北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

コピペルナー

2009-12-11 23:45:57 | Weblog
 最近の学生さんのなかには、先生から「○○を調べてくるように」と言われても、「ググっても出て来ないのでできません」という者がいるとか。そんなのは一種の都市伝説であって欲しい、と思いますが…。

 さて、そんな学生さんに多いのがレポートの宿題を、ネット上にある他の人の論文をコピーしてちゃっかり提出するというもの。

 なかには少しだけ自分らしく加工してごまかす者もいそうですが、採点する先生の方もこれが他者の盗用なのか本人のオリジナルなのかを判別するのはなかなか難しそうです。

 そんなニーズがあるところには必ずビジネスあり!というわけで、ネットからの不正なコピペを判断するというソフトが登場しました。


---------- 【ここから引用】 ----------
【RBBtoday】 ネット上からの不正コピペを判断する支援ソフト「コピペルナー」   
 http://www.rbbtoday.com/news/20091211/64378.html


 ソフト開発会社のアンクは11日、コピペ判定支援ソフト「コピペルナー」を発表。12月下旬から発売開始する。おもに教育機関・ビジネス向けとして販売する予定。

 同ソフトは、レポートや論文などの電子文書において、web上の文章や、ほかの電子文書からの不正なコピー・アンド・ペーストが行なわれていないかどうかを解析するのに役立つ判定支援ソフト。金沢工業大学知的財産科学研究センター長・杉光一成教授が考案し、アンクが開発した形となる。

 機能としては、1つもしくは複数の文書を読み込み、webページや文献データベースを検索。それにより、コピー・アンド・ペーストが行なわれている箇所を解析するとうたう。判定結果には、コピペ割合やコピー元の文献などを表示。コピペしたと思われる箇所は、完全一致またはあいまい一致によって色別で表示されるという。さらに複数の文書を読み込み、文書間のコピペを点検し、グループ化して相関関係を表示することができる。



    (…中略…)

 考案者である杉光教授は、このソフトを教育機関が用いることで「どうせコピペしてもばれてしまうから自分で考えてレポートを書こう」と思ってくれたら、と期待を寄せている。

(小口@RBB 2009年12月11日 13:04)

---------- 【引用ここまで】 ----------

 いかがでしょう、すごいですね。提出された論文をこのソフトで解析すると、ネット上をぐるぐると探し回って似たような表現や文字の配列をあぶり出してしまうというものだそうです。

 それで提出された全てを解析することもないのでしょうが、金融機関の前にかかっている「警察官立ち寄り所」みたいなもので、やったらばれてしまうという強烈な抑止力になるというわけです。

 そもそもこういうソフトが出回れば、わざわざ買わなくても「ソフトを買ってあるからな!」と嘘を言うだけでも抑止力になるのです。

 そもそも私が学生の時にはネットがなかったのでコピペも簡単にはできませんでした。新しい技術、つまりイノベーションは便利と共に新しい犯罪すら生み出すのです。

 名前がいいですね。「コピペをするな」で「コピペルナー」ですよ。

 そのうちコピペしたものの単語をどれくらい書き換えたらコピペルナーに引っかからないかということを解析して、ぎりぎり引っかからないものを作り出す「コピペバレルナー」なんてのも出て来たりしてねえ(笑)

 いや、笑えません、ホント。
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明日はどっちだ

2009-12-10 22:54:58 | Weblog
 日本経済がデフレだ、という認識を政府が明らかにして以来、次々にモノの価格が下がっているというニュースが伝えられるようになりました。

 竹中平蔵さんは経済が浮揚しないのは、今の政府で「経済の『予見可能性』が低下している」からと意見を述べられています。まずはこの記事をご覧ください。

---------- 【ここから引用】 ----------
【正論】慶応大学教授・竹中平蔵 パンとサーカスでは乗り切れぬ 2009.12.10 03:02
 http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091210/stt0912100303002-n1.htm





 ≪子ども手当はばらまき≫
 鳩山内閣の“ハネムーン”期間が最終段階に差しかかっている。9月16日の組閣から数え、年末には100日を超えることになる。そのころには予算編成も終了していなければならないから、予算後の政策運営をどのように進めるか、政権としての議論を真剣に深める必要がある。内閣発足後の政治経済状況を総括すると、「高い内閣支持率」の持続と「経済の悪化」(デフレ、株安)という二つの姿が鮮明になる。

 内閣発足後ここまでの推移をみるかぎり、政治的にはそれなりに無難な立ち上がりを示したとの評価が可能であり、一方で経済的には大きな問題を抱えながら有効な政策がないという結論になる。

 まず政治的な評価から見よう。鳩山内閣は、まさに「パンとサーカス」の政治を成功させた、と言える。古代ローマの統治術に見るように、国民は生活の糧と見せ物に関心を示す。現内閣のパンは「子ども手当」であり、サーカスは「事業仕分け」である。とりわけ事業仕分けに対する国民の評価は、極めて高いようだ。

 政策としてみるかぎり、子ども手当はかなり広範な「ばらまき」と言わざるをえない。もし出生率を高めるための政策なら、これから生まれてくる子供にのみ手当を出すべきであり、いまいる子供に手当を出すのは単なる所得移転である。その金額が大きいだけに、ばらまきという評価をせざるをえないのである。しかし今のところ、国民は「パン」に強く反応している。

 ≪経済「予見可能性」が低下≫
 もう一つの事業仕分けはどうか。そもそもこれは、地方自治体の支出のように誰の目にも分かりやすい事業を外部チェックする仕組みであり、国政にはなじみにくいものが多い。むしろ子ども手当のような項目こそ仕分けの対象とすべきなのに、これは対象からはずされていた。事後的に見る限り、財務省が削りたい予算項目を意図的に仕分けの対象とした、という側面は否定できない。しかし、官僚がやり込められるシーン見たさに会場には2万人が詰めかけ、問い合わせは200万件を超えたという。見せ物としては、近年にない大成功となった。

