Q&A形式で築地市場の移転問題を考えて見ます。
Q:築地市場の豊洲への移転は、すでに決定されたことですか。
A:築地市場の豊洲への移転は、まだ決定されていません。
東京都は、環状2号線の地元事業説明会におきましても、築地市場の豊洲への移転は既に決定されたことと既成事実のように述べておりましたし、環状2号線事業を進めること自体で豊洲移転を既成事実化しようとしておりますが、事実無根であります。
その根拠は、以下の国会の答弁で明らかにされています。
中央卸売市場は、中央卸売市場整備計画に基づいて設置されると卸売市場法に定められています。そして、その中央卸売市場整備計画は、農林水産大臣が定めます。築地の豊洲移転計画は、平成十七年三月に第八次中央卸売市場整備計画の中で書かれています。その整備計画を定める際には、食料・農業・農村政策審議会の意見を聞くことになっています。第百六十六回国会の環境委員会で明らかになったことですが、豊洲移転については、平成十七年三月十七日の一日だけ開催された同審議会の分科会である総合食料分科会で議論されました。その総合食料分科会では汚染土壌と食の安心・安全という議論は一切なされなかったと、農林水産省、佐藤政府参考人は認めています。そもそも分科会には、土壌汚染の関係の専門家は入っていませんでした。よって、審議会で議論の欠けていた土壌汚染については、東京都の動きを踏まえ、また、環境省とも連携して取り組むと農水省が断言しています。よって、土壌汚染のことがきちんと審議され、卸売市場整備基本方針にうたわれている食の安全・安心が担保されて、築地市場の豊洲移転は初めて決定されることになるわけです。
Q:築地市場移転候補地である豊洲の日本最大規模の土壌汚染の場所と言われていますが、その土壌汚染の状況と汚染の原因は何ですか。
A:現在、「豊洲新市場予定地における土壌汚染対策等に関する専門家会議」(以下、専門家会議と略す)が平成十九年五月十九日から始まって、平成二十年五月三十一日の第七回まで開催されました。この専門家会議で明らかにされたことは、移転候補地の豊洲は、新聞報道でも取り上げられ、だれもが知る事実となりましたが、国内最大規模の汚染区域であるということです。発がん性のあるベンゼンが、三十五カ所の土壌から最高で環境基準の四万三千倍、地下水は五百六十一カ所から最高一万倍の濃度で検出。シアン化合物も、九十カ所の土壌から最高で環境基準の八百六十倍、検出されてはならないという地下水から九百六十六カ所、これは全調査地点の二三・四%でありますけれども、で検出されたと報告されました。基準を下回ると見られた水銀、六価クロム、カドミウムも基準を超え、ヒ素、鉛をあわせて、調査したすべての有害物質が検出。その数は、全調査地点四千百二十二カ所中の千四百七十五地点、調査地点の三分の一強の地点が環境基準を上回るという深刻な汚染の広がりが明らかになりました。
ちなみに、現状の日本の土壌汚染状況は、平成十五年、土壌汚染対策法が施行以後、ベンゼンについては百三十倍の検出が最高値であります。指定区域の広さの最大は、岩手県の宮古市のケースで四・五ヘクタールでした。現在、豊洲は四十ヘクタールあるわけですので、その全地点の二三・四%がシアン化合物で汚染されているということは、単純計算でも十ヘクタールとなりますので、広さでも最大の土壌汚染状況となります。
その土壌汚染の原因は何か。豊洲移転候補地は、東京ガス豊洲工場が昭和六十三年まで操業されていた土地で、特に昭和三十一年から昭和五十一年までの二十年間、石炭を原料に都市ガスを製造していました。製造工程でベンゼン、シアン、ヒ素などの有害物質が複製され、敷地土壌と地下水を汚染しました。さらに、衝撃的な話として、先日、六月十八日の赤旗の新聞記事では、昭和三十二年から昭和五十一年に同工場で勤務していた元社員の男性(六十九歳)は、この場所では土を盛って土手の囲いをつくり、その中に石炭からガスを取り出した廃タールをリヤカーで運んでためていた。当時は下にシートを敷く発想はなく、囲いの中にそのまま流し込んでいたと証言しています。
これら有害化学物質の健康被害も、専門家会議で議論されました。高濃度のベンゼンやシアンでは、RBCAを用いたリスク評価モデルで、ベンゼンにより発がんリスクがあったり、シアンによる急性障害が出ると証明されました。文献的にも、ベンゼンの慢性毒性で妊娠中の胎児への催奇形性も言われており、市場内に働く女性が多い中、健康被害が懸念されます。
Q:土壌汚染処理の対策で、処理することが可能ですか。
A:専門家会議や引き続き行われた技術会議で、実施された調査や考えられている対策は、極めて不十分であることを述べさせていただきます。
理由その一。専門家会議メンバーには、地質学者、地震専門家、有害化学物質の医学専門家が欠けており、学際的ではありません。
理由その二。軟透水層とも言われ、水を通しやすいと言われる有楽町層へ汚染が広がっている指摘があるのに、汚染が下層へ広がるという理由で、一切調査が行われていません。既に、豊洲の土地は、ゆりかもめの橋脚工事などで有楽町層の破壊は起こっているのにかかわらずです。また、田町、東京ガス跡地では、有楽町層で汚染が見つかっているということも言われております。有楽町層における土壌汚染のリスクは、かなり高い確率で疑われるのではないかと考えております。
理由その三。専門家会議に提案された土壌改良後、有害化学物質がなくなったことを証明する調査が計画されていません。土壌改良工事が完璧だったと、どうやって我々がわかればいいのでしょうか。
理由その四。豊洲では、地下水面は、現在、海水面から約四メートル程度の高さにあります。これを下げることができる技術を示していませんし、また、下げたとしても再度上がる可能性はないと断言できますでしょうか。台風や高潮、洪水のときは果たして大丈夫でしょうか。
理由五。専門家会議では、三十年後に七〇%の確率で起きる首都直下型地震での液状化対策について、既に東京都は調査しているという理由で議論されませんでした。豊洲の地盤は大変弱いことが言われており、地震により有害化学物質が地上に噴出し、市場が閉鎖になる危険性が大いにあります。
Q:そのような土壌汚染地で、食の安心、安全は守られるのですか。
A:土壌汚染は大変深刻な状況であり、ベンゼンの慢性毒性(発がん性や催奇形性)、シアンの急性毒性が健康被害を及ぼす可能性は大いに考えられます。シアン化カリウム、これは青酸カリともいいますが、百五十~三百ミリグラムというたったわずかな量で、それが致死量に達します。
よって、食の安心・安全、築地ブランドへ及ぼす悪影響も多大であります。
昨今のBSE問題、毒入りギョーザ、白い恋人・赤福偽装表示、吉兆の食の使い回しなど、事件がたび重なり、食の安全・安心への関心が大いに高まっています。
平成十七年成立の食育基本法も、食品の安全性が確保され、安心して消費できることが健全な食生活の基礎とうたわれています。そのような時代において、専門家会議では、「シアン化合物で土壌や地下水は確かに汚染されている。この汚染された地下水が上昇して、揮発をして、市場内にシアンが浮遊、生鮮食料品に付着する可能性はあります。しかし、微量だから健康被害はない」と言っています。シアン化合物、すなわち青酸カリが付着して、だれが食べたいと思いますでしょうか。
Q:築地市場とは、どのようなところですか?
A:市場には、その土地の凝縮した姿があると言われます。
まさに、築地市場は銀座の隣という一等地に位置し、日本橋の魚河岸から引き継いで七十年以上、五ヘクタールの場外市場とともに、日本の魚食文化の伝統を守り続けてまいりました。今や、築地市場は都の魚の八九%、全国の一〇%を賄う東京都の台所、日本の台所です。水産物の取扱量は、平成十八年で一日当たり二千九十トン、十七億九千万円、年間五十七万三千トン、四千八百九十八億円であり、世界一の水産物の取扱高を誇っています。年間取引量は、十年前のピーク時の約七千五百億円からは、市場を通さない流通が拡大してきているため、二千五百億円減り、年間約五千億円に下がりましたが、それでも約五千億円に上っている状況です。そして、築地市場の周りにある場外市場五百店舗とともに、築地市場地区のまち並みが形成されています。
Q;築地市場の再整備の発端は。
A:築地市場は、開場から五十年たったころから、老朽化、狭隘化などを理由に、再整備の話が出始めました。
Q:現在地再整備は、可能ですか?
A:克服する課題はありますが、可能です。
平成二十年六月十七日、都議会代表質問への回答の中で、主に教育庁など教育畑で経験を長くして平成十八年就任した比留間英人市場長は、「現在地再整備につきましては、敷地のほぼすべてが利用されており、再整備工事に不可欠な種地が確保できないこと、敷地が狭隘なため、品質管理の高度化や新たな顧客ニーズに対応する各種施設を整備する余地がないこと、アスベスト対策を含め、営業しながらの長期間で困難な工事となるため、顧客離れなど市場業者の経営に深刻な影響を与えることなどから、築地市場の再整備は不可能でございます」と答弁しております。果たしてそうでしょうか。
現在地再整備が可能であるということの根拠の一つとして、比留間氏の言う課題を克服し、現在地での再整備をなし遂げた市場があります。昭和六年開場の大阪市中央卸売市場(本場)です。私は、平成二十年六月十七日、現地視察に伺い、この目で確かめてまいりました。現在地再整備は、十分可能なのです。
大阪市中央卸売市場では、昭和六十二年九月に本場整備促進協議会が発足、昭和六十三年に本場整備基本計画をまとめられました。これは、後で述べます築地市場の再整備計画と軌を一にしています。敷地面積十二・六ヘクタール、現在十八ヘクタールの土地で、平成元年、事業費六百四十四億円、工期九年で着工、その後、完成の予定に見直しが入り、事業費千二十七億円となりましたが、本場開設七十周年記念にあわせて、平成十四年十一月、新市場施設はオープンとなりました。約十五年間で再整備をなし遂げたのです。
市場棟は、地下一階地上五階の合計十七万平方メートル、一階は水産売場、三階は青果売場、二階と四階はそれぞれ仲卸の事務所。工事は、三期に分けて行われました。平成十九年度の統計で、水産物一日平均六百四十七トン、五億七千万円、年間十七万七千トン、千五百五十七億円。規模は、築地市場の三割強の取扱量です。市場関係者に視察のときにお話をお伺いいたしましたが、約十五年間の工事でも客足が遠のくことはなかったといいます。
Q:築地市場には、かつて再整備の計画がありました。築地市場の現在地再整備ができないと主張される方の中に、かつての再整備計画頓挫を例に挙げていますが、いかがですか。
A:その頓挫の理由を分析すれば、過去の頓挫の事実が、現在の現在地再整備ができない理由にはならない事が分かります。
昭和六十一年に築地市場再整備推進委員会を設置して、計画は具体的に始まり、昭和六十三年に築地市場再整備基本計画がまとめられ、平成二年、基本設計へと進みました。その設計の基本的考え方は、築地市場は現在地で営業を継続しながら再整備、水産部を一階、青果部を二階とした立体的配置計画、物流円滑化のため十分な交通動線、市場業務に影響を及ぼさない施行計画、流通形態の変化、情報化社会に対応、都民に親しまれる開かれた市場等でした。待望の再整備が始まったことを、市場関係者は、だれもが大変喜び合ったということです。
平成五年五月二十八日に築地市場全業界を挙げて行った築地市場再整備起工祝賀会の席上、当時の鈴木都知事は、「私は、さすがに世界の築地と言われるような都民の皆様の御期待にこたえられる卸売市場づくりに全力で取り組んでまいります」と申し述べております。総工費三千億円、工期十二年の計画で、平成三年に着工しました。資金は、東京都の特別会計一千億円と神田市場売却による二千億円を原資とした計画でした。ところが、平成八年、三百八十億円使った段階、立体駐車場や冷蔵庫棟などはできましたが、その段階で中止。予定どおり進んでいれば、平成十六年か十七年には完成のはずでありました。
