北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

カッコいいキャンプの思い出

2013-09-10 23:05:23 | Weblog

 この週末は道北方面へオートキャンプを企画中。

 温泉にカヌー、釣りに加えて、そちら方面への知人も訪ねようと企画は満載です。

 最盛期に比べると利用者は減少傾向にあるオートキャンプ場ですが、まだまだ根強い人気のあるアウトドアアクティビティです。

 私も始めた初期のころは、品定めして買った道具を使ってみることが楽しいものでした。

 テントやタープ、バーナーや調理道具などはまずショップで選ぶところから冒険心をかき立てられたものです。

 また道具を上手に使えるようになることも楽しみでした。

    ◆   ◆ 


 まだ私が30代前半でキャンプ初心者の頃に、友人夫婦と福島県の猪苗代湖にキャンプに行ったことがありました。

 宿泊当日は強い風が吹いていて、テントにセットされているだけのペグや紐だけではとても心もとなくておろおろしていたところ、近くでキャンプをしていたベテランのご夫婦がやってきて、「大丈夫?この紐で補強するといいよ」といって、長い紐をくれたのでした。

 おかげで、テントやタープをあちこちに結んで補強することができて強風下の一夜を過ごすことができました。

 そのご夫婦を見ていると、タープの下でアウトドアファッションに身を包み、イスとテーブルにゆったりと座ってコーヒーを飲んでいる様子が実にさまになっていて、とてもカッコ良かったのです。

 それ以来、キャンプへ行くときは余分な紐を持ち歩き、状況に応じた結び方を勉強したりして、上手になろうと努力してきたものです。

 その後は時代と共に道具仕立てもいろいろ変わってきて、横壁がなくて日よけ・雨除けのタープよりは周りを覆ってくれて寒さをしのげるスクリーンテントが隆盛となりました

 明かりもガソリンやガスのものから、電池での蛍光灯になり今ではLEDが流行しています。

 しかし思えば、道具を使える姿よりも、あの猪苗代湖での風雨に平然としていられる経験と技術こそがカッコいいキャンプの姿としてイメージの中にずっとあったような気がします。

 最近は軟弱になって、キャンプでもコテージが楽だなあ、と思うようになっていましたが、たまには風を感じられるようなテントでのキャンプで野性を磨くのが良さそうです。

 週末はまた天気が悪そうですが、ちょっとくらいずれて欲しいなあ。

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主張する国、日本…になれるのか

2013-09-09 23:43:45 | Weblog

 東京が2020年のオリンピック開催地に決定しました。東北大震災は東北だけの問題ではなく、日本全体を襲った厄災であり、そこからの復興を果たすためのシンボルとなるでしょう。

 まずは素直に喜びを共にしたいところです。

 事前の下馬評ではスペインのマドリードがライバルと目され、またトルコのイスタンブールであればイスラム世界初となることの意義を感じる意見などがあり、直前まで予断を許さない状況でした。

 しかしそうした予想を覆して、東京という都市の治安、利便の良さや、財政的な運営力、そして国を挙げてのバックアップ体制を示したことなどが評価されて、結果的には他都市に大差をつける形となったようです。

 招致委員会の声を聞くと、東京は前回立候補して落選した反省を踏まえて、チーム一丸となってロビー活動を展開してきた、とのこと。

 ロビー活動とは、アメリカのグラント大統領がホワイトハウスではなく近くのホテルで葉巻を楽しんでいることを知った関係者が、このホテルのロビーで陳情活動をしたことからその名がついたと言われる。

 共に共通の嗜好を持つ者の気安さや親しさからこうした形で情報を伝えお願い事をすることが有効だ、ということが知られて、やがてロビー活動と呼ばれるようになったのだそうです。

 中国の古典に「嚢中(のうちゅう)の錐(きり)」という格言があるが、錐は尖っているので袋に入れてもすぐにわかる、ということから、才能のある者は黙っていても知られる、という意味でつかわれます。

 また「お天道様が見ているよ」と言われるように、日本人には、良くも悪くも世間には情報が伝わるものだという感覚が強く、黙っていても伝わるのではないか、という期待があります。