 このように鳩山内閣は、パンとサーカスによって政権発足当初の混乱をそれなりに乗り切ったということができる。

 しかしこの間、経済の停滞はますます深刻になってきた。麻生政権の放漫な財政運営の短期的効果として、GDP(国内総生産)はここ2四半期プラス成長になっている。ただし、中国や韓国など近隣諸国の高成長と比べると決して高い成長ではない。加えて、株式市場は極めて停滞色を強めている。株価の低迷以上に真に懸念されるのは、株式市場の売買高自体が大幅に低下していることだ。最近の売買高は、1年前のおおむね半分だ。これは、日本経済にこれまで以上に厳しい見方が広がっていることを象徴していよう。

 こうした背景にある基本要因は、民主党政権において経済の「予見可能性」が著しく低下したことである。そもそも現政権が経済成長を真剣に考えているのか、財政健全化をまじめに考えているのかどうか、という基本姿勢が見えないのである。民主党自身は、政策プロセスの透明化をうたい文句にしてきたが、現実は時計の針を巻き戻すように大幅に後戻りしている。

 ≪小さな前進・大きな後退≫
 その典型は、予算編成プロセスの不透明化だ。一部に事業仕分けによってプロセスが透明化したという評価が聞かれるが、そもそも概算要求の前段階で「予算の全体像」を公表するという重要なプロセスが今回は割愛された。予算の全体像は、マクロ経済の動きを想定したうえで、また政策の重点項目を確認したうえで、予算の大枠を決めて予算編成の指針とするものだ。このような全体像は、2002年度から公表されるようになったが、政権交代後の民主党政権下では全く議論されていない。

 その意味で予算決定プロセスは、森内閣以前に戻ったことになる。だからこそ予算編成作業が混乱しているのである。事業仕分けで個別事業の一部について情報が国民に開示された半面、その基本方向に関するより重要な情報が見えなくなってしまった。小さな前進・大きな後退である。

 今後の予見可能性を左右する最も象徴的なイベントは、1月に公表されるであろう“経済財政の中期展望”だ。これは小泉内閣の発足後2002年から作成されるようになったもので、5~10年の中期的な予見可能性を高めるものとなった。民主党政権で果たしてこれが示せるのか。示したとして、説得的なシナリオになっているのか…。明確な成長戦略とデフレ対策を持たない政権にとって、大きな試金石となる。

 もしここで十分な対応ができなければ、野放図な財政赤字の拡大による国債市場の大混乱が、いよいよ視野に入ってくる。パンとサーカスだけで、経済はよくならない。(たけなか へいぞう)

---------- 【引用ここまで】 ----------


 年末の書類整理をしていて、「イノベーション25」という平成18年安部政権当時のレポートが出てきました。ほんの少し前のものですが、三代も前の首相が作ったレポートなんて隔世の感があります。
  
  http://www.cao.go.jp/innovation/index.html


 イノベーションとは「技術革新」と訳されますが、経済学ではシュンペーターという人が、「イノベーションによって経済の新しい局面が開かれて大きく経済発展する」という意味でよく使われます。

 たとえば内燃機関の発明とか、通信技術の発明、最近ではインターネットなんかもそうでしょう。そういう技術革新が起こることで自動車による流通革命が起き、通信によって遠くの人と意思疎通が図られるようになり、さらにインターネットで世界中の情報が瞬時に手に入る社会になり、ネットによる新しいビジネスも次々に誕生しています。

 そういう意味で安部政権のときに考えられたのは、次の時代の日本にとって大きな課題を解決するのはイノベーションであり、それを各省を挙げて推進するという決意表明でした。

 これからの日本の課題として挙げられたのは①人口減少と高齢化の進展、②情報化社会とグローバル化の爆発的な進展、③資源・エネルギー、環境、テロ、感染症などの地球の持続可能性を脅かす課題、といったもので、こうしたことに日本は国を挙げて率先して貢献するという意思を表したものでもあるのです。

 当時の安部総理の所信表明演説では『成長に貢献するイノベーションの創造に向け、医薬、工学、情報技術などの分野ごとに、2025年までを視野に入れた、長期の戦略指針「イノベーション25」を取りまとめ、実行します』と述べられていて、こうした新しい技術革新によって新しい経済の流れが誕生して、経済を活性化させるという強い願いが込められていました。

 上記の竹中さんの記事では、「経済予見可能性が低下した」という言い方をしていますが、日本経済がこうしたら、こうなって、ああなって、モノやサービスの売り買いが盛んになって経済が盛り返すだろう、という予想が今はしにくくなっているという主張がなされています。

 今の日本に求められているのは、こうやったらみな自分のお金を使って新しい製品は技術を買うようになる欲しくなるという期待感を国民に抱かせることで、そうした経済ビジョンを見せてくれないことにだんだんイライラが募っているような気がします。

 あくまでも補正予算は急場をしのぐだけのことですから、当面みなが注目するのは来年度予算に見せる国の姿勢ということになるでしょう。もっとも、そうした姿勢を見せ続けたことで予算が膨らんできたということでもあるので、新政権ならではの切り口を期待したいのですがどんなものでしょう。

 そういうビジョンなり国の経営思想があれば、目先の効率性だけで科学技術のための経費を削減するとは言わないと思うはずで、本予算での成り行きが注目されます。

 日本は常に前に向かって時代を切り開いてナンボの国なんです。
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サムシング・グレート

2009-12-09 23:40:44 | Weblog
 一流の企業の社長というのは簡単になれるものではありません。選抜に当たってはもしかしたらどこぞの国のリーダーよりも厳しい目で見られているかも知れません。なにしろリーダーの選別を謝ったら企業は一気に倒産の憂き目を見るかも知れないからです。

 プレジデント・ロイターには、そんな一流の社長の仕事術がシリーズで紹介されています。どの社長の言葉にも頷く真理がありますね。


---------- 【ここから引用】 ----------
【プレジデント・ロイター】《社長の仕事術》
伊藤忠商事 丹羽宇一郎:本物のリーダーへの道 変革トップ「先が見えない時代、いかに自分を耕すか」
http://president.jp.reuters.com/article/2009/09/14/71D30578-9B94-11DE-9A5C-901A3F99CD51.php