ここで、実名を伏せさせていただきますが、A市場長までは仮設工事から本工事へと決められた方針どおり続けられてきた現在地再整備が、B市場長となって、推進協議会に諮問することもなく、工事にかかわる公式発表もないまま、しりつぼみのように工事は休止状態になりました。それとは別に、B市場長みずからが臨海副都心への移転話を各団体へ持ちかけてきたのであります。市場行政の最高責任者としての地位にある者が、都自身の定めたルールを踏み外して勝手な行動をとることはあり得ないはずでありますが、実際に、B市場長の呼びかけによって、平成七年九月二十九日、日暮里の某所で一部業者との間に話し合いが持たれたといいます。そうした呼びかけは、水産の卸、仲卸、小売の団体に対しては一切ありませんでした。そこで、これら三団体は連名で、十月十九日付で市場長あてに「築地市場再整備工事促進について」と題した要望書を出しましたが、市場長からの誠意ある回答は示されず、推進協議会も開かれず、水面下で移転話が進められたのでした。
B市場長の打ち出した移転問題は、同市場長の思いつきというようなものではなく、都の市場行政の財政的な面から、再整備費用の再検討により、その財源捻出をどうするかについての検討の結果として、移転論ということが俎上に上ったことが可能性として考えられます。
次を引き継いだC市場長は、業界から一致した要請があれば豊洲移転を検討することになるかもと言い、平成十年十二月までに六団体(水産卸、水産仲卸、小売等の買出人団体、青果連合会、関連事業者団体)の一致した表明書を提出してほしいと求めましたが、結果は、移転賛成四、反対二、この反対二は仲卸、小売、となりました。水産仲卸である東京魚市場卸協同組合(東卸)が、このときに全組合員投票をやりましたが、現在地再整備賛成四百九十五、移転賛成三百七十六であり、東卸は現在地再整備を機関決定しました。
なお、投票前の意向調査時には、組合員に土壌汚染のことは一切知らされませんでした。
平成十一年四月の東卸の理事長選挙で、築地での再整備を目指していた理事長が解任され、移転推進の現理事長になり、理事会は機関決定に反して移転推進に動き、組合員とねじれができました。
平成十一年九月、四月に就任した石原慎太郎知事が市場を視察し、「古く、狭く、危ない」と言い、十一月九日、第二十八回築地市場再整備推進協議会において移転整備の方向でまとめられました。
平成十三年、東京ガスは、豊洲土壌汚染について公表するも、同十二月、第七次東京都卸売市場整備計画で知事は豊洲に移転すると表明し、平成十四年、「豊洲・晴海開発整備計画 再改定(豊洲)案」で築地市場の豊洲移転が計画として明記されました。平成十五年五月、豊洲新市場基本構想策定。平成十六年七月、豊洲新市場基本計画策定。平成十七年九月、豊洲新市場実施計画のまとめ策定。十一月、第八次東京都卸売市場整備計画において、豊洲市場を平成二十四年度開場を目途とすると明記するに至ります。平成十九年四月の東京都知事選挙では、築地市場移転の是非が争点の一つになり、土壌汚染に関しては、翌月、専門家会議が設置されました。
この流れでわかりますように、築地市場の現在地頓挫の理由は、財政的な部分が大きいということです。それに端を発した行政の不手際により、骨肉相はむ争いを業者間に生んでしまい、百年河清を俟つ状態に置かれたのが現況だと思います。
Q:現状における財政的な部分、費用試算はどうなっているでしょうか。
A:平成二十年六月二十日、都議会経済・港湾委員会では、現在地再整備と豊洲移転の費用の試算が出されました。敷地面積約二十三ヘクタールの築地の再整備には三千億円、これは中央卸売市場会計の留保金千三百五十億円、豊洲の都有地の売却益七百二十億円、市場の建物整備への国庫補助三百億円で合計二千三百七十億円。あと六百三十億円足りないとのことです。再整備には約二十年かかるとも試算しています。
一方、敷地面積は築地の約一・六倍の三十七・五ヘクタール、防塩護岸を含めば約四十四ヘクタール、豊洲移転の総事業費は四千四百億円。〇七年までに一千億円支出して用地取得や護岸整備を行っており、あと三千四百億円が試算されています。留保金千三百五十億円と国庫補助百億円、築地市場跡地の売却益を二千億円以上と見込んでおり、合計三千四百五十億円以上であり、財源不足は生じないとしています。ただし、土壌汚染対策費は、新たな汚染発覚前の六百七十億円で試算。実際の対策費は一千億円とも一千三百億円超とも言われ、場合によっては現在地再整備より多くかかる可能性もあります。
Q:地元の中央区そして中央区議会は、一貫して築地市場の移転には断固反対であると聞きますが、どうですか?
A:そのとおり過去から現在にいたるまで一貫して中央区及び中央区議会は移転に断固反対です。
平成十一年十一月九日、移転整備案が出された翌日、区長・議長連名で築地市場再整備に関する抗議を提出。二十九日、築地市場移転に断固反対する会設立。同日から移転反対署名運動が展開され、十二月十日までに十万六千三十二人の署名が集まりました。中央区は、七つの疑問など、意見書を提出したりしましたが、移転は東京都が粛々と進めてまいりました。
平成十八年二月十七日、「築地市場移転に断固反対する会」総会が開催され、その活動の終了と、「新しい築地をつくる会」の新たな出発が決議されました。その総会の場では、このままでは東京都が進めるままに決まってしまう、方針を転換するのは賛成だ、同じテーブルに着き、交渉をしていくべきだ、そろそろ反対の旗をおろしていい時期ではないか、このままでは地域も先の見通しが立たない、都と話し合いをすることが先決だ、などの意見が出ていたところです。
平成二十年度予算一千三百万円を、「築地市場地区を核とした活気とにぎわいづくり」に計上しています。本年三月実施の築地市場地区を核とした活気とにぎわいづくり調査の結果も踏まえ、万が一の移転にも備えた鮮魚マーケットの先行営業の計画を中央区は現在持っています。
なお、東京都は、オリンピック誘致の計画の中で、当初築地市場をプレスセンター建設予定地としておりました。「わずか二週間程度のオリンピックのために、築地市場をプレスセンターに建てかえる必要性がどこにあるのか。」「築地市場にプレスセンターを計画する以上、中央区はオリンピック誘致には反対である。」という声に支えられ、プレスセンターは、お台場に計画変更させることができました。
ただし、築地市場を有する地元中央区の責任として、「築地市場現在地再整備(及び環状2号線地下化)」を実現するために、今こそ具体的行動を起こす必要性があるところであります。
具体的な行動とは例えば、東京都に地元及び市場関係者の要望を伝えていくことが求められます。
世論や地元住民と市場内で働く人々の要望にこたえて、「築地市場の土壌汚染地への移転を断固反対する会(仮称)」を立ち上げ、同時に、署名を集めて都へ抗議行動をしていくべきでしょう。
Q:築地市場移転を前提に、環状二号線が、地下計画から地上化に計画変更されたとお聞きしますが。
A:そのとおり、築地市場移転を前提として、環状2号線は地上化となりました。
事業の住民説明会が開催されていましたが、住民との質疑応答の中で、「環状2号線により六万台の車両増加があったとしても、大気汚染の悪化はない。その理由は、車の性能が上がるから」などと言い、住民の納得できる回答を得ていません。また、環境影響評価書の中で、築地市場地区にできるトンネル換気塔は、汐留のビル風によるダウンウォッシュの影響は想定外であり、食のまちへの悪影響は否定し切れていません。七月から、都は用地取得作業を強引に進めようとしているところです。
前提となる築地市場の移転がなくなる可能性は大いにある状況で、今は住民感情に配慮し、少なくとも一時計画を中断すべきであると考えます。
Q:築地市場移転問題は、日本全体の問題であるのではないでしょうか。
A:まさに日本全体の問題です。
世界の生鮮市場は郊外型であるのに対して、築地が首都の中心に現存するのは、この国が築地市場を日本の食文化として象徴しているからです。
移転するのであれば、日本の食文化の象徴を破壊することになります。
そして、今まで見てまいりましたが、築地市場に関連して不可解なことが多過ぎます。
不可解な点その一。築地市場現在地再整備工事の平成八年の突然の中止と、再整備案の不自然な立ち消え。
不可解な点その二。附則三条を持つ土壌汚染対策法の平成十五年の施行。平成十三年十二月、第七次東京都卸売市場整備計画に豊洲移転を書いた四か月後、平成十四年、土壌汚染対策法公布、翌年十五年施行。この法律の中に、附則第三条なるものが導入されています。この附則第三条では、平成十五年に施行された土壌汚染対策法以前に廃止された有害物質施設にかかわる工場の敷地であった土地には適用しないとわざわざうたい、豊洲土壌汚染地を土壌汚染対策法から外す意図が感じられなくもありません。
不可解な点その三。農林中金での消えた東卸の債務十億円。
不可解な点その四。東卸の特定調停による破綻問題。
不可解な点その五。土壌汚染調査費や対策費を買い手である東京都が負担する点。しかも、土壌汚染があるにも関わらず、時価で土地を購入した経緯もある。
不可解な点その六。専門家会議の検討の最中の強引な環状2号線地上化の都市計画変更と、現在地再整備が検討されているにも関わらず、地上化工事の進行。
なぜ、築地市場を守らねばならないか。そこには失ってはならない日本の宝があるからです。
築地市場を移転させる事で、築地市場の土地から莫大な売却益を得ることができ、その土地に多くの利権が絡んでくることでしょう。それにより、かけがえのない築地の食文化、魚河岸の文化を犠牲にしてはならないと考えます。
犬養道子さんという犬養首相のお孫さんに当たる方で、ユーゴスラビア国内の難民救助活動をされていてほとんど帰国されることが少ない方が、「中央公論」で築地市場のことを寄稿している文章を引用します。
日本へ帰るたびに、相当の無理をしても、必ず行く、行かなければならぬ、たったひとつの場所、それが魚河岸である。まだほんものがそこにはある。魚や野菜だけではない。魚河岸では人間もまっとうで裏おもてがなくて、気っ風や心意気を持っている。つまり正真正銘ほんまものなのである。人間も、魚も、目玉が濁っていない。付焼刃や、ごまかしがない。これは大したことだ。ああ健在なり、健在なり、うれしくなる、たのしくなる、自分の国に帰って、うれしく、たのしくさせられる。というのは実によいものだ。
築地市場に最高の賛辞を贈っています。築地市場からつくられる食文化、それを守る本物の人たち、これらが経済功利主義の名のもとに土壌汚染地へ行くことを白紙撤回し、現在地での再整備を絶対に実現させていきたいと思います。
Q:築地市場の豊洲への移転は、すでに決定されたことですか。
A:築地市場の豊洲への移転は、まだ決定されていません。
東京都は、環状2号線の地元事業説明会におきましても、築地市場の豊洲への移転は既に決定されたことと既成事実のように述べておりましたし、環状2号線事業を進めること自体で豊洲移転を既成事実化しようとしておりますが、事実無根であります。
その根拠は、以下の国会の答弁で明らかにされています。
