かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

お伊勢詣り その3 明治村

2016年04月05日 | Other Western Japan


明治村も、たぶん、学生時代、2回行ってって、今回が3回目。
ただ、その間、見聞を広めてきた甲斐あって、味わいも深い。
明治村も充実度を深めており、相乗効果。
この門は、第八高等学校(今の名大)のもの。



乗り物券がついていて、汽車を選択。
この12号は、何と、1874年に輸入されたもので、新橋♂。浜間を走っていた。1957年まで現役だったそうで、すごいことだ。



目玉の帝国ホテルロビー。
学生時代は、なんでこんな古びたものをと思ったが、今は、何でこんなすばらしい建物を壊すことができたのかという気持ち。
本当に美しい。
当然、シカゴで、ライトの若い頃の建物を見歩いたこともある。
間違いなく、ライトの晩年の傑作だ。



中で、本書が売っていたので、ゲット。
解体時の調査記録書だが、驚異的な建物の詳細が明らかにされている。
ライトファン、建築ファンには、絶好の書。



中から外を見ると、こんな感じ。
映画の一シーンを見ているようだ。
中の喫茶店は、今も帝国ホテルが運営している。



明治村の丘を、陸蒸気(おかじょうき)が走る。
絵になる。
手前の建物は、金沢にあった監獄。
中の様子も再現されていた。



中央の看守所を中心に、五方に、監房が伸びていたという。



帝国ホテルの前には、池があり、建物が取り囲んでいる。
塔のように見えるのは、日本橋にあった川崎銀行本店。
手前の灯台は、広島県の小那沙美島のもの。
見える橋は、隅田川新大橋。新と言っても、できたのは、明治45年。
その左上は、内閣文庫と言って、皇居の中にあったのだという。



食事券もついていてその内の一枚を、品川硝子製造所にあるバーで使用。
これは、エレキブランと言って、ブランデーらしいが、当時は、新しいものにみなエレキという名前をつけたそうだ。



これは、西郷従道邸。西郷隆盛の弟である従道が、上目黒に建てたものという。
明治10年に建てられたというが、外交の場としても活用されたのだろう。



きりがないので、明治村は、これぐらいにするが、環境も最高で、すばらしい空間だった。
夜は、ひつまぶしの店に行ったが、長蛇の列で諦めて、これも名古屋名物である手羽の店に
いった。
手羽の食べ方にもいろいろあるそうで。



ホテルからの名古屋の夜景。
濃尾平野が広がる。


コメント
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