【世界一になるつもりで徹底して勉強する】
 アリのように黙々と勤勉に働けるか。トンボのように複眼でものを見ることができるか。何より血の通った温かい人間の心を持つことができるか。

 これが実話に基づいていることを私は城山さんと対談をさせていただいたときに知った。伊藤忠商事の役員が新卒の採用試験でこの質問をしていたのだ。アリ、トンボ、人間。この3つのステップには優れたリーダーへと成長していくプロセスが見事に示されている。私にとっては大先輩がそれを看破していたことに意を強くしたものだった。

 もちろん、すぐに優れたリーダーになれるわけではない。入社して30代前半までの最初の10年間はアリのように泥まみれになって働く。若い時期に人生を切り開くために必要な仕事の基本を体に覚えさせる。力を出し切るまで働くという意味を込めて、私は“泥のように働け”という。

 次の40代前半までの10年間は、自分が関わっている仕事について日本一、いや、世界一になるつもりで徹底して勉強することだ。学者と議論しても負けないほど勉強を重ねる。自動車業界に身を置いていれば、「自動車」と名のつく本はすべて買うぐらいの覚悟が必要だ。並大抵の努力ではない。

 アリのように働き、経験を積めば、仕事に関するさまざまな知識を覚えることができる。ただその多くは言葉で表現できない「暗黙知」で、そのままでは概念化できない。そこで勉強を通した「形式知」を得ることで経験と理論が結びつき、トンボのような複眼的な思考を身につけることができるのだ。

 私の場合、9年間に及ぶアメリカ勤務と帰国後の数年間がこの時期にあたる。食料畑を歩んだ私は「アメリカの農業については誰にも負けない」といえるだけの力をつけようと、「アメリカ」と名のつく本は農業関係を中心に片端から買い集め、読破した。

 駐在中も頼まれて商品市場の記事を日本の新聞に書き、帰国後は一課長の立場で業界誌に「アメリカ農業小史」などの論文を執筆し、学者相手のディスカッションもこなした。アメリカ農務省の最新データと現地での経験を持つ私のほうがはるかに詳しかった。いつしか、「伊藤忠に丹羽という男がいる」と認められるようになっていった。

 より重要なのは40代前半からの次の10年間だろう。中枢を担うためのマネジメント力が問われるからだ。経営の神髄は人的資産をいかに運用管理するかにある。とすれば、人間とはいかなる存在か、その本質を知ることにこそマネジメントの原点はある。それはどうすれば知ることができるのか。


【努力する人間を社会は放っておかない】
 一つは経験だ。自ら苦しい経験を重ねる中で見えてくるものがある。困難な課題に直面したとき、打開するのは「自分は間違っていない」という能力の過信でもなければ、「自分は間違っていた」という全否定でもない。信念は持ちつつも、困難な状況に応じて自らの思考を開いていく謙虚さだ。また、人は苦しい状況になるほど人の痛みがわかるようになる。他者への共感はともに困難に立ち向かう場を生み出す。

 やがて、これまでにない知恵と力が生まれ、状況が変わり、不可能が可能になる。このとき、人は理屈では説明できない何か不思議なものを感じる。それは「サムシング・グレート(偉大なる何ものか)」と呼ぶべきものだ。

 分子生物学の世界的権威で、高血圧の原因の一つ、レニン酵素の遺伝子解読に初めて成功した村上和雄・筑波大学名誉教授は、合理的には説明できない遺伝子同士の見事な調整に驚き、それを可能にするものをサムシング・グレートと呼んだ。それが人間の世界にも存在することへの気づきは、個人的な苦難の経験に加え、もう一つ、先人たちの数多くの経験を知ることによって初めて得られる。そのために必要なのが勉強であり、なかでも多くのものが得られるのが読書だ。私は多忙を極めた社長時代も年間60冊を読破した。

 本を読むとは時空間を超えて、自分では経験できない経験をすることだ。すると、自身が経験した漠とした不思議さが先人たちの経験と結びつき、普遍化される。私の場合、2500年前の『論語』と出会い、経営の根幹にすべき倫理を学んだ。人間には本来、私利私欲や自己保身に走る「動物の血」が流れている。今回の金融危機はその歯止めが利かずに生じた資本主義の暴走以外の何ものでもない。その過程では自分たちの能力を過信した数々の強欲や傲慢が跋扈したことだろう。

 一方、『論語』が説く「仁・義・礼・智・信」の五常や「温・良・恭・倹・譲・寛・信・敏・恵」の九つの徳目を心がければ、自らの驕りを抑え、謙虚であり続けることができる。この自律自省の精神を実践していくと長期的には必ず成果に結びつく。それは人間の能力を超えたサムシング・グレートの存在を知ることで初めて到達できる世界にほかならない。このとき、温かい血の通った経営ができるようになる。

 何を読むべきか。人それぞれで「これを読みたい」と思う本を読むのが一番だ。例えば、私がよく推薦書に挙げる『木のいのち木のこころ』(新潮文庫)は今は亡き法隆寺の宮大工西岡常一さんと弟子の言葉を聞き書きしたものだ。木の癖を読みとって活かす使い方を語りながら人の育て方も示す。

 1冊の本を読んで心に刻む言葉が1つ、2つあれば十分だ。それが頭と心の両方に栄養を与える。ただ、同じ本に接しても自立と成長を志向する意識がない限り、情報は流れていくだけだ。そこでアリからトンボになれるかが分かれる。むろん誰もができるわけではなく、おそらく上位20%ほどの層がトンボへ、人間へと成長し、リーダーとして組織を率いていくのだろう。

