震災から2週間たった。まだ原発は、落ち着かない。驚いたのは、被爆者が、普通の靴で、作業をしていたことだ。それで、また作業が遅れて、被害が広がって。もちろんお気の毒なのだが、万全の態勢で、万全の対策を講じて、早くこれ以上の悪化はないというところまで、早く持っていって欲しい。もうtoo late なのだが、too too late にならないように。
百寺巡礼の第九巻は、京都Ⅱ。流石に、有名なお寺で、行ったことがあるお寺も多いのだが。
歴史上有名なお寺、宗教上有名なお寺、庭が奇麗なお寺、巨大なお寺。いろいろ取り上げられているが、一番雰囲気のあるお寺は、三千院?私見だが。
見所も多いが、印象に残っているのが、往生極楽院の阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩だ。藤原時代の代表作というが、その姿は独特である。今にも、これから立ちあがって我々を極楽に連れて行ってくれそうだ。
大和坐りと呼ばれているが、五木さんは、この大和坐りという言葉は新しく、本来の倭座(やまとずわり)は、しゃがむ姿勢だったという。そもそも倭人という意味は、背が低くて前かがみの姿勢で、なにかというとしゃがみこみ、そこで仲間を話をはじめる習慣をもつ人々のことなのだそうだ。それに対して、あぐらは胡坐。胡は、もちろん西域を表す。正坐という坐り方は、千利休の時代からと言われるほどで、ずいぶん新しいらしい。
そうこう考えると、この仏様の姿は、ますます興味深く思えてくる。
本を読んで、訪れて、もう一度読むと、味わい三乗?
百寺巡礼の第九巻は、京都Ⅱ。流石に、有名なお寺で、行ったことがあるお寺も多いのだが。
歴史上有名なお寺、宗教上有名なお寺、庭が奇麗なお寺、巨大なお寺。いろいろ取り上げられているが、一番雰囲気のあるお寺は、三千院?私見だが。
見所も多いが、印象に残っているのが、往生極楽院の阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩だ。藤原時代の代表作というが、その姿は独特である。今にも、これから立ちあがって我々を極楽に連れて行ってくれそうだ。
大和坐りと呼ばれているが、五木さんは、この大和坐りという言葉は新しく、本来の倭座(やまとずわり)は、しゃがむ姿勢だったという。そもそも倭人という意味は、背が低くて前かがみの姿勢で、なにかというとしゃがみこみ、そこで仲間を話をはじめる習慣をもつ人々のことなのだそうだ。それに対して、あぐらは胡坐。胡は、もちろん西域を表す。正坐という坐り方は、千利休の時代からと言われるほどで、ずいぶん新しいらしい。
そうこう考えると、この仏様の姿は、ますます興味深く思えてくる。
本を読んで、訪れて、もう一度読むと、味わい三乗?