かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

The Beatles Family

2022年10月03日 | The Beatles
今日もいい天気。 このような天気が続いてくれるといいのだが、昨今の異常気象続きでそうもいかない。



またまたまた、珍品ゲット。
これは、ビートルズのサイン入りブロマイド。
もちろん、サインは、コピー。
コピーサインの色が、青いのが当時らしい。



そして、裏のサインが珍品。
何の機会か、調べようとしたが、わからなかったのだが、たぶん、1965年頃の何かのパーティか、イベントの機会に、なされたと思われるサイン。

一番上が、Mimi Smithさん。
ジョン・レノンのおばだが、ビートルズの成功に大きな影響を及ぼした人物。
ジョンの母のジュリアが亡くなった後、ジョンの面倒をみていたが、やんちゃなジョンに相当苦労した。
ジョンに最初にギターを買ってあげたのは、私だと言っていたが、実は、ジュリアだったらしい。
とにかく厳格なタイプで、ジョンの音楽活動にも、女性関係についても、注意をし続けたと言われている。
後に、ジョンは、感謝し、継続的に、資金を提供し続けた他、亡くなる前は、毎週電話をかけていたという。
まさに、ジョンの性格形成に大きな影響を与えた人物と言える。

その下の2つのサインは、ジョージハリソンの両親のサイン。
ジョージの両親は、ジョージの音楽活動支援に熱心で、ファンサービスにも協力している。
私も、2人のサインはすでに持っている。

その下のサインは、大きくなされているのだが、誰ものもかわからない。
住所は、66 Warren Drive Wallasey と読める。

その下は、Owen Mokin 氏と読めるが、パラダイスストリートのイーグルホテルの人らしい。
ホテルは調べて、見つからなかったが、パラダイスストリートは、リバプールの中心部の通りの名なので、そのホテルで、何かの催しがあったものと思われる。

その左下は、Judith Durhamさんのもので、当時、彼女が属手していた、Seekersの名もある。
元々オーストラリアのグループだったが、1964年から1966年にイギリス、アメリカで、人気を博し、ビートルズと共に、NME Poll Winners Awardsに出演したり、エドサリバンショーに出演したりした。
NME Poll Winners Awards1965年4月11日のことで、このサインもその時のものかもしれない。

右上のサインが、また珍品で、リンゴの母であるElsie Starkeyのもの。
リンゴの実の父親とは離婚し、Harry Gravesと再婚していたが、まだ前夫のStarkeyを名乗っていたのか。

右横のサインは、役者のRobertson Hareさんのもの。
Hare さんは、1891年生まれだから、当時は、70歳代だったろう。
戦前から活躍していたが、当時は、コメディ映画などに出演していたようだ。

ということで、もう少しサイド情報が欲しいが、The Beatles Family が、1枚の紙にサインしているということで、貴重。
ビートルズの親たちは、それぞれの想いで、4人を応援していたことがわかる。

コメント
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