八景山山麓古墳群 (福岡県)
当該地域は古墳時代~奈良時代(5世紀~8世紀)にかけて広大な墓域であった。6世紀後半から7世紀初頭にかけて古墳が築造されており、確認された時は13基ほどであった。しかし、道路敷設によって一部が削られているが現在は7基が保存されている。ただ石室の痕跡が判るほどのものが残されており9基ほどになるだろう。有力な家族の奥津城ではと思ったが、それでは考えられない副葬品が検出されており、そうなると地域を治めた首長であり、またその関係者の墓域であったと思われる。
当該ブログの記事は令和5年10月30日から11月9日までである。
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