 おまけにロビー活動というと、どこか後ろ暗くお金も動くような印象から清廉潔白を潔く思う日本人には好まれない向きがあるところです。

 しかし国際間交渉の常識は、黙っていては通じないということであり、個人的な信頼と関係を大切に築いたうえで大事なことは声を大にして伝えるということ

 今回はプレゼンテーションも相当練習したりプロのアドバイスを受けたりして洗練された印象です。

 およそ日本という国がこうした国際舞台で堂々と自説を主張して、人々の心を動かして成果を勝ち取ったというのは初めてのことではないでしょうか。

 そういう意味では、東京にオリンピックが来ることは大きな成果として、さらに、日本が国際的に主張する国へと変貌するきっかけになるのかもしれません。

 日本がこの活動を通じて得たものは実に大きいことでしょう。

 

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釧路湿原美術館訪問~佐々木榮松先生の描く湿原

2013-09-08 23:26:20 | Weblog

 釧路で行われた大漁どんぱくからの帰り道に、阿寒湖へ行く途中に釧路湿原美術館へ立ち寄ってきました。

 この美術館は、釧路に生まれた孤高の画家佐々木榮松さんを偲んで、その作品・遺品・資料などを後世に残そうと、佐々木榮松さんと生前交友のあった人たちが中心となって建設活動を進めていたもの。

 その母体となるNPO法人佐々木榮松記念「釧路湿原美術館」が認可され、さらにその趣旨に賛同する多くの皆さんからの寄付などもあって、この6月15日に開館したものです。

 建物は、かつて「北緯43度美術館」として展示活動を行い、昨年12月に閉館したものを購入して再利用しています。

 私も釧路市役所にいた頃からこのNPO法人の理事長になられた片野良一さんや美術館の館長、副館長である高野英弥・範子ご夫妻とご縁ができて、その活動を見守っていた一人です。

 開館してから一度お訪ねしたいと思っていましたがきょうそれが果たせました。

 しかも普段は東京におられる片野理事長さんが偶然にも釧路で行われる会合に出られるために丁度美術館におられて、互いに再開を喜び合いました。

 高野さんご夫妻にもお会いできたところ、副館長の高野範子さん自らがガイドをしてくださることになり、至福のひと時となりました。

 高野範子副館長は、ご主人の転勤で釧路へ来られた、本来はよそ者なのですが、縁あって佐々木榮松先生の晩年の身の回りのお世話をすることになり、そうした縁が積み重なって佐々木榮松先生の生前残された作品群を保存し後世に伝える活動に身を置くことになりました。

 そうして絵の説明をいただきながら、普段の佐々木先生から伝えられた様々なエピソードがほとばしるように出てきます。

 もう少しで終戦という昭和20年7月14・15日に襲った釧路空襲で佐々木先生は幼いお嬢さんを失います。

 ご本人は「4歳だったんだ」と言い続けられていたようですが、高野副館長によると「実際は1歳になるかならないかだったんです。記憶違いだったのか、そうお思いになりたかったのかは分かりません。しかしその姿を絵の中で成長させて描かれています」

