北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

負担と富の再配分(2011予算はどうなる?)

2010-12-24 23:23:14 | Weblog
 連休の中日は休暇を取る方も多いかも知れませんが、予算の時期に官庁で予算を担当する部署はなかなか休めません。

 今日は道庁や開発局などに年末の挨拶回りと称する情報収集。東京の霞ヶ関界隈を回っていると気づきますが、この予算時期に霞ヶ関が異常に静かだったのは、20数年前を思い出すとまさに隔世の感があります。

 当時の予算時期ともなれば、道路、河川はもとより、農業、福祉などの関係団体や自治体が東京に集合して予算内示に向けて気勢を上げたものです。

 一時内示で漏れた新規案件については、大蔵省(当時)に対して各省の事務次官折衝、政務次官折衝、大臣折衝とレベルを上げながら勝ち取るという政治的ショウが繰り広げられたものです。

    ※    ※    ※    ※

 そうした予算時期の喧噪も今は昔の物語。

 今は新しい制度のためにどんな既存の優遇制度をやめたかということばかりが話題になって、経済拡大よりもスクラップアンドビルドの時代になったようです。

 もっとも、国民所得に対する国民負担率をOECD諸国で比較すると、日本は40.6%で加盟28ヶ国中下から4番目の低さ。つまりそれだけ社会に対して国民が負担していない国だと言うこと。

 日本より下にいるのは、韓国(35.7%)、アメリカ(34.9%)、スイス(33.6%)だということで、これはつまりそれだけ個人主義的な経済が強くて、社会的なセーフネットが弱いことを意味しています。

【国民負担率(対国民所得比)の国際比較(OECD加盟28カ国)】
 http://www.mof.go.jp/jouhou/syukei/siryou/sy2202p.pdf   (OECD加盟30ヶ国中トルコとメキシコは係数が不足)

 日本は小さな政府を目指していると言いますが、富の一部を預かって再配分するのは国の重要な財政運営機能であって、小さな政府とはそこに権限を与えないと言うこと。

 福祉を強くしたくても、そこに国民が信頼と負担を寄せないのであれば再配分する原資はありません。つまり福祉の強い国というのは大きな政府であるということ。

 個人の才覚や生まれ落ちた運の差によって生じる富の偏りを、どのようにして均してゆくのかというのは政府や社会の大事な役割なのですが、その程度が日本は随分弱くなっているという自覚があるでしょうか。

 国民の負担は必ずしも消費税が全ての答えでもなくて、所得税や社会保障負担割合の引き上げなど様々な手法があるはずで、そうしたことに対して真面目な議論をしなくてはならない時代だと言うことです。

 社会保障の最終到達点は、「能力に応じて負担し、必要に応じて支給される」ということで、それを目標として時代に応じて改善していくべきものです。

 それが理想の形になるまでの間の不平等感をどのように乗り越えられるかに、その社会の工夫と覚悟が必要です。

 さて、今年の予算はどのような形でおさまるのでしょうか。国の予算を「国民の負担と富の再配分」という視点で眺めてみてください。 

コメント
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