かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

澁澤榮一生誕の地・深谷その② 鹿島神社・尾高惇忠生家

2021年06月16日 | Other Eastern Japan

今日は、梅雨空。
天の恵みに感謝しなくてはならないのだけど、うっとおしい。



澁澤榮一記念館からすぐのところにあるのが鹿島神社。



ここにあった井戸で、澁澤栄一の母のエイは、ハンセン病の患者の背中を流したという。
それが、澁澤栄一が後に、慈善事業に取り組むきっかけになったという。



尾高惇忠の功績を讃えた碑。
上の篆額は、徳川慶喜によるもの。



拝殿。
武甕槌命を祀っている。



澁澤栄一の揮氓ノよる扁額。
これと同じ書体の掛け軸が、なんでも鑑定団で、70万円と評価されていた。
晩年、澁澤栄一は、揮氓ノも取り組み、多くの書がのこされている。



葱畑。
もう旬の時期は過ぎていた。



そして訪れた尾高惇忠の家。
10分ぐらいで、説明してくれるとのことだったが、バスの時間が迫っていたので、割愛。
この2階で、挙兵の密儀を行ったとされる。
あそこで、横浜焼き討ちでもしたいたら、澁澤栄一のその後はなかった。
とにかくスリル満点の青年期を過ごした。



江戸時代後期の建物という。
尾高惇忠は、澁澤栄一の従兄で、論語を教えた人物だが、後に富岡製糸場の工場長となる。



昔の家は、みなこうだった。



煉瓦造りの土蔵。
日本煉瓦製造の煉瓦が使われており、明治21年以降の建築とわかるという。



バス停のところにあった説明板。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする