私が高校生の時に、「現役不自然 一浪当然 二浪平然 三浪憮然 四浪悄然 五浪愕然 六浪慄然 七浪呆然」という戯言が流行りました。
大学受験で浪人をした私は、まあ【当然】の人生を歩んだと言えるかもしれませんが、試験を受けて(だめだったろうな)と思ってもやはりショックなもの。
学生のときは「浪人をすると定年までの労働年数が一年減って生涯賃金が1千万円は違うんだから頑張れ!」と檄を飛ばす先生もいましたが、浪人時代の経験を振り返ってみて今では「浪人をしてよかった」と思っています。
酒に酔ってトラブルを起こした歌舞伎役者さんなどは若くして失敗をしたこともなく過ごしてこられたかなあ、と思わせるところがありましたし、今回の事件がうまく収まって、今後のためには良い薬になってくれると芸のためには良いだろな、とも思う今日この頃。
人間は若い時期にある種の失敗を経験した方が自分の至らなさを知って驕り昂ぶる心に抑制が効くような気がします。
※ ※ ※ ※ ※
さて、冒頭の『一浪不自然…』のモデルになったのかもしれませんが、中国の古典に「六然(りくぜん)」という言葉があります。まさに「然」の字が付く人間にとって大切な六つの単語です。
それは、安岡正篤先生によると
自處(処)超然(じしょちょうぜん<自ら処すること超然>)
自分自身に関してはいっこう物に囚われないようにする。
處人藹然(しょじんあいぜん<人に処すること藹然>)
人に接して相手を楽しませ心地良くさせる。
有事斬然(ゆうじざんぜん<有事には斬然>)
事があるときはぐずぐずしないで活発にやる。
無事澄然(ぶじちょうぜん<無事には澄然>)
事なきときは水のように澄んだ気でおる。
得意澹然(とくいたんぜん<得意には澹然>)
得意なときは淡々とあっさりしておる。
失意泰然(しついたいぜん<失意には泰然>)
失意のときは泰然自若(じじゃく)としておる。
…というものだそうですが、人間は、ともするといかにもこれらの逆な行動をしがち。冒頭の『二浪当然』とは風格が違いますが、この「六然」を知っていて作ったのだとしたら作者は相当の切れ者であるとも言えそう。
ぜひともこの「六然」を覚えて、日常の生活の中に取り入れたいものですね。
大学受験で浪人をした私は、まあ【当然】の人生を歩んだと言えるかもしれませんが、試験を受けて(だめだったろうな)と思ってもやはりショックなもの。
学生のときは「浪人をすると定年までの労働年数が一年減って生涯賃金が1千万円は違うんだから頑張れ!」と檄を飛ばす先生もいましたが、浪人時代の経験を振り返ってみて今では「浪人をしてよかった」と思っています。
酒に酔ってトラブルを起こした歌舞伎役者さんなどは若くして失敗をしたこともなく過ごしてこられたかなあ、と思わせるところがありましたし、今回の事件がうまく収まって、今後のためには良い薬になってくれると芸のためには良いだろな、とも思う今日この頃。
人間は若い時期にある種の失敗を経験した方が自分の至らなさを知って驕り昂ぶる心に抑制が効くような気がします。
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さて、冒頭の『一浪不自然…』のモデルになったのかもしれませんが、中国の古典に「六然(りくぜん)」という言葉があります。まさに「然」の字が付く人間にとって大切な六つの単語です。
それは、安岡正篤先生によると
自處(処)超然(じしょちょうぜん<自ら処すること超然>)
自分自身に関してはいっこう物に囚われないようにする。
處人藹然(しょじんあいぜん<人に処すること藹然>)
人に接して相手を楽しませ心地良くさせる。
有事斬然(ゆうじざんぜん<有事には斬然>)
事があるときはぐずぐずしないで活発にやる。
無事澄然(ぶじちょうぜん<無事には澄然>)
事なきときは水のように澄んだ気でおる。
得意澹然(とくいたんぜん<得意には澹然>)
得意なときは淡々とあっさりしておる。
失意泰然(しついたいぜん<失意には泰然>)
失意のときは泰然自若(じじゃく)としておる。
…というものだそうですが、人間は、ともするといかにもこれらの逆な行動をしがち。冒頭の『二浪当然』とは風格が違いますが、この「六然」を知っていて作ったのだとしたら作者は相当の切れ者であるとも言えそう。
ぜひともこの「六然」を覚えて、日常の生活の中に取り入れたいものですね。