 今、あなたはどこに位置しているか。誰もが持つ「動物の血」は隣同士の矮小な競争へと駆り立てようとする。しかし、本当に大切なのは、いつか訪れる死の瞬間に、自分は人の役に立つ仕事ができたと思い返せる偽りのない生き方だ。もし、どこかに強欲さがあれば、謙虚な気持ちで原点に戻り、勉強を重ねることだ。努力する人間を社会は決して放っておかない。どこかで誰かが見ていて光を当てようとする。それがサムシング・グレートであり、その存在を信じられる限り、あなたの努力は必ず実を結ぶに間違いない。

---------- 【引用ここまで】 ----------

 能力の限界ぎりぎりのところで生きている人ほど、自分たちの力以上のなにか見えない力を感じることが多いと言いますが、丹羽社長はそんな不可能を可能にする瞬間の力を「サムシング・グレート」と言い表しています。

 そして社会の最先端を生きる人ほど忙しい時間を割いて読書をし、なおかつ古典に目がいきます。歴史のふるいに掛けられて今なお残る言葉には人間社会の真理があるからなのでしょう。

 そのうえでひたすら努力をせよ、と。近視眼的な明日を憂いて目先の利益を求めるよりは、いつの時代にも生きられる普遍的な自分自身を形成せよ、と言うのです。

 これが出来れば社長になれるわけでもないのでしょうが、社長になるような人は必ずなにかそういった要素をもっているものです。

 そんな人だけがもつ、サムシング・グレートを感じます。



    
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日本人は冷たい?

2009-12-08 23:34:25 | Weblog
 日本人は優しいのか冷たいのか?身内ならば優しくて他人には冷たいでしょうか?

 私はそんなに冷たくはないと思うのですが、外国の基準から見るとそこにもまたお国柄の違いが見えてきそうです。


---------- 【ここから引用】 ----------
【中国ブログ】日本人の集団行動は「合理的」でも「冷たい」? 2009/11/18(水) 13:14
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=1118&f=national_1118_026.shtm

 日本人との交流を通して、日本人の集団意識の強さを語る外国人は多い。日本に留学経験を持つ中国人ブロガー「日本語学院留学天地(ハンドルネーム)」氏もこのほど、当時の授業や日本人とのやり取り、地震の際の振る舞いから、日本人に根付く集団意識の深さや、そこから生まれる合理的思考についての実感や有益性などをつづっている。

 同氏は留学時の授業を振り返り、「家族、会社、親戚(しんせき)、友だち」を大事な順番に並べる作業で、中国人学生が「家族、親戚、友だち、会社」と並べたのに対し、日本人学生の並べ方は「会社、家族、友だち、親戚」だったと紹介。同氏はこの時、「中国人は“身内本位”で、日本人は“集団中心主義”的」だと感じたと告白している。

 同氏はまた、この作業を通じて、日本人が集団の利益のために個人の利益を犠牲にし、個人の意見を公にしないのは、集団で自身の存在が浮かないようにするためだと気づいたといい、「それを“謙虚”とするのが正しいとは思えないが」などと皮肉を交えながらも、日本人の集団意識の強さや徹底ぶりを実感したと伝えた。

 一方、同氏は日本人の集団主義から来る「他人の迷惑になるな」との教えには「冷たさ」を感じるとも語り、他人に迷惑をかけないことだけでなく、他人から迷惑をかけられないようにも気を配り、その結果「兄弟は結婚したら他人だ」、「友人間の金銭の貸し借りはご法度」などの話にまで発展する、と驚きを示した。

 しかし同氏は、日本人に感じる「冷たさ」は、合理的判断に基づくものだとも言及、地震を例に挙げ、日本人は、知人ががれきに埋まっていても、自身ではなくレスキュー隊員など専門家を介して助けようとすると紹介、何が何でも自身で助けようとする中国人との違いを示した。

 同氏は、地震の際の振る舞いの違いから、地震の恐ろしさや、自分の限界を知る日本人が専門家による救援活動を求めるのは合理的で自然、と語る一方、中国人が問題に直面した時、いかに感情的に対処しているかがよく分かるとして、「中国人は日本人のように、自身の責任や義務、立ち居地をよくわきまえた上で、方法を検討する姿勢を身につけるべき」との持論を展開した。

**********

 日本人の「集団主義」に相対して、中国人が「個人主義」だと語られることも多い。しかし、広大な面積と莫大(ばくだい)な人口を抱え、周囲を多くの異民族に囲まれた中国において、人々の競争は歴史的、地理的宿命を背負っており、他者よりもいかに優位に立つかが生存にかかわる、とする危機感は、四方を海に囲まれた日本では想像を絶する過酷さがある。中国人の「個人主義」は、そうした危機感が形を変え、今なおあらゆる場面に根付いているとも言える。(編集担当:金田知子)

---------- 【引用ここまで】 ----------

「『家族、会社、親戚(しんせき)、友だち』を大事な順番に並べる作業で、中国人学生が『家族、親戚、友だち、会社』と並べたのに対し、日本人学生の並べ方は『会社、家族、友だち、親戚』だったと紹介」というのは面白いですね。

 自分が何によって自分であるかということの順番として、企業に働く人たちは一番目に「自分がここの会社で働いて給料をもらっているから自分でいられるのだ」と思っているのでしょう。

 最近でこそそれほどでもなくなりましたが、たとえ家族のためであっても、有給休暇を取ることに対していくばくかの後ろめたさを感じるというのはそういう心根の証でしょう。

 今振り返ってみると、多分その根元は、世の中の男は職場と仕事のことだけを考えていれば楽だったのだと思います。それ以外のことなど奥さんや親や他の誰かがやってくれていたということもあったのでしょう。

 今はそうした他の誰かの役割が小さくなった分、やはり自分自身がこれまでの雑事と思われたこともやらなくてはならなくなり、その「あたりまえ」の度合いが上昇してきたのではないかと。これも世の中の変化の一つかも知れませんし、いずれグローバルな社会に触れることで中国もそうなってゆくのでしょうか。

    ※    ※    ※    ※

 ある経済格差に関する本を読んでいた時に、「日本では『小さい政府を目指す』と言いますが、『小さい政府』が成立するためには『大きな共同体』がなくてはなりません。それがあったからこそ戦後の日本は福祉国家でなくてもやれたのです」という一節がありました。

 これまであたりまえだった共同体が小さくなっている今、やはり真剣な国民的な議論を通じて何をどう補完して行かなくてはならないかの共通理解を進めておかなくてはならないでしょう。

 日本人は優しいのか冷たいのか。まあどちらでもないのでしょうけれど。

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松岡正剛著「世界と日本のまちがい」を読む

2009-12-07 23:43:31 | 本の感想



 松岡正剛先生の「誰も知らない世界と日本のまちがい~自由と国家と資本主義」(春秋社 1,800円+税)を読みました。

 この本は松岡正剛さん(以下「セイゴオ先生」と書きましょう)が以前上梓した「17歳のための世界と日本の見方」を受けて、その次に続く時代からの世界の歴史を分かりやすく書いた歴史のセイゴオ流解説書です。

 セイゴオ先生は最初に「編集工学」ということを言い始めた方で、文学、芸術、歴史、文化、科学などジャンルを超えたあらゆる情報を横串に差して、情報の世界を縦横無尽に駆けめぐる知的タフガイです。

 「千夜千冊」という突拍子もない書評活動も行い、多くの一流人たちとの交流を通じて、独特な日本文化観をもち、今では塾なども開きながら独特な活動を展開しています。

 昔読んだ本の印象では、「難しいことを知っているのだけれどそれを優しくは書かない人」という印象だったのですが、今回のこの「誰も知らない世界と日本の…」では、細かいことをはしょりながら、大きな歴史の流れを実に分かりやすく語ってくれています。

 時には当時の時代人の書物からちょっとしたエピソードも紹介してくれていて、読みやすい本になりました。

    ※    ※    ※    ※

 今回のこの本の主題は、自由と国家と資本主義を巡る誤解を解き、大国と経済システムの歴史を紐解き、現在のグローバル経済はやっぱりおかしいと思う、という警鐘です。

 変えようのない過去の歴史の帰結として現在があるものの、その歴史とは実は時代ごとの大国の思惑やエゴ、それに対する反駁が複雑に絡み合っていること、また時に現れた思想的な流行が世界を覆い、それがまた新しい歴史を作り上げる要素になったことなどが流れるように描かれています。

 さんざんそうした歴史のひだを紹介しながら、どうやらセイゴオ先生がこの本で言いたかった一番のことは「資本主義は一つではない」ということのようです。

 いくつもの資本主義については、この本の中でもミシェル・アルベールの「三つの資本主義」と言い、ハムデン・ターナーは「七つの資本主義」を唱えました。
 
 またブルーノ・アマーブルは「市場ベース型」、「社会民主主義型」、「大陸欧州型」、「地中海型」、「アジア型」という「五つの資本主義」と言っています。

 そのうえでセイゴオ先生は「…ここまで資本主義を分類していって、会計制度だけグローバルスタンダードにしておいて、その運用は地域柄やお国柄を発揮しているんだったらもうそれは文化人類学の分野なのではないか」
「…そしてもし仮にそのように分類出来るのだというなら、その中の優秀な資本主義システムを他国に押しつけては行けません。なぜなら文化は他国に押しつけるものではないから」と言っています。

 アメリカ型の資本主義だけがグローバルスタンダードではないし、逆に日本型の資本主義とは何か、という視点も欠けているのではありますまいか。

 セイゴオ先生は、情報を編集することでその流れに棹を差したいと考えているようです。

    ※    ※    ※    ※

 日本文化を見つめているセイゴオ先生、日本の米作りは直接種を田んぼに蒔くのではなく、一度苗代で苗を作ってからそれを田んぼに植えるという農法に興味を持っています。

 それはある意味日本らしい、「直接」を嫌って間接的に事をなす典型なのではないか、というのです。

 これもまた西洋農法が入ってきたところで、長年培ってきた日本の農村文化なのではないか。だとするとそれに由来した農村経済もグローバル化させることはおかしいし、日本型資本主義も世界中のそれとは違ってよろしいし、違っていいんだということを堂々と言おうよ、ということでもあります。

 まあ尻馬に乗ってくっついていたアメリカ型のリスクすらお金に換えてしまうと言うハイエナみたいな経済とはやはり日本は肌合いが合わないのかも知れません。

 そんなことに気づかせてくれるこの本は、大人の教養書として読みやすい、お薦めの一冊です。
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丸の内のエリアデザイン

2009-12-06 23:45:25 | Weblog
 朝早くに地方にいるはずの知人のAさんからメールが入っていました。「無理はしなくて良いんだけど、今東京にいて午後に帰るまで時間があるんだけど会えませんか?」とのこと。一瞬迷ったのですが、しばらく会っていないのと天気も良いので、これも何かの縁と、東京駅まで出かけて行きました。

 今日は東京駅前の丸の内界隈を案内することに。このあたりは明治時代に岩崎家の三菱財閥が政府から土地の払い下げを受けて以来、三菱系の開発が進められてきました。

 エリアの中でもわりと南の方はロンドンの街並みをイメージした赤レンガによる建物群が建てられ「一丁倫敦」と呼ばれました。

 その後、大正三年に東京駅が出来ると、その北側エリアで鉄筋コンクリートの建物群が建ち始め、こちらは「一丁紐育(いっちょうニューヨーク)」と呼ばれるようになりました。その代表的な建物が初代の丸の内ビル、いわゆる丸ビルです。

 この地域では建物の高さを31mに決めて、その高さで揃えられました。31mというのは百尺のこと。

 この高さのコードは、新しくできた丸ビルでも景観の重要な構成要素になっていて、低層部分は31mの高さで作られ、超高層はその奥に建てられるようになっています。

【昔の丸ビル】



【新しい丸ビル】



 この地域では地権者やビルオーナーが中心になった再開発協議会を作っていて、ひとたびビルを建て替える時はこうしたデザインコードを大事にしようという合意が形成されているのです。

 こうしたお話をすると、Aさんは「うわあ、何度もここは通っていますがそういう目でこの地域を見たことはありませんでした」と驚いていました。

 まちづくりも「民間にもできる」と言いますが、丸の内地区の一つの理想をつくり、これを継承しようという息の長い活動は本当に例外。大地主だからこそできるチャンピオン級の地域マネジメントです。

 まちづくりは何がよいのか、という理想やビジョンを持つことが大切で、良い町が何なのか、ということが分からない人には良い町をデザインすることは出来ません。まさに目の肥えた目利きの世界でもあるのです。



【参考(写真も)】
 丸ビルの歴史 http://www.marunouchi.com/marubiru/about/history.html
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無料の年賀葉書作成ソフト

2009-12-05 23:01:19 | Weblog
 そろそろ年賀状の季節がやってきました。もう準備は出来ましたか?