中央卸売市場は、中央卸売市場整備計画に基づいて設置されると卸売市場法に定められています。そして、その中央卸売市場整備計画は、農林水産大臣が定めます。築地の豊洲移転計画は、平成十七年三月に第八次中央卸売市場整備計画の中で書かれています。その整備計画を定める際には、食料・農業・農村政策審議会の意見を聞くことになっています。第百六十六回国会の環境委員会で明らかになったことですが、豊洲移転については、平成十七年三月十七日の一日だけ開催された同審議会の分科会である総合食料分科会で議論されました。その総合食料分科会では汚染土壌と食の安心・安全という議論は一切なされなかったと、農林水産省、佐藤政府参考人は認めています。そもそも分科会には、土壌汚染の関係の専門家は入っていませんでした。よって、審議会で議論の欠けていた土壌汚染については、東京都の動きを踏まえ、また、環境省とも連携して取り組むと農水省が断言しています。よって、土壌汚染のことがきちんと審議され、卸売市場整備基本方針にうたわれている食の安全・安心が担保されて、築地市場の豊洲移転は初めて決定されることになるわけです。
Q:築地市場移転候補地である豊洲の日本最大規模の土壌汚染の場所と言われていますが、その土壌汚染の状況と汚染の原因は何ですか。
A:現在、「豊洲新市場予定地における土壌汚染対策等に関する専門家会議」(以下、専門家会議と略す)が平成十九年五月十九日から始まって、平成二十年五月三十一日の第七回まで開催されました。この専門家会議で明らかにされたことは、移転候補地の豊洲は、新聞報道でも取り上げられ、だれもが知る事実となりましたが、国内最大規模の汚染区域であるということです。発がん性のあるベンゼンが、三十五カ所の土壌から最高で環境基準の四万三千倍、地下水は五百六十一カ所から最高一万倍の濃度で検出。シアン化合物も、九十カ所の土壌から最高で環境基準の八百六十倍、検出されてはならないという地下水から九百六十六カ所、これは全調査地点の二三・四%でありますけれども、で検出されたと報告されました。基準を下回ると見られた水銀、六価クロム、カドミウムも基準を超え、ヒ素、鉛をあわせて、調査したすべての有害物質が検出。その数は、全調査地点四千百二十二カ所中の千四百七十五地点、調査地点の三分の一強の地点が環境基準を上回るという深刻な汚染の広がりが明らかになりました。
ちなみに、現状の日本の土壌汚染状況は、平成十五年、土壌汚染対策法が施行以後、ベンゼンについては百三十倍の検出が最高値であります。指定区域の広さの最大は、岩手県の宮古市のケースで四・五ヘクタールでした。現在、豊洲は四十ヘクタールあるわけですので、その全地点の二三・四%がシアン化合物で汚染されているということは、単純計算でも十ヘクタールとなりますので、広さでも最大の土壌汚染状況となります。
その土壌汚染の原因は何か。豊洲移転候補地は、東京ガス豊洲工場が昭和六十三年まで操業されていた土地で、特に昭和三十一年から昭和五十一年までの二十年間、石炭を原料に都市ガスを製造していました。製造工程でベンゼン、シアン、ヒ素などの有害物質が複製され、敷地土壌と地下水を汚染しました。さらに、衝撃的な話として、先日、六月十八日の赤旗の新聞記事では、昭和三十二年から昭和五十一年に同工場で勤務していた元社員の男性(六十九歳)は、この場所では土を盛って土手の囲いをつくり、その中に石炭からガスを取り出した廃タールをリヤカーで運んでためていた。当時は下にシートを敷く発想はなく、囲いの中にそのまま流し込んでいたと証言しています。
これら有害化学物質の健康被害も、専門家会議で議論されました。高濃度のベンゼンやシアンでは、RBCAを用いたリスク評価モデルで、ベンゼンにより発がんリスクがあったり、シアンによる急性障害が出ると証明されました。文献的にも、ベンゼンの慢性毒性で妊娠中の胎児への催奇形性も言われており、市場内に働く女性が多い中、健康被害が懸念されます。
Q:土壌汚染処理の対策で、処理することが可能ですか。
A:専門家会議や引き続き行われた技術会議で、実施された調査や考えられている対策は、極めて不十分であることを述べさせていただきます。
理由その一。専門家会議メンバーには、地質学者、地震専門家、有害化学物質の医学専門家が欠けており、学際的ではありません。
理由その二。軟透水層とも言われ、水を通しやすいと言われる有楽町層へ汚染が広がっている指摘があるのに、汚染が下層へ広がるという理由で、一切調査が行われていません。既に、豊洲の土地は、ゆりかもめの橋脚工事などで有楽町層の破壊は起こっているのにかかわらずです。また、田町、東京ガス跡地では、有楽町層で汚染が見つかっているということも言われております。有楽町層における土壌汚染のリスクは、かなり高い確率で疑われるのではないかと考えております。
理由その三。専門家会議に提案された土壌改良後、有害化学物質がなくなったことを証明する調査が計画されていません。土壌改良工事が完璧だったと、どうやって我々がわかればいいのでしょうか。
理由その四。豊洲では、地下水面は、現在、海水面から約四メートル程度の高さにあります。これを下げることができる技術を示していませんし、また、下げたとしても再度上がる可能性はないと断言できますでしょうか。台風や高潮、洪水のときは果たして大丈夫でしょうか。
理由五。専門家会議では、三十年後に七〇%の確率で起きる首都直下型地震での液状化対策について、既に東京都は調査しているという理由で議論されませんでした。豊洲の地盤は大変弱いことが言われており、地震により有害化学物質が地上に噴出し、市場が閉鎖になる危険性が大いにあります。
Q:そのような土壌汚染地で、食の安心、安全は守られるのですか。
A:土壌汚染は大変深刻な状況であり、ベンゼンの慢性毒性(発がん性や催奇形性)、シアンの急性毒性が健康被害を及ぼす可能性は大いに考えられます。シアン化カリウム、これは青酸カリともいいますが、百五十~三百ミリグラムというたったわずかな量で、それが致死量に達します。
よって、食の安心・安全、築地ブランドへ及ぼす悪影響も多大であります。
昨今のBSE問題、毒入りギョーザ、白い恋人・赤福偽装表示、吉兆の食の使い回しなど、事件がたび重なり、食の安全・安心への関心が大いに高まっています。
平成十七年成立の食育基本法も、食品の安全性が確保され、安心して消費できることが健全な食生活の基礎とうたわれています。そのような時代において、専門家会議では、「シアン化合物で土壌や地下水は確かに汚染されている。この汚染された地下水が上昇して、揮発をして、市場内にシアンが浮遊、生鮮食料品に付着する可能性はあります。しかし、微量だから健康被害はない」と言っています。シアン化合物、すなわち青酸カリが付着して、だれが食べたいと思いますでしょうか。
Q:築地市場とは、どのようなところですか?
