か)を造っておもてなしをした。」
当然ではあろうが俄には信じがたい。建造物があまりにも真新しくとってつけたようである。発掘した結果なのだろうか。2700年ほども前の話になってしまうのだから慎重を期さねばならないのは当たり前だろうに。神宮案内図には載ってないしな。宇佐神宮を神格化せんとしているようにしか思えん。これはいただけぬ。