44年前の今日 昭和49年8月24日 曇りのち大雨 台風15号
塩浸温泉 牧園 林田温泉 えびの高原を越え加久藤へおりた。もうすでに土砂降りであった。当時道路は舗装されておらず登坂が加久藤峠まで続いていた。峠を越えると道はいよいよ狭くなり、未舗装の上雨によりぬかるんでいた。そこに大型車が来る。我輩は自転車を抱くようにして道の端できわどくやり過ごさねばならなかった。人吉の境まで来ると道は舗装され雨も小降りになった。五木山の方角を見ると黒雲がとぐろを巻くようにして山に覆いかぶさっていた。塩浸温泉を出て人吉に着いたのは9時間後である。泊地は人吉旅館つくしで英気を養うには十分な旅館であった。
新田原古墳群(宮崎県)2015
新田原古墳群とは祇園原、山之坊、石船、塚原の四地区に所在する古墳群の総称である。全体では前方後円墳25基を含む207基であり、西都原に次ぐ規模である。古墳時代後期に築造された奥津城である。特に祇園原に150余基集中している。良いところだから絶対おいで。
当該ブログの記事は平成27年(2015)12月28日から平成28年(2016)1月22日までである。
44年前の今日 昭和49年8月23日 金曜日 快晴のち晴れ
友人の家を出るときお母さんが弁当を作ってくれていた。それがまた一昨日収穫したお米だったからな美味しかったな。それと葡萄も持たせてくれた。丁寧にお礼を言って家を後にした。吹上、谷山、西鹿児島駅、桜島フェリー、袴腰、鳥居が半分以上火山灰で埋まった黒髪神社で弁当だ。水も十分にあったからな。国分、塩浸温泉が泊地で木賃宿だ。温泉に浸かってあとはただ寝るだけだからな。
生目古墳群(宮崎県)
生目古墳群は1号、3号、22号が4世紀中ごろからの築造となり22号が5世紀に入るか入らないか位であろう。3号はこの時期における九州最大である。流石日向と言うべきか。また、1号は前方部が撥形で前期古墳の範疇にある。
ただ、1号にはどうやって行くんだ。道が無いぞ。3号なんぞは140m級だから大きすぎて遠くから見ないと判らないよ。
当該ブログの記事は平成28年(2016)1月24日から2月6日までである。
44年前の今日 昭和49年8月22日 木曜日 晴れのち曇り
根占港から錦江湾フェリーで山川まで。トビウオが並走していた。加世田に大学の友人がいるのを知っていたので先ずは出身高校に電話して住所を教えてもらうことにした。今ではとんでもないことかもしれないが理由を述べると丁寧に対応してくれ感謝の一言だった。泊地をそこに決め自宅に向かうと本人は大阪に行って不在だったのでどこか別に泊地を求めようとしたのだがご両親が是非にでも泊って行きなさいとおっしゃってくれたのは有難かったな。その晩は上げ膳据え膳で感激したものだ。後日談ではあるが、彼の兄さんに男の子が生まれたのだが、その名前に我輩の名前を付けたということだった。
本庄古墳群(国富町)(宮崎県)
古墳群の中に町をつくってしまった。この様な町は日本の中ではそうそう見つけることは出来まい。車を国富町役場の駐車場において(自由に置いていいとのことだ)自転車で街中を巡る。と言うよりは古墳群を巡るのである。家の脇に、学校の運動場に、駐車場の脇にと面白い町、いや古墳群なのだ。ただ、石室を持たないのは残念だがな。一時間〜二時間もあれば十分ではないかな。再訪しようと考えているがこの町に宿をとって歩いてみよう。
当該ブログの記事は平成28年(2016)2月20日から3月16日までである。