かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

奈良京都 空白を埋める旅その5 開化天皇陵・船宿寺

2013年12月07日 | Nara ( Japan )
今日は、ゴルフだった。好天に恵まれたものの、スコアは、平凡。残念。



奈良二日目は、意気揚々と、朝もはよから、葛城の道へ。
いきなり、鹿が。
朝は、鹿ものびのび道路を歩いている。



JR奈良駅へ三条通りを歩いていったら、古墳を見つけた。
何度も通っているのに、今まで、気付かなかった。
開化天皇陵という。
調べたら、第9代。BC208年からBC98年に生きた方。流石に、200年生きるというのは無理だけど、だから実在しなかったとも言えない。
平城京を作った時には、すでに古墳があったのだろうが、取り壊されることはなかった。
その時点で、何らかの伝承はあったのだろう。



奈良駅には、リニアの宣伝が。まだまだ先だが、リニアは、京都でなく、奈良を通って、大阪に抜ける予定。



JR奈良から、昨日も降りたJR王子へ。そこからさらに、JR御所へ。
のどかな2両編成の、ディーゼルだ。



御所駅も、のどか。御所駅から、近鉄御所駅へはすぐ。バスの発着は、近鉄御所駅からになるが、本数が少なく心配していたが、ちょうど観光シーズンということで、臨時バスが出ていて乗った。
でも乗客2人。ボランティアのおじさんが、いろいろ資料をくれた。葛城の道を、観光地に盛り上げようと頑張っておられるのだと思う。
葛城の道は、日本書紀が作られた時点で、すでに記録が消されてしまっていて、よく実態がわからなくなってしまっている。
それだけにミステリアスとも言えるのだが。
御所付近が、葛城の道の北の終点になるので、バスで、まず南の終点近くにあるかもきみの湯という施設まで行き、近くにある船宿寺に行った。
このお寺は、厳密にいうと、葛城の道のルートには入っていない。



案内版によれは、”船宿寺(せんしゅくじ)は、奈良時代の神亀(じんぎ)年間、行基(ぎょうき)菩薩が山中の船形岩の上に薬師瑠璃光(やくしるりこう)如来をまつる庵を建て、船宿寺と名付けたのがはじまりです。寺内には、遠州流の池泉(ちせん)回遊式庭園があって、季節にはさまざまな花が咲きます”と紹介されている。



こじんまりとしているが、綺麗になっており、お坊さんの苦労がうかがわれる。
季節毎の花も、お坊さんの努力の賜物なのだろう。



回遊式庭園。



お寺を後にする時に、正装した御坊さんが出られて、庭を説明してくれた。咲いていた花は、冬牡丹というそうで、咲いたものを残して、ほとんどつぼみを摘んでしまうのだという。
そうすると、春にしっかりした花を咲かせるそうだ。
いいお寺だった。
コメント
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