釧路芸術館で開催されている「山下清展 放浪の天才画家 歩き描いた49年」を見てきました。
山下清は大正11(1922)年に東京浅草で生まれました。幼い時に重い消化不良を起こして、その後遺症から軽い言語障碍と知的障碍障碍をうけます。
その障碍のために周りの子供たちにいじめられたりしたことから、彼は千葉県の八幡学園に入りますが、障碍がありながら鋭い記憶能力を手にしていて、それが後に彼が絵を描く上での一つの特徴になっていきました。
八幡学園では園の教育方針として貼り絵をすることになっていました。初期の頃こそ蒸しを題材とするなど子供らしい素朴な作品でしたが、やがて学園内ののびのびした雰囲気に慣れて、学園生活を題材とした作品も増えてゆきました。
そんな彼の作品にスポットライトが当たったのは昭和12(1937)年のこと。早稲田大学で行われた小展覧会で彼の作品は大きな注目を浴び、それが第一線で活躍する巨匠たちから評価を得たことで世間から絶大な賞賛を手にしました。
※ ※ ※ ※ ※
貼り絵を習得した山下清は、次々に貼り絵作品を作りましたが、昭和15年に突然学園を飛び出して放浪の旅に出ました。一説では戦争に行きたくなかったから、という説もありますがどうでしょう。昭和18年に清の母は彼を徴兵検査に無理やり連れてゆき、結果的に不合格になったという出来事もあったそうです。
彼は旅先でアルバイトをしたり物乞いをしたり気の向くままに旅をつづけ、旅に飽きたらまた学園に戻るという生活をするようになりました。
山下清と言えば、古くは小林圭樹に始まって、芦屋雁之助やドランクドラゴンの塚地武雅さんなどによるドラマの中の姿の印象が強いことでしょう。
ドラマの中ではしばしば放浪先で絵を描いてプレゼントをするシーンがあったような気がしましたが、実際は旅先で絵を描いたりすることはなくて、放浪の旅を終えて帰ってきてから旅先でのシーンを思い出して描いていたのだとか。
ある種の障碍を持った人には時折、音楽や絵画などの芸術分野で特異な才能が与えられることがありますがまさにその手の天才であったわけです。
また、山下清と言えば貼り絵ばかりが浮かびますが、実際はペン画といって油彩のペンで下書きなしで頭に浮かぶ像を描くやり方や、版画、陶芸の下絵などにもその才能を発揮しています。
また、帰ってきてからの貼り絵などの作品のほかに彼は放浪記を書いていて、それもまた人気となりました。
その後彼は雑誌「Life」でも紹介されてすっかり有名人になり、放浪ができなくなりました。その代りヨーロッパへも旅行をしながらその風景をペン画や版画で残してくれています。
それにしても彼の生涯はわずか49歳。今の私よりも若くして亡くなっているのですね。一日一日を大切に生きたいものです。
※ ※ ※ ※ ※
今回の山下清展は北海道新聞釧路支店主催で会場は釧路芸術館。
展示は二部構成で行われ、前半の一部(12月3日~28日)はペン画・版画が中心で後半の二部(平成23年1月4~23日)は貼り絵が中心の展示となります。
【放浪の天才画家 山下清展 歩き描いた49年』
http://bit.ly/gMrAjK
山下清は大正11(1922)年に東京浅草で生まれました。幼い時に重い消化不良を起こして、その後遺症から軽い言語障碍と知的障碍障碍をうけます。
その障碍のために周りの子供たちにいじめられたりしたことから、彼は千葉県の八幡学園に入りますが、障碍がありながら鋭い記憶能力を手にしていて、それが後に彼が絵を描く上での一つの特徴になっていきました。
八幡学園では園の教育方針として貼り絵をすることになっていました。初期の頃こそ蒸しを題材とするなど子供らしい素朴な作品でしたが、やがて学園内ののびのびした雰囲気に慣れて、学園生活を題材とした作品も増えてゆきました。
そんな彼の作品にスポットライトが当たったのは昭和12(1937)年のこと。早稲田大学で行われた小展覧会で彼の作品は大きな注目を浴び、それが第一線で活躍する巨匠たちから評価を得たことで世間から絶大な賞賛を手にしました。
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貼り絵を習得した山下清は、次々に貼り絵作品を作りましたが、昭和15年に突然学園を飛び出して放浪の旅に出ました。一説では戦争に行きたくなかったから、という説もありますがどうでしょう。昭和18年に清の母は彼を徴兵検査に無理やり連れてゆき、結果的に不合格になったという出来事もあったそうです。
彼は旅先でアルバイトをしたり物乞いをしたり気の向くままに旅をつづけ、旅に飽きたらまた学園に戻るという生活をするようになりました。
山下清と言えば、古くは小林圭樹に始まって、芦屋雁之助やドランクドラゴンの塚地武雅さんなどによるドラマの中の姿の印象が強いことでしょう。
ドラマの中ではしばしば放浪先で絵を描いてプレゼントをするシーンがあったような気がしましたが、実際は旅先で絵を描いたりすることはなくて、放浪の旅を終えて帰ってきてから旅先でのシーンを思い出して描いていたのだとか。
ある種の障碍を持った人には時折、音楽や絵画などの芸術分野で特異な才能が与えられることがありますがまさにその手の天才であったわけです。
また、山下清と言えば貼り絵ばかりが浮かびますが、実際はペン画といって油彩のペンで下書きなしで頭に浮かぶ像を描くやり方や、版画、陶芸の下絵などにもその才能を発揮しています。
また、帰ってきてからの貼り絵などの作品のほかに彼は放浪記を書いていて、それもまた人気となりました。
その後彼は雑誌「Life」でも紹介されてすっかり有名人になり、放浪ができなくなりました。その代りヨーロッパへも旅行をしながらその風景をペン画や版画で残してくれています。
それにしても彼の生涯はわずか49歳。今の私よりも若くして亡くなっているのですね。一日一日を大切に生きたいものです。
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今回の山下清展は北海道新聞釧路支店主催で会場は釧路芸術館。
展示は二部構成で行われ、前半の一部(12月3日~28日)はペン画・版画が中心で後半の二部(平成23年1月4~23日)は貼り絵が中心の展示となります。
【放浪の天才画家 山下清展 歩き描いた49年』
http://bit.ly/gMrAjK
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