A:市場には、その土地の凝縮した姿があると言われます。
まさに、築地市場は銀座の隣という一等地に位置し、日本橋の魚河岸から引き継いで七十年以上、五ヘクタールの場外市場とともに、日本の魚食文化の伝統を守り続けてまいりました。今や、築地市場は都の魚の八九%、全国の一〇%を賄う東京都の台所、日本の台所です。水産物の取扱量は、平成十八年で一日当たり二千九十トン、十七億九千万円、年間五十七万三千トン、四千八百九十八億円であり、世界一の水産物の取扱高を誇っています。年間取引量は、十年前のピーク時の約七千五百億円からは、市場を通さない流通が拡大してきているため、二千五百億円減り、年間約五千億円に下がりましたが、それでも約五千億円に上っている状況です。そして、築地市場の周りにある場外市場五百店舗とともに、築地市場地区のまち並みが形成されています。
Q;築地市場の再整備の発端は。
A:築地市場は、開場から五十年たったころから、老朽化、狭隘化などを理由に、再整備の話が出始めました。
Q:現在地再整備は、可能ですか?
A:克服する課題はありますが、可能です。
平成二十年六月十七日、都議会代表質問への回答の中で、主に教育庁など教育畑で経験を長くして平成十八年就任した比留間英人市場長は、「現在地再整備につきましては、敷地のほぼすべてが利用されており、再整備工事に不可欠な種地が確保できないこと、敷地が狭隘なため、品質管理の高度化や新たな顧客ニーズに対応する各種施設を整備する余地がないこと、アスベスト対策を含め、営業しながらの長期間で困難な工事となるため、顧客離れなど市場業者の経営に深刻な影響を与えることなどから、築地市場の再整備は不可能でございます」と答弁しております。果たしてそうでしょうか。
現在地再整備が可能であるということの根拠の一つとして、比留間氏の言う課題を克服し、現在地での再整備をなし遂げた市場があります。昭和六年開場の大阪市中央卸売市場(本場)です。私は、平成二十年六月十七日、現地視察に伺い、この目で確かめてまいりました。現在地再整備は、十分可能なのです。
大阪市中央卸売市場では、昭和六十二年九月に本場整備促進協議会が発足、昭和六十三年に本場整備基本計画をまとめられました。これは、後で述べます築地市場の再整備計画と軌を一にしています。敷地面積十二・六ヘクタール、現在十八ヘクタールの土地で、平成元年、事業費六百四十四億円、工期九年で着工、その後、完成の予定に見直しが入り、事業費千二十七億円となりましたが、本場開設七十周年記念にあわせて、平成十四年十一月、新市場施設はオープンとなりました。約十五年間で再整備をなし遂げたのです。
市場棟は、地下一階地上五階の合計十七万平方メートル、一階は水産売場、三階は青果売場、二階と四階はそれぞれ仲卸の事務所。工事は、三期に分けて行われました。平成十九年度の統計で、水産物一日平均六百四十七トン、五億七千万円、年間十七万七千トン、千五百五十七億円。規模は、築地市場の三割強の取扱量です。市場関係者に視察のときにお話をお伺いいたしましたが、約十五年間の工事でも客足が遠のくことはなかったといいます。
Q:築地市場には、かつて再整備の計画がありました。築地市場の現在地再整備ができないと主張される方の中に、かつての再整備計画頓挫を例に挙げていますが、いかがですか。
A:その頓挫の理由を分析すれば、過去の頓挫の事実が、現在の現在地再整備ができない理由にはならない事が分かります。
昭和六十一年に築地市場再整備推進委員会を設置して、計画は具体的に始まり、昭和六十三年に築地市場再整備基本計画がまとめられ、平成二年、基本設計へと進みました。その設計の基本的考え方は、築地市場は現在地で営業を継続しながら再整備、水産部を一階、青果部を二階とした立体的配置計画、物流円滑化のため十分な交通動線、市場業務に影響を及ぼさない施行計画、流通形態の変化、情報化社会に対応、都民に親しまれる開かれた市場等でした。待望の再整備が始まったことを、市場関係者は、だれもが大変喜び合ったということです。
平成五年五月二十八日に築地市場全業界を挙げて行った築地市場再整備起工祝賀会の席上、当時の鈴木都知事は、「私は、さすがに世界の築地と言われるような都民の皆様の御期待にこたえられる卸売市場づくりに全力で取り組んでまいります」と申し述べております。総工費三千億円、工期十二年の計画で、平成三年に着工しました。資金は、東京都の特別会計一千億円と神田市場売却による二千億円を原資とした計画でした。ところが、平成八年、三百八十億円使った段階、立体駐車場や冷蔵庫棟などはできましたが、その段階で中止。予定どおり進んでいれば、平成十六年か十七年には完成のはずでありました。
