西田幾多郎氏 1870(明治3)-1945(昭和20)、コロナ禍の今こそ、学ぶべき存在であると考えています。
政策の支柱を与えて下さっています。
さらには、学問、子育ての本質を語って下さっています。
すなわち、
子ども「なんで、べんきょうなんかするの?」
西田「べんきょうは、いのちのためにします。いのちがもっともたいせつです。いのちをわすれたおべんきょうは、いりません。」
子ども「いのちをわすれたら、どうなるの?」
西田「そのようなおべんきょうでえた、お金、立場、体、技術、知能は、かんたんにわるいこととむすびつき、わるいよのなかになってしまいます。」
「たとえそのやれることが小さくても、愛情にみちていれば、大きないみがあります。」
子ども「自分にもそんな愛情の種あるかな?」
西田「土に埋まっていてみえないかもしれないけど、きっときみの心の種がみつかるよ。」
(西田幾太郎全集 17巻 岩波書店)
**************
親「子育てで、なにが大切なのですか?」
西田「お互いの喜怒哀楽を、「わがこと」のように、いっしょに感じることです。
親と子が、心では、それぞれに入れ替われるほど、お互いを「わがこと」として感じることができること、
お互いの心を感じ合えること。
別の言い方をすると、それは、「無私」。
「無私」、私が全身を投げ出せるような状態、私たちが「私」をなくすことのできる状態。
親と子が、ともに「私」が主語ではなくなる状態。」
(第四編 宗教 第五章 知と愛)
*原著『善の研究』では、読み切れず、NHKテキスト『100分de名著』の助けを借りています。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます