牧ノ原古墳群(宮崎県)
ご存じの様に宮崎平野部に展開する古墳群はあまりにも有名である。内陸部に関して言えば大淀川上流域の都城盆地の牧ノ原古墳群(高城町)塚原古墳群(高崎町)に限定されて存在する。前方後円墳1号、3号、6号を含み円墳10基が所在する。ただね、見ることが出来るものとそうでないものとがあるのでマナー、ルールを守って見学を。
当該ブログの記事は令和2年(2020)10月22日から29日までである。
牧ノ原古墳群(宮崎県)
ご存じの様に宮崎平野部に展開する古墳群はあまりにも有名である。内陸部に関して言えば大淀川上流域の都城盆地の牧ノ原古墳群(高城町)塚原古墳群(高崎町)に限定されて存在する。前方後円墳1号、3号、6号を含み円墳10基が所在する。ただね、見ることが出来るものとそうでないものとがあるのでマナー、ルールを守って見学を。
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この地図画面左の上になるが、田野浦と言う地名がある。その沖の波穏やかな海域に平家の軍船800余艘が集結していた。平家の大将は平知盛である。
一方源氏がたは大将の源義経は既に長門国を抑えていたので櫛崎の沖合に集結していたと言われている。
向うに見える二つの小さな島がお判りになるだろうか。小さな方が干珠で、もう一方が満珠である。
源氏の軍船が集結したのはこの干珠、満珠の辺りである。