かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

奈良の旅

2011年03月10日 | Books


面白い本を見つけた。松本清張さんが書いた奈良の旅の本が復刻されたものだ。元の本は、1984年に発行されたらしい。どの程度復刻にあたって手が加えられたかは、わからないが、写真などは、新しいものも使われている。

奈良の見方、切り口が、巷の奈良紹介本とは、全然違う。
いろんな伝説を嘘と断じたり、庶民に伝わる儀式や生活をこまごま書いたり、メジャーなところとニッチなところを、同じスペースを使って紹介したりしている。
だから、奈良通と思っている人も読む価値は、十分ある。必ずどこかに新発見があるだろう。

法華寺の十一面観音は、光明皇后の姿を映したもの伝えられる。私も、1対1で、じっくり拝まさせていただく機会を得たが、それは美しい観音様であった。これには言い伝えがあって、インドの健陀羅(がんだら)国の見生王(げんしょうおう)と言う人が、生身の観音様を拝みたいと願ったら、光明皇后を拝むといいというお告げがあり、門答師を日本に使わし、光明皇后の入浴中を垣間見て木に彫ったのだという。一挙に三体の像を彫り、一体は、これで、一体は、インドに持ち帰ったという。全く無茶苦茶な言い伝えで、清張さんも、全くのウソと断じている。では、何故こんな話を載せたかというと、のぞき見趣味が、日本に古くからあったということを証明するためなのである。ユニークだ。シモネータ絡みの話は、他にも多々出て来る。

昨年は、奈良平城遷都1300年で盛り上がったが、その中心となったのが、平城宮跡。近鉄線が通った以外は、きれいに原っぱで残っているが、偶然残ったものではなく、残そうという努力があったことを本書で、知った。奈良の大工の棟梁であったという。その棟梁がいなかったら、大極殿の再建は、できなかったかもしれない。そんな紹介は、昨年の祭りの時は、されていなかったが。
そして、礎石が残っていない理由も。郡山城を作る時に、持って行ってしまったらしい。清張さんは、洞ヶ峠で有名な筒井順慶が犯人であると推理している。本書には、清張さんの推理も各所に盛り込まれている。

昨年4月は、吉野の桜を満喫したが、古いものではないらしい。その証拠に万葉集、懐風藻には、吉野がたくさん出て来るにもかかわらず、桜は、出てこないという。桜は、蔵王権現の聖木として保護され、後に、桜の苗木を奉納することが功徳があると信じられたのだという。奉納が一番盛んだったのは、足利時代だった。

25年以上前の本だが、今尚、多くの新鮮な発見ができる本だ。
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