クレムリンから西側に行くとアルバート通りがある。歩行者天国になっていて、季節のいいこの時期、多くのロシア人、観光客で賑わっている。
土産物屋、レストラン、大道芸、露店など楽しく平和な光景が続く。
美しい中央アジア的音色に思わず聴きほれてしまった。
マックの前には、マーケットが並んでいた。スタバもあったが、まだモスクワには、まだ数店しかないようだ。マックは、結構ある。
ハードロックカフェもこの通りにある。
この通りは、似顔絵描きでも有名で、個性を競い合っている。宣伝用の絵は、やはりブロードウェイスターが主流だが、日本人では、唯一タケちゃんの絵があった。
先日のモスクワ国際映画祭で特別賞を受賞していたが、モスクワでは、一番有名な日本人ということなのだろう。
即席タトゥーの露店もたくさんある。
モスクワでの日本人気は、本物のようで、日本食屋が本当に多い。二回食べたが、味も普通で悪くない。日本車も高級車も含めてたくさん走っている。
通りの突き当たりには、外務省の立派なビルがある。
スターリン・クラシック様式と呼ばれるもので、モスクワに七本ほどこの様式のビルがあるそうだ。
西側の摩天楼に対抗する目的もあり、1950年代に次々と建てられたという。
その質量感といい、左右対象の均整のとれた姿といい、優雅な装飾といい、後世に残したい美しい建築である。市内にまだ、高いビルが少ないので、各所で、このタイプのビルを目にすることができる。
ユーロ2008が盛り上がっている。チェコに勝ったポルトガルは負けてしまったが、出足から好調なオランダは、優勝を虎視眈々と狙っている。
ルートは(忘れかけているがが)、北西から中央に向かい、そこから西へ東へうろちょろのコースだ。
ベラルーシ駅チャイコフスキー音楽堂プーシキン広場マネジナヤ広場革命広場ボリショイ劇場クレムリンレーニン廟赤の広場聖ワシリー寺院モスクワ川救世主キリスト教大聖堂プーシキン美術館アルバーツカヤ広場アルバート通り外務省旧KGBビル
よくもまぁいろいろ回ったもんだと思う。
古いヨーロッパイメージのビルが多く残り、道も広く(道を渡る時はほとんど地下道)、基本的には綺麗。公園も多く、歩いていて楽しくなる街並みだった。
この広い道が、平日は、大渋滞する。転じて、休日は、皆時速100kmぐらいで、飛ばしまくっており、レース場のようになる。
チャイコフスキー音楽堂の前には、凱旋広場が広がり、そこにチャイコフスキーの堂々たる銅像があった。
そこから、さらに中央に向かうと、プーシキン広場がある。
ここにも銅像。
そういえば、ロシアは、多くの文豪と音楽家を輩出している。
モスクワの空港は、歩き方によると街の北にあるシェレメチェヴォ2空港に着くとあるが、JALの直行便だと、街の南にあるドモシェディヴォ空港に着く。外見は、相応だが、中は、ごった返している。入管手続きは、押し合い圧し合い割り込みあいで、気分が悪くなる。道は広いのに、途中で、大渋滞になる。早速、ロシアの洗礼を受けた気になった。
帰りは、街の北にあるドモシェティヴォ空港だった。たいへんな空港だとの噂は聞いていたが(着くまでの渋滞もひどい)、予定通り空港に着き、ラッキーと思っていたら(写真)、そこからゲートにたどり着くまで、2時間以上かかった。社会主義ここにありきという感じで、ベトナムで10年前に経験した世界だ。
チェックインで40分、イミグレで40分、ゲートに入るのに40分。流石に皆はたどりつかなかったようで、出発時間も30分遅れた。
サービス精神は、まだまだ希薄である。
ということで?インドのことをたらたら書いている内に、欧羅巴にバタバタ行くことになり、無理やり今日は、最終回。
これは、ムンバイのフォート地区のほぼ中央にあるフローラの泉。といっても、泉は、今は湧き出ていない。欧羅巴に行ってみると、今の亜細亜の街(特に東南アジア、南亜細亜)は、植民地時代に欧羅巴人の発想で作られたものがほとんどであることを再認識させられる。
プリンスオブウェールズ博物館は、改装中?であり、中には、入れなかった。寺院に変更になった旨の表示もあったが、確認する間もなく、猛暑の中、歩き去った。
ブルックボンドの紅茶が買える店として、歩き方には、紹介されているが、中に入ったことはない。目立つところにあり、なかなか立派な建物である。
ムンバイの官庁街に入ると流石にガンジーとネルーの像があった。
まさにこの超多民族国家を一つの民主国家として独立させ、基礎を築いた二人であり、それが、まだ続いているのは、戦後の奇跡と言えるのではないか。
ムンバイには、ガンジーの生家が博物館として残されている。過去二回訪れたことがあるので、これは、H/Pを作成する時に(この調子ではいつになるかわからないが)、載せたいと思っている。
イギリスのポストも可愛らしいが(マスコットになっている)、インドのも負けていない。特に、その色取りがいい。この二つのポストの使い道の差は不明であったが。少なくとも、次回の集配までの時間に差はなかったようだが。
そしていよいよ空港へ向かった。これまで、3回は、いつも深夜でナイトフライトであったが、ついに、シンガポール行きのデイフライトが出来ていて、初めて市街と空港までの道を白昼の元で見た。
夜の不気味さはないが、途中まで、滅茶苦茶ごちゃごちゃしているのには、変わりない。運転手さんの話によると、この寺院は、ムンバイ最大のヒンドゥ教寺院だという。夜中だと、目をぎらつかせた市民の皆さんが無数に散歩している不気味さもピークに達する場所だ。
ちょっと先に行くと、建物の向こうの海に、美しい橋が建設されているのが見える。新空港ターミナルも建設中だ。
古い町並みだけに、結局、海の上にしか、このごちゃごちゃ問題を解決できる場所がなかったということなのだろう。
ということで、初の酷暑の中でのインド訪問であったが(今までは、初冬をねらった訪問だった)、へとへとになりつつ無事帰国できた。
めでたしめでたし。
3 Savile Row は、ビートルズが作った会社アップルコープスがあったところで、ビートルズ聖地の一つである。特に、ビートルズ の最後のアルバム、映画となったLet It Be の撮影(後半)、録音がされたことで有名。映画のラストを飾る、かつビートルズ4人の最後の演奏となった屋上でのライブは、寒空の中での、逮捕覚悟の熱演だった。
ミュージッシャンが自分で会社を作ったり、ゲリラライブを行ったり、とにかく初めて尽くしの行動で、世間を驚かせ続けたビートルズだった。
今の元アップルビルは、当時の面影もなく、普通のビルになっている。あのライブからもう少しで、40年だ。
因みに、このSavile Row は、かつて紳士服のテーラーが並んでいた通りで、日本語の背広もこの通りの名前から来ている。
ビートルズついでに、今回訪れたビートルズ所縁の地を2箇所。
57 Green Street は、ビートルズがリバプールから出てきて最初に住んだ建物。初期の貴重な写真もこの建物内で、多数撮られている。
Royal Albert Hall は、初期のビートルズが何度かコンサートを行った19世紀に出来た老舗のホール。ポールが、フィアンセのジェーンアッシャー(結局結婚はしなかったが)と出会ったものこのホールだったという。
ということで、当たり前のことだけど、ロンドン市内には、ビートルズ所縁の地がてんこ盛りなのである。