本日、日曜日の急病対応の際、ある子どもから教えていただきました。
西郷隆盛は、享年51才だったと。
自分は、52才。昔のひとは、人生50年と言っていました。これからも生きれることは儲け物だと感じます。
それも、NHK朝の連続ドラマ小説『まんぷく』の主人公の一人 萬平さんのように、踏んだり蹴ったりでなく生きられたこともまたラッキーだと思っています。あそこまでたたかれても、なんとかなると自信を与えてくださるドラマです。
2001年月島に小児専門クリニックとして開業。同時に、中央区と一緒に中央区初の病児保育事業を立ち上げました。
40才のとき、「政治がおかしい」と言うんだったら、そういう言う自分がやって見ろと自分に言い聞かせて、中央区議会議員に挑戦を致しました。政党などに属したことはなく(それはいままでもない)、見よう見まねでの選挙でしたが、その負託をいただきました。
44才のとき、ちょうど2011年東日本大震災の直後、「築地市場移転反対・現位置での再整備」を公約に掲げるのであれば、止めるのはこの時期しかないと、公約実現に向け、中央区長選挙に体をはって臨みました。差をあけられての次点でした。
議員をやりながら、法律の重要性を感じていたため、夜間の法科大学院に通い卒業。その年の2015年に、再度、中央区議会議員の2期目の負託をいただきました。もちろん、無所属。
戦に負けても、首を取られない、再度挑戦できる幸せな時代に生きているものだと、昔の時代を振り返りながら思う次第です。
2019年1月20日52才になった自分に思ったこと。
なお、萬平さんが製塩や栄養食品を全国展開し始めた会社を失ってしまったように、自分にも近い将来、“月島三丁目30番3号の”小坂こども元気クリニック・病児保育室が大きな力によって消されてしまう運命にあります。その大きな力の不合理な点は抗いはいたします。そのような時がたとえこようとも、守り培う努力を続けて参りました月島の小児医療・病児保育・子育て支援は、職員全員とともに必ず再度立ち上げます。いや、もう一人の主人公福子さんのように、0.5mmでも前進をさせる所存です。