かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

ハウステンボス・長崎 異国情緒の街 その12 長崎新地中華街・崇福寺

2021年06月06日 | Other Western Japan

今日は、降ったりやんだりの中、ゴルフ。
いいショットもあったが、全体的には、いまいち。



早くもランチタイムとなり、長崎新地中華街へ。
横浜中華街よりは、全然小さいが、もうあまり華人は住んでいないのだろうか。



発祥の店ではないが、有名店だる会楽園でちゃんぽんをいただいた。
鶏ガラスープと豚骨スープを、7:3の黄金比率でブレンドするという。



こちらは、昨日もいただいた東坡肉(トンポーロ)。
蒸し饅頭でサンドしていただく。
こちらも絶品。



新地中華街を抜けたところに、唐人屋敷跡がある。
跡というだけあって、あまり生活感はなかった。
1689年に来航した中国人居住地として整備された地区という。



入り口近くにあるのが、この土神堂。
1691年創立で、土神とは、土地の守り神で、豊作の神様という。



天后堂。
1736年に舟神である天后生母(媽祖)を祀ったのが始まりという。
華人にとって、媽祖様は、大事な神様で、横浜中華街にも立派な媽祖廟がある。



こちらは、観音堂。
中に入れなかったが、1737年頃に建立され、商売の神様である関帝様などが祀られているという。
横浜の関帝廟と同じ位置づけなのだろう。



こちらが福建会館。
1868年に建てられた会議堂という。
台湾にも、シンガポールでも、福建省出身者が多い。



唐人屋敷跡を一通り回ってから、崇福寺へ。
実は、前日行った八坂神社の近く。
前日はスルーしていたのだが、中に国宝のお堂もあることを知り、訪れることにした。
門がまずユニーク。
1629年に福建省出身の華人が、超然を招聘して創建した。
門からして唐様だ。
1849年建立で、重要文化財。



第一峰門は国宝。
1644年建立。
日光東照宮ほどではないが、彫刻が細かい。



大雄宝殿。
こちらも国宝。
1646年に建立という。
黄檗宗のお寺で、黄檗宗のお寺は、京都の萬福寺以来。



この巨釜で、飢饉の時、米を炊いてふるまったという。



護法堂。
1731年建立。
重要文化財。



媽祖堂。



中央に、媽祖神が祀られている。

コメント
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