タイガーロープに沿って登って行くと・・・
墳頂の様子
付け加えておかねばならないことがあった。九州最大級と言われる久留米地方に所在する権現塚古墳は二重の周濠を含めたところで径は150mあまりもあるのだが、その主墳だけの径は55mである。今でこそ鬱蒼とした森にしか見えないが、その当時は海上から一目瞭然、大和連合の一員としての国の所在を明らかにしたランドマークであったろう。もう一基小熊山古墳が近くに所在するのだが、これは全長115mの前方後円墳でやはり海岸べたの丘陵上に4世紀中頃に築造されており、大和政権が樹立して間もないころからの連合国の一員として強い絆で結ばれていたようである。やはり森の木で覆われているため全体像が見えないのは残念ではあるが、あの亀塚(全長115mの前方後円墳)と規模ともに類似しているので多少は想像できるかもしれない。この様に国東半島南部の海岸沿いに2基の大型の古墳が海上から確認出来るように、しかも小熊山古墳から御塔山古墳までの期間は50年ほどの隔たりだが、近接して築造されている。このことは大和連合国の一員であることを強調しているのではないのだろうか。