ここで、実名を伏せさせていただきますが、A市場長までは仮設工事から本工事へと決められた方針どおり続けられてきた現在地再整備が、B市場長となって、推進協議会に諮問することもなく、工事にかかわる公式発表もないまま、しりつぼみのように工事は休止状態になりました。それとは別に、B市場長みずからが臨海副都心への移転話を各団体へ持ちかけてきたのであります。市場行政の最高責任者としての地位にある者が、都自身の定めたルールを踏み外して勝手な行動をとることはあり得ないはずでありますが、実際に、B市場長の呼びかけによって、平成七年九月二十九日、日暮里の某所で一部業者との間に話し合いが持たれたといいます。そうした呼びかけは、水産の卸、仲卸、小売の団体に対しては一切ありませんでした。そこで、これら三団体は連名で、十月十九日付で市場長あてに「築地市場再整備工事促進について」と題した要望書を出しましたが、市場長からの誠意ある回答は示されず、推進協議会も開かれず、水面下で移転話が進められたのでした。
B市場長の打ち出した移転問題は、同市場長の思いつきというようなものではなく、都の市場行政の財政的な面から、再整備費用の再検討により、その財源捻出をどうするかについての検討の結果として、移転論ということが俎上に上ったことが可能性として考えられます。
次を引き継いだC市場長は、業界から一致した要請があれば豊洲移転を検討することになるかもと言い、平成十年十二月までに六団体(水産卸、水産仲卸、小売等の買出人団体、青果連合会、関連事業者団体)の一致した表明書を提出してほしいと求めましたが、結果は、移転賛成四、反対二、この反対二は仲卸、小売、となりました。水産仲卸である東京魚市場卸協同組合(東卸)が、このときに全組合員投票をやりましたが、現在地再整備賛成四百九十五、移転賛成三百七十六であり、東卸は現在地再整備を機関決定しました。
なお、投票前の意向調査時には、組合員に土壌汚染のことは一切知らされませんでした。
平成十一年四月の東卸の理事長選挙で、築地での再整備を目指していた理事長が解任され、移転推進の現理事長になり、理事会は機関決定に反して移転推進に動き、組合員とねじれができました。
平成十一年九月、四月に就任した石原慎太郎知事が市場を視察し、「古く、狭く、危ない」と言い、十一月九日、第二十八回築地市場再整備推進協議会において移転整備の方向でまとめられました。
平成十三年、東京ガスは、豊洲土壌汚染について公表するも、同十二月、第七次東京都卸売市場整備計画で知事は豊洲に移転すると表明し、平成十四年、「豊洲・晴海開発整備計画 再改定(豊洲)案」で築地市場の豊洲移転が計画として明記されました。平成十五年五月、豊洲新市場基本構想策定。平成十六年七月、豊洲新市場基本計画策定。平成十七年九月、豊洲新市場実施計画のまとめ策定。十一月、第八次東京都卸売市場整備計画において、豊洲市場を平成二十四年度開場を目途とすると明記するに至ります。平成十九年四月の東京都知事選挙では、築地市場移転の是非が争点の一つになり、土壌汚染に関しては、翌月、専門家会議が設置されました。
この流れでわかりますように、築地市場の現在地頓挫の理由は、財政的な部分が大きいということです。それに端を発した行政の不手際により、骨肉相はむ争いを業者間に生んでしまい、百年河清を俟つ状態に置かれたのが現況だと思います。
Q:現状における財政的な部分、費用試算はどうなっているでしょうか。
A:平成二十年六月二十日、都議会経済・港湾委員会では、現在地再整備と豊洲移転の費用の試算が出されました。敷地面積約二十三ヘクタールの築地の再整備には三千億円、これは中央卸売市場会計の留保金千三百五十億円、豊洲の都有地の売却益七百二十億円、市場の建物整備への国庫補助三百億円で合計二千三百七十億円。あと六百三十億円足りないとのことです。再整備には約二十年かかるとも試算しています。
一方、敷地面積は築地の約一・六倍の三十七・五ヘクタール、防塩護岸を含めば約四十四ヘクタール、豊洲移転の総事業費は四千四百億円。〇七年までに一千億円支出して用地取得や護岸整備を行っており、あと三千四百億円が試算されています。留保金千三百五十億円と国庫補助百億円、築地市場跡地の売却益を二千億円以上と見込んでおり、合計三千四百五十億円以上であり、財源不足は生じないとしています。ただし、土壌汚染対策費は、新たな汚染発覚前の六百七十億円で試算。実際の対策費は一千億円とも一千三百億円超とも言われ、場合によっては現在地再整備より多くかかる可能性もあります。
Q:地元の中央区そして中央区議会は、一貫して築地市場の移転には断固反対であると聞きますが、どうですか?