 年賀状は大概の日本人にとってこの時期毎年行うルーチン作業。決まり切ったことをするのはパソコンが一番得意な分野です。年賀状ソフトもよく売れています。

 来年は寅年とあって、虎のイラストをネットで手に入れようと思っていたら、日本郵政が年賀状を作るソフトを提供していることを知りました。その名も「日本郵便 年賀状作成キット」

 味も素っ気もありませんが、なんと住所の印刷まで出来るとのふれ込みです。(それだったら市販の年賀状ソフトはいらないじゃないかー!)と思いながらサイトを開いてみると、ありました、無料でソフトをダウンロードするようになっています。





 私には使い慣れた「筆ま○」というソフトがあるのですが、本当に使えるものかどうか試みにダウンロードして使ってみることにしました。

 ところが…、うーん、ダウンロードするのにやたら時間がかかります。相当重いソフトなんですね。

 ダウンロードを終えて早速起動してみます。こちらのサイトで使える虎のイラスト集から良さそうなものを選んで文面を作ってみることにしました。しかし…、検索をかけるとイラスト表示も遅いです。イラストの数がホームページにありすぎるんでしょうか。

 それでも一応、文字を書いてイラストを貼り付けて印刷まで一通りのことができるのはたいしたものです。細かい使い勝手の面ではやはり売っている民間のソフトの方に分がありますが、ソフトにお金を掛けたくない、タダなら良い、という人なら使えるかも知れません。





 ハガキを売るためにはハガキを作りやすくする環境が必要、というのは分かります。民間でも売っているソフトに対抗するというのは、公社時代だったらやらないでしょうし、民間になったからこそやれることでもあるのでしょう。

 郵政事業の民営化がまたどうなるかわからないなか、民間になると言うことはこういうことか、と思ったのでした。 
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不動産販売の王道

2009-12-04 23:43:03 | Weblog
 ビル十棟ほどからなる面開発されたエリア施設の管理についてお話を聞きに、ある管理会社を訪ねました。

 事前にアポを取っていた部長のAさんは、元銀行マンだったそうで、およそ銀行業務でやっていない分野はないと豪語するほど多方面で活躍された方。おまけに国にも出向していて、土地の流動化を推進する時には関連する法律作成までお手伝いされたそうで、とにかく話が弾みました。

 話しは次第に不動産販売の話しになってゆきましたが、このA部長はこの分野でも実に深い哲学をお持ちでした。

「…たとえば今日私はこままささんと始めてお会いしましたよね。でももし家やマンションを買うおつもりがあるんだったら絶対に買って頂く自信がありますよ」
「ええ?そんなことができますか」

「ええ。まずポイントは奥様です。家は普段家にいることが多い奥様が主導権を握りますからね。そして私が保有しているあちこちの物件をお薦めします。しかしその物件は単なるデータとしての物件ではありません」
「…といいますと?」

「もっている物件は間取りや内装はもちろんですが、全て事前にその地域のことまで徹底的に調べ上げておくんです。スーパーはどこにあって何が安いか、日常の騒音はどうか、周辺の樹木など環境はどうか、病院、学校…、そうしたことが全部頭に入っていて始めて、お客様のライフスタイルに合致するかどうかを判断してお薦めする物件をアドバイス出来るというわけです。敷地の中に木が生えていたら、私はその土までなめました。この土でこの木が育つかどうかまで分かりますよ」
「ほー、なるほど!お客さんのライフスタイルで薦める家も異なるというわけですね」

「例えば、千葉県の奥の佐倉という地域であれば、まだ昔ながらのイメージが強くて、家には畳の部屋が2室以上ないと売れません。逆に多摩ニュータウン地区になると、畳の部屋は1室でないと売れないんです。これはその地域のカラーですが、こうしたことも案外大事なんです」
「へえ、ある種の眼力ですね。ところで住まいを選ぶ際のポイントというのはそうしたプロの目から見てどのあたりにあるのでしょうか?」

「これはいくつかありますが、まずは女子大が近くにある駅の近くに住むと良いです。そうしたところは若い女性が多くて、それに引かれて若い男性も増えて賑やかになります。すると安い賃貸の物件が増えてきて、しかも回転率が高くていつも若い人たちがいる町だということですね」
「他にはありますか」

「あとは実際に現地を見学する時は、平日に行かれた方がよいでしょう。土日と平日では交通が違うので騒音の量や質が異なるんです。それに近くのスーパーなども巡ってみて、自分なりの指標となる品物の価格を見てみることです。大根が120円?高いなあ…とかね」

「それに、あとは地方税が安いかどうかもあります。安いと言うことは税金を稼いでいる仕掛けがあるわけで、例えば府中市ならば競馬場があっておかげで市民税は安いですし、おまけにゴミの収集が多いなど市民生活の便利も大きいのですよ。また都会へ出る電車賃が安いところを選ぶと良いでしょう。今の土地が安くて良いとしても都会に出る電車賃が150円か500円かで、出てこようという気持ちが変わります。絶対に都会に気楽に出られるような場所のほうが良いんです」

「ははあ、なるほど。それにしてもこういう上司をもつと部下の方は大変でしょうね(笑)」
「私は部下には『家を売ろうと思ったら家事をしろ』と言い続けています。家事をしない者がプランしたりデザインしたりしているような家は得てしてどこかが抜けています。天井が高いのが良い、と言っても、歳を取って蛍光灯を替えにくくなっていないかとかね。洗濯をする時に手元が暗いのは、適切な場所に照明がないからだ、とかね」

    ※    ※    ※    ※

 とにかく話題が豊富な方で、現場も数多く歩かれているので話す内容にも力がありました。

 「現場を見て知り尽くすことでどんなリクエストにも答えられるし、逆に薦められない理由も伝えることが出来ます」という言葉にプロを感じました。

 こういう方が管理を担当する施設は素晴らしい道理です。

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しなやかな組織とは

2009-12-03 23:55:30 | Weblog
 強い組織を作るにどうしたらよいか、というのは経営学でも重要なテーマ。

 しかし重要なだけに実に多くの学者や経営者がいろいろなことを言っています。

 ピーター・センゲの「最強組織の法則」、エドガー・シャインの「学習する文化」、「『高業績チーム』の知恵」の、ジョン・カッツエンバックとダグラス・スミス…、まだまだいます。でも、どれを読んでも、「ああ、そうだなあ!」と納得したり、目からウロコが落ちる思いがするものですが、これまたすぐに忘れちゃうのも悲しい事実。

 どうせ忘れるのは覚悟の上で、やっぱりそうか、と感動を覚えることを繰り返し、自分の中に自然に身に付いてくることを期待するしかないのかも知れません。

 今日は「強い組織とは?」というお話です。


---------- 【ここから引用】 ----------
【プレジデント・ロイター】いちばん強い組織のかたちとは プレジデント 2006年5.1号
 ~強靭で柔軟で機敏……「しなやかな常勝組織」10の特徴~
 
http://president.jp.reuters.com/article/2009/12/02/992FA142-D4D5-11DE-B61C-1EB03E99CD51.php





しっかりした基盤を持ちながら、変化に対応できる柔軟性を持つ、「しなやかな組織」は、おおむねここに挙げた10の特徴を備えている。あなたの会社は、この基準をどの程度満たしているだろうか。

昨今、経営管理の世界で注目されている概念の一つが「しなやかさ(resiliency)」だ。しなやかな組織の最大の特性は、組織とそのパフォーマンスを前進させるために、決定権、情報、動機づけ要因、組織構造が互いに密接につながっていることだ。そのつながりこそが次に記す10の勝利の行動を実践することを可能にしている。


(1) 想像できないようなことを思い描く

しなやかな企業は、同業他社ではなく人間の想像力の理論的限界に照らして自らを評価する。想像できることなら何であれ実行できるという見方をとる。手本を探す際には「ベスト・イン・クラス」を超えたところに目を向け、競争に備えるためには市場と向こう5年間の展望と現状の背後にあるものを見つめる。転換期には必ず途方もないことを思い描き、足元に火がついた緊急事態をいち早く認識する。

(2) コミットメントとアカウンタビリティの文化を築く
  (略)

(3) ゴールポストを3年ごとに動かす
  (略)

(4) 所信を断行する勇気を示す
 (略)

(5) 逆境からすばやく立ち直る
 このうえなくしなやかな組織でも逆境にぶつかることはある。健全なDNAを持っていても、それは外部のあらゆるリスク要因からシステムを守ってくれるわけではない。しかし、内部の迅速な対応を促す働きはしてくれる。技術革新であれ、景気後退であれ、競争相手からの挑戦などに直面したとき、しなやかな組織は早めにそれに気づいてすばやく対応策をとる。

 責任をなすりつけ合ったり、うわべを取り繕ったりして時間や資源を無駄にすることはない。しなやかな企業は、真正面から敵に立ち向かう。傷んだ箇所を切り離して、中核市場でのポジションを守り抜く。さらに重要な点として、攻勢のチャンスをとらえて積極的に成長を追い求める。しなやかさとは「強さや活力をすばやく取り戻す能力」なのだ。


(6) 水平的に思考する
 組織というものをイメージするとき、人はたいてい階層構造を思い浮かべる。しかし、しなやかな組織は、自らの世界観にもう一つの次元を持ち込むことができる。

 しなやかな組織は、組織の階層を減らして縦の境界を越えて活動し、サイロのような縦長構造を取り壊し、ベストプラクティスを広め、部署横断的に協働し、水平的に昇進させることで、価値を余すところなくつかみとる。しなやかな組織は水平的に思考し、より協調的かつ効率的で幅広い能力を持つ組織の利点を享受する。

 しなやかな組織を維持するためには、情報の上下の流れや組織の境界を越えた流れがきわめて重要だ。別の事業部や別の部署の誰かが、あなたの情報を手にすれば顧客によりよいサービスを提供できるという場合には、あなたはその情報をその人物に与える。それはあなたが、そのほうが会社のためになることを認識しているからだ。


(7) 自動修正する
 しなやかな組織は、問題が特別チームでの対応を要するほど、あるいは利益を脅かすほど拡大する前に、問題を見つけて修正する内部メカニズムを制度化している。情報はタイムリーかつ健全に流れ、必要とする人間が容易にアクセスすることができる。システムやプロセスには、外部からスイッチを入れる必要のない自動的なフィードバック・ループが備わっている。しなやかな企業は自動修正する有機体であり、成長とともに学習していく。

(8) 苦情に耳を傾ける
 (略)

(9) 同じ方向に進ませるように動機づけ要因を与える
 (略)

(10)過去の栄光にあぐらをかかない
 しなやかな組織は自己満足しない。それどころか、ちょっとした偏執的こだわりはよいことだという見方をとる。しなやかな企業は、異論の余地のない成功にもかかわらず、けっして勝利にほくそ笑んだり、満足したりはしない。

 すぐれた仕事に対してはまず見返りを与え、それから目標ラインを引き上げる。市場リーダーの地位を維持するためには、成功をひけらかすことより組織の微調整を行うことに時間を使う必要がある。現に、多くのしなやかな企業が、どれほどおもねった取り上げ方であってもメディアに取り上げられることはひどく嫌っている。重要なのは測定されるもの、すなわち結果なのだ。

※この記事は、『Results:Keep What's Good, Fix What's Wrong, and Unlock Great Performance』の要約です。

---------- 【引用ここまで】 ----------

 【(5)逆境から素早く立ち直る】、なんていいですね。必ず訪れる逆境の時に嘆いたり悲しんだりというのは自分の感情のこと。それを思いを振り払って、冷静に現実的に対処する。嘆いたり悲しんだりするのは一段落ついた後で良いのです。


 【(6)水平的に思考する】も良いです。組織が縦に強すぎると、多様な意見や考えが封殺されてしまいます。立場を超えた良い考えを皆が認め、それを共有する強さがあれば、そう言う組織は強いでしょう。

 【(7)自動修正する】は、組織の中の変革の気風に左右されるでしょう。トヨタの組み立てラインが強いのは、ひとたびミスがあったらラインを止めて、何が悪かったかを徹底チェックするカイゼンの精神があるからこそだとよく言われます。
 その小さなミスを見逃さずにカイゼンする精神がいいのです。

 cf. The term kaizen (改善, Japanese for "improvement") is a Japanese word adopted into English referring to a philosophy or practices focusing on continuous improvement in manufacturing activities, business activities in general, and even life in general, depending on interpretation and usage.(Wikipediaより)

 【(10)過去の栄光にあぐらをかかない】なんてなかなかできません。ついついいい気になってしまうものです。それを常にいましめるためにも良い言葉です。

 過去の栄光は思い出の中において、未来をみつめる…、簡単に言うけれどなかなかできませんよね。なにしろ、そもそも過去の栄光がないー(涙)

 さて、興味のある方は本文もご一読ください。
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ネットオークションでデジカメを手に入れる

2009-12-02 23:49:17 | Weblog
 実は数週間前に、出張で行ったところでデジカメを紛失しました。

 どう考えても無くすはずはないのですが、夜に飲みに行ったお店の方に訊いても見つかりません。こちらへ来てから買ったもので買ってから2年半経ったとは言えまだ十分使えたし惜しいのですが出てこないのでは仕方がありません。

 とはいえ、デジカメが無くては日常生活が不便になるので、なんとかしてデジカメを手に入れたいもの。携帯電話にもカメラ機能がついていますが、パソコンとのリンクや画像の質など使い勝手はやはりデジカメの方が上です。

 2、3年前の型落ちで良いから安いのが欲しいけれど、そんなものは電気屋さんへ行ってももう売っていません。新品しか置いていないし、やっぱり定価がありますしね。

 かといって新しいものを3万円も出して買うのは痛いなあ、と考えていて思い出したのはネットオークションでした。以前に友人が「私は車の新しいタイヤをヤフーオークションで買いましたけれど、費用が1/4ですみましたよ」と言っていたのを思い出したのです。

 そこで早速、ヤフーオークションのサイトを開いてみると…、おお、ちょうど3年前くらいのデジカメが「2千円から」として出品されているではありませんか!

 ヤフーオークションは5千円までの取引が無料の登録で行えます。それを超えると有料会員とならないと出来ないシステムです。一応ヤフーには会員登録をしてあったので、このオークションに参加です。

    ※    ※    ※    ※

 既に別の会員が3,000円をつけていたので、試みに3,100円をつけてみました。すると数時間後にそれを超える3,200円がつけられました。こういう情報もメールで教えてくれるのです。

 ヤフーオークションには時間制限があって、一定時間が来るとそこで一番高い値段を付けていた人に落札するシステム。どうやらこれは、制限時間があるのにうかつに値を上げると相手もどんどんつり上げてきそうだということに気がつきました。

 そこで、残り時間を見ながら時間ぎりぎりに高値を放り込む作戦に変更。

 締め切りは夜の10時10分だったので、10時9分になったときに4,999円で登録。画面は「あなたが現在の最高落札者です」と書かれています。作戦成功か、と思いきや、残り30秒だった時計が残り時間5分となりました。うおー!これが噂の自動時間延長か!

 高い値を入れて残り時間が少ない場合は、別の相手にも考える時間を与えて少しまた落札締め切り時間が延びるのです。ここで5千円と入れられたら私が取引出来る額を超えてしまうので万事休すです。

(札を入れるなー!)と心の底から叫んで心臓がドキドキです。





 で、なんとか時間切れ終了で、私が最高落札者となりました。ヤフーのシステムは、自分は高い値を入れていても、その直近下位の人の値段より一単位上の価格で決定されるというシステムです。

 私は4,999円を入れていましたが、直近下位の人は4,500円の札を入れていて単位は100円だったので落札金額は4,600円と言うことになりました。ふー、興奮した。

    ※    ※    ※    ※

 落札者の私のところにはオークションのシステムから相手とのやりとりメールが届き、お金を振り込む銀行口座と相手の素性を教えてもらえます。

 そこでネット上で入金をしておいたところ、今日になってそのデジカメが届きました。





 私が使っていたものよりも一つ前の型ですが、私よりずっと使い方が丁寧なのでほとんど傷もなく、機能はほとんど同じなので操作に悩むこともありません。

 実際は落札した4,600円に送料が1,500円かかるので、6,100円の買い物ですが、2万円も払って新しい品を買うことを考えると十分納得出来る買い物でした。

 ネットオークションには結構怪しい詐欺も多いのですが、出品者も落札者も同じ立場です。ヤフーでは、出品された人と落札した人をお互いに評価し合うシステムもあって、良い品を出すという評判も、ちゃんとお金を払って買い物をしたという評判も数値化して表されます。

 こうして信頼の実績を数字で表すことで信用を保証しようと言うのです。

 なんだかまた新しい世界を垣間見た思いです。でもご契約は慎重にね。 

  
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