ようやく長かった一週間が終わろうとしている。こちらでも、結構たいへんだったが、避難されている方々に比べれば、比較にならないほど恵まれている。
余震は、まだ続いているが、より深刻なのは、引き続き、原発だ。とにかく、この3連休で、どうにかならないか。
昨日の新聞で、仏教学者の山折さんの「無常」受け止めるという記事が載っていた。山折さん自身、花巻出身で、まだ連絡のとれない親類が、岩手、宮城にいらっしゃるという。
「無常」というのは、仏教用語だ。この世の現実全ては、移り変わるものという考え方で、平家物語の冒頭の言葉としても有名だ。
山折さんは、その記事の中で、「残念なことですが、私たちの力では、みなさんの哀しみを取り除くことは、できません。哀しみを完全に共有することはできないのです。でも、みなさんに寄り沿うことはできる。哀しみをかかえたまま立ち直って行くことはできるのです。それは、みなさんと「無常」を受け止めていくことだと思います。」と述べている。
日本では、この大災害の中で、暴動や、騒乱などは起こっていない。どこかの国と大違い。残念ながら、空き巣や、車上荒らしは、増えているようだが。
これについては、神戸の時にも、話題になったが、海外でも注目されている。
山折さんの記事を読んで、日本人の心の底にある仏教の教えが、こういった極限状態の中で、行動に反映されるのではと感じた。
仏教は、極限状態まで自らを追いこんで、修業をした仏陀が編み出した教えだ。このような環境下で、より輝きを増すのかもしれない。
こんな物質文明のど真中(Living in the Material World)の生活をしている日本人の心の底に、仏の教えが息づいている。
余震は、まだ続いているが、より深刻なのは、引き続き、原発だ。とにかく、この3連休で、どうにかならないか。
昨日の新聞で、仏教学者の山折さんの「無常」受け止めるという記事が載っていた。山折さん自身、花巻出身で、まだ連絡のとれない親類が、岩手、宮城にいらっしゃるという。
「無常」というのは、仏教用語だ。この世の現実全ては、移り変わるものという考え方で、平家物語の冒頭の言葉としても有名だ。
山折さんは、その記事の中で、「残念なことですが、私たちの力では、みなさんの哀しみを取り除くことは、できません。哀しみを完全に共有することはできないのです。でも、みなさんに寄り沿うことはできる。哀しみをかかえたまま立ち直って行くことはできるのです。それは、みなさんと「無常」を受け止めていくことだと思います。」と述べている。
日本では、この大災害の中で、暴動や、騒乱などは起こっていない。どこかの国と大違い。残念ながら、空き巣や、車上荒らしは、増えているようだが。
これについては、神戸の時にも、話題になったが、海外でも注目されている。
山折さんの記事を読んで、日本人の心の底にある仏教の教えが、こういった極限状態の中で、行動に反映されるのではと感じた。
仏教は、極限状態まで自らを追いこんで、修業をした仏陀が編み出した教えだ。このような環境下で、より輝きを増すのかもしれない。
こんな物質文明のど真中(Living in the Material World)の生活をしている日本人の心の底に、仏の教えが息づいている。