A:そのとおり過去から現在にいたるまで一貫して中央区及び中央区議会は移転に断固反対です。
平成十一年十一月九日、移転整備案が出された翌日、区長・議長連名で築地市場再整備に関する抗議を提出。二十九日、築地市場移転に断固反対する会設立。同日から移転反対署名運動が展開され、十二月十日までに十万六千三十二人の署名が集まりました。中央区は、七つの疑問など、意見書を提出したりしましたが、移転は東京都が粛々と進めてまいりました。
平成十八年二月十七日、「築地市場移転に断固反対する会」総会が開催され、その活動の終了と、「新しい築地をつくる会」の新たな出発が決議されました。その総会の場では、このままでは東京都が進めるままに決まってしまう、方針を転換するのは賛成だ、同じテーブルに着き、交渉をしていくべきだ、そろそろ反対の旗をおろしていい時期ではないか、このままでは地域も先の見通しが立たない、都と話し合いをすることが先決だ、などの意見が出ていたところです。
平成二十年度予算一千三百万円を、「築地市場地区を核とした活気とにぎわいづくり」に計上しています。本年三月実施の築地市場地区を核とした活気とにぎわいづくり調査の結果も踏まえ、万が一の移転にも備えた鮮魚マーケットの先行営業の計画を中央区は現在持っています。
なお、東京都は、オリンピック誘致の計画の中で、当初築地市場をプレスセンター建設予定地としておりました。「わずか二週間程度のオリンピックのために、築地市場をプレスセンターに建てかえる必要性がどこにあるのか。」「築地市場にプレスセンターを計画する以上、中央区はオリンピック誘致には反対である。」という声に支えられ、プレスセンターは、お台場に計画変更させることができました。
ただし、築地市場を有する地元中央区の責任として、「築地市場現在地再整備(及び環状2号線地下化)」を実現するために、今こそ具体的行動を起こす必要性があるところであります。
具体的な行動とは例えば、東京都に地元及び市場関係者の要望を伝えていくことが求められます。
世論や地元住民と市場内で働く人々の要望にこたえて、「築地市場の土壌汚染地への移転を断固反対する会(仮称)」を立ち上げ、同時に、署名を集めて都へ抗議行動をしていくべきでしょう。
Q:築地市場移転を前提に、環状二号線が、地下計画から地上化に計画変更されたとお聞きしますが。
A:そのとおり、築地市場移転を前提として、環状2号線は地上化となりました。
事業の住民説明会が開催されていましたが、住民との質疑応答の中で、「環状2号線により六万台の車両増加があったとしても、大気汚染の悪化はない。その理由は、車の性能が上がるから」などと言い、住民の納得できる回答を得ていません。また、環境影響評価書の中で、築地市場地区にできるトンネル換気塔は、汐留のビル風によるダウンウォッシュの影響は想定外であり、食のまちへの悪影響は否定し切れていません。七月から、都は用地取得作業を強引に進めようとしているところです。
前提となる築地市場の移転がなくなる可能性は大いにある状況で、今は住民感情に配慮し、少なくとも一時計画を中断すべきであると考えます。
Q:築地市場移転問題は、日本全体の問題であるのではないでしょうか。
A:まさに日本全体の問題です。
世界の生鮮市場は郊外型であるのに対して、築地が首都の中心に現存するのは、この国が築地市場を日本の食文化として象徴しているからです。
移転するのであれば、日本の食文化の象徴を破壊することになります。
そして、今まで見てまいりましたが、築地市場に関連して不可解なことが多過ぎます。
不可解な点その一。築地市場現在地再整備工事の平成八年の突然の中止と、再整備案の不自然な立ち消え。
不可解な点その二。附則三条を持つ土壌汚染対策法の平成十五年の施行。平成十三年十二月、第七次東京都卸売市場整備計画に豊洲移転を書いた四か月後、平成十四年、土壌汚染対策法公布、翌年十五年施行。この法律の中に、附則第三条なるものが導入されています。この附則第三条では、平成十五年に施行された土壌汚染対策法以前に廃止された有害物質施設にかかわる工場の敷地であった土地には適用しないとわざわざうたい、豊洲土壌汚染地を土壌汚染対策法から外す意図が感じられなくもありません。
不可解な点その三。農林中金での消えた東卸の債務十億円。
不可解な点その四。東卸の特定調停による破綻問題。
不可解な点その五。土壌汚染調査費や対策費を買い手である東京都が負担する点。しかも、土壌汚染があるにも関わらず、時価で土地を購入した経緯もある。
不可解な点その六。専門家会議の検討の最中の強引な環状2号線地上化の都市計画変更と、現在地再整備が検討されているにも関わらず、地上化工事の進行。
なぜ、築地市場を守らねばならないか。そこには失ってはならない日本の宝があるからです。
築地市場を移転させる事で、築地市場の土地から莫大な売却益を得ることができ、その土地に多くの利権が絡んでくることでしょう。それにより、かけがえのない築地の食文化、魚河岸の文化を犠牲にしてはならないと考えます。
犬養道子さんという犬養首相のお孫さんに当たる方で、ユーゴスラビア国内の難民救助活動をされていてほとんど帰国されることが少ない方が、「中央公論」で築地市場のことを寄稿している文章を引用します。
日本へ帰るたびに、相当の無理をしても、必ず行く、行かなければならぬ、たったひとつの場所、それが魚河岸である。まだほんものがそこにはある。魚や野菜だけではない。魚河岸では人間もまっとうで裏おもてがなくて、気っ風や心意気を持っている。つまり正真正銘ほんまものなのである。人間も、魚も、目玉が濁っていない。付焼刃や、ごまかしがない。これは大したことだ。ああ健在なり、健在なり、うれしくなる、たのしくなる、自分の国に帰って、うれしく、たのしくさせられる。というのは実によいものだ。
築地市場に最高の賛辞を贈っています。築地市場からつくられる食文化、それを守る本物の人たち、これらが経済功利主義の名のもとに土壌汚染地へ行くことを白紙撤回し、現在地での再整備を絶対に実現させていきたいと思います。