「中央区を、子育て日本一の区へ」こども元気クリニック・病児保育室  小児科医 小坂和輝のblog

感染を制御しつつ、子ども達の学び・育ちの環境づくりをして行きましょう!病児保育も鋭意実施中。子ども達に健康への気づきを。

都民は、今度こそ、正しい選択をしたい。東京から日本を守る。機能不全の政権を東京から正す。

2013-12-19 10:50:49 | 国政レベルでなすべきこと

 猪瀬知事の辞職会見。

 感慨深く、思います。


 一年前、敗れた都知事選。



 都民は、今度こそ、正しい選択をしたいです。


 築地市場移転問題で言うのであれば、東京都のために、築地市場を築地の現在地で再整備できるひとを選びたい。ガス工場跡地であった日本最大規模の土壌汚染地へ築地市場を移転させるのではなく、銀座の隣に食の台所を残し、世界の築地ブランド、築地の食文化、東京の街のにぎわい、食の安心・安全を守りましょう。

 


 しかし、権力は、恐ろしいものです。
 5000万円授受(&借用証作成疑惑)は問題としても、434万票の信託をうけた知事を、“狙い撃ち”で、辞めさせることができ、他の関係する政治家は免責するという力・・・



********思い起こせば、一年前*************************

http://blog.goo.ne.jp/kodomogenki/e/4aa9dc3a6dee85ab23cb2159a9bf1d76

弁護士宇都宮健児先生ありがとうございました。ご支援いただいた皆様本当にありがとうございました。

2012-12-17 01:42:01 | 築地を守る、築地市場現在地再整備

 今回の都知事選挙ほど、選挙の難しさを感じたことは、ありませんでした。

 宇都宮けんじさん、しがらみのない無所属で立候補、都民に支援され、ものすごくご健闘されたと思います。

 築地市場の移転見直しも、公約にもかかげ、街宣でも何度も述べて下さいました。
 選挙期間中、築地市場を視察され、市場関係者と丁寧な懇談もされました。

 真に都知事になっていただきたいかたでした。

 東京都の行う違法な築地市場移転を見直し、現在地での再整備かなえてくださることを信じ、応援をさせていただきました。

 もちろん築地だけでなく、子育て支援も高齢者施策も、健康都市東京をつくることも、宇都宮けんじさんなら、きっとやってくださること信じていました。

 

 立候補し、戦ってくださったこと、心から感謝致します。
 本当に、ありがとうございました。

 
 ご支援いただいた皆様、結果が出せず、申し訳ございませんでした。
 ご支援、本当にありがとうございました。



(築地市場をご訪問いただいた際、築地市場を守る固い握手をさせていただきました。)

 

 

結果
都知事選の確定得票数(投票率62.60%):
 猪瀬直樹 4,338,936票(65.2%)、宇都宮けんじ 968,960票(14.5%)、松井しげふみ 621,278票(9.3%)、笹川たかし 179,180票(2.6%)

中央区  当日有権者数104,785人 投票者数67,235人 投票率64.96% 前回投票率61.61%
猪瀬直樹 45,538票(67.7%)、宇都宮けんじ 8,218票(12.2%)、松井しげふみ 7,274票(10.8%)、笹川たかし 1,467票(2.2%)



*****東京新聞(2012/12/17)******
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/2012tochiji/list/CK2012121702100015.html

脱原発 思い貫いた 宇都宮さん「今後も課題に」

 「福島の事故は終わっていない。しかし、その痛みを都民に伝え切れなかった」。「脱原発」を訴え、猪瀬さんに敗れた前日本弁護士連合会会長の宇都宮健児さん(66)は、新宿区の事務所で振り返った。「有権者は石原都政に満足しているわけではない。それを票に結び付けられなかったのは、私の力不足。脱原発や反貧困は、これからも訴え続けなければならない日本の課題だ」と述べた。

 ◇ ◇ ◇ 

 「被災地のことを一番に考えてくれる。優しい人なんです」。選挙戦最終日のJR渋谷駅前。宇都宮さんの隣で、福島県浪江町の馬場有町長(64)がマイクを握った。二万一千人の町民は今も避難生活を続け、全国に散らばったままだ。

 3・11後、日弁連会長として現地に繰り返し入り、被災者に話を聞いた。震災翌月、八十六歳の母親が亡くなったのを聞いたのも、福島から帰京する深夜バスの中だった。

 脱原発のうねりを「ただのセンチメント(感傷)」と片付け、共感を示さなかった石原前知事。その辞職表明の翌日、市民団体から出馬を要請された。「弁護士は目の前の一人を助けることしかできない。多くの人を救うには、政治を動かすしかない」と即断した。

 弁護士として社会の弱者に尽くしてきた。貧しい農家に育ち、傷痍(しょうい)軍人の父の恩給で進学できた。社会の片隅で泣く人たちが、昔の自分に思えた。

市民団体から支援の申し出が相次ぎ、勝手連は五十以上。脱原発を訴える母親が駅前でチラシを配り、かつて弁護を担当した多重債務被害者がカンパを集めた。集会の会場に向かう時、「以前に世話になった」と、居合わせたホームレスの男性が道案内役を買って出た。

 選挙戦を締めくくった十五日夜のJR新宿駅西口には、路上を埋め尽くす人の熱気があった。ある支援者は「力を合わせれば、世の中を変えられると信じられるようになった。これからも脱原発運動を続ける」と話した。

(東京新聞)

 

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