 また佐々木榮松先生と言えば、道東の釣り師としても名が通っており、釣り道具を描く繊細な筆致にはため息が出ます。

 全てを独学で修められた佐々木榮松先生の描く湿原を見てから本物を訪ねるも良し、その逆も良し。

 釧路湿原の新しい魅力に惹きこまれることでしょう。

 釧路方面へお越しの際はどうぞ一度お訪ねください。


【釧路湿原美術館】
    http://www12.plala.or.jp/kushiro/

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釧路での濃い一日

2013-09-07 23:45:21 | Weblog

 朝一番で札幌を出発して一路釧路へ。

 大漁ドンパク花火大会をメインに釧路への一拍の旅です。

 せっかく釧路へ行くのに釣りをしないわけにはいきません。まずは阿寒川で強烈な渓流を味わいます。

 なにしろ水の流れる量とその流れの強さが違います。

 川を横断するのにも一苦労で、妻と「命がけだね」と言いながら必死になって川を渡ります。

 そんな阿寒川ですが、釣果はさっぱり。ドライのフライでは全く魚信がありません

 ここのところ急に気温が下がったせいで活性が下がったでしょうか。残念ですが、そういう事態の変化に追従する引き出しが足りません。

 料金徴収のおじさんと会話をしたら、「昨日放流したばっかりだから、いいと思うよ」との事でしたが、期待外れで残念でした。

 しかし久々の大河での釣り。川のエネルギーを存分に浴びた一日となりました。


   ◆   ◆   ◆


 釧路市内へ到着してからはホテルへチェックインをしてから、ドンパク花火大会へ。

 始まる直前にパラッと一雨来たので「どうなることか」と思いましたが、花火が始まるころには霧もなくほどよい風もあって、澄んだ空気の絶好の花火日和となりました。

 花火で面白かったのは、動物の顔をかたどった変わり花火。カエルに猫、狸に猿と、上手に花火で動物の顔を表現していて、会場からは笑いとともに拍手と歓声が上がりました。

 自慢の三尺玉も空全面に展開して、見た人たちは大満足だったことでしょう。


 
   ◆   ◆   ◆


 花火の後に、末広町や栄町の繁華街に繰り出しましたが、知っている居酒屋は軒並み満員で入れません。

 流れ流れて最後の頼みのちゃんこ屋さん「坤龍(こんりゅう)」さんへ行きました。



 お刺身では白糠町で上がったマグロをいただきましたが、よく脂がのっています。

 ちゃんこは鶏の出汁がよく出ていてとてもおいしくいただきました。

 お店の「坤龍」とは、ご主人が関取だったころのしこ名だそうで、味付けは二所の関部屋の伝統だそう。

 二人で行って、一人前にしようか二人前にしようか悩んでいたら、「じゃあ一半(いちはん)にしましょうか」と1.5人前にしてくれる心遣いも嬉しかったです。

 久しぶりの釧路は、とても濃い一日となりました。

 

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上司と部下のすれ違い

2013-09-06 21:48:52 | Weblog

 職場の中での人材育成にはどの組織も苦労していることと思いますが、おもしろい調査研究を入手しました。

 公益財団法人日本生産性研究本部が昨年度に行った「第2回職場のコミュニケーションに関する意識調査」で副題として、「日本の課長と一般社員 叱られると 『やる気を失う』一般社員は、56.8%」となっています。


【日本の課長と一般社員 叱られると「やる気を失う」一般社員は、56.8% ~第2回「職場のコミュニケーションに関する意識調査」結果~】
 http://activity.jpc-net.jp/detail/mhr/activity001384.html

 組織の中の課長と部下に注目して、上司の意識と部下の意識の乖離がよく分かる調査結果となりました。


 発表の概要として掲載されている調査内容は、

1.課長・一般社員とも業務上のコミュニケーションは取れていると感じている
(1)課長の82%、一般社員の73.1%が「業務上のコミュニケーションは取れている」と感じている。

2.部下の能力発揮と上司のサポートにチグハグ感がある
(1)有益な情報の共有について、課長の57.7%が「共有されている」としたのに対し、一般社員は45.1%にとどまった。

(2)叱ることが「育成につながると思う」課長は89.0%いる一方、叱られると「やる気をうしなう」一般社員は56.8%にのぼった。

(3)部下を「褒めている」課長が80.3%いるのに対し、「上司は褒める方だ」と回答した一般社員は51.4%にとどまった。

(4)職場で「率先して仕事に取り組んでいる方だと思っている」一般社員が78.3%いる一方で、部下、または後輩の仕事ぶりに「満足している」課長は37%にとどまった。

(5)育成を「面倒だとは感じない」課長が73.3%いる一方で、育成に「自信がある」課長は41.7%にとどまった。

3.一般社員が、組織への貢献感や「いきいき」を感じられない傾向にある
(1)自分自身が組織にとって「重要な存在と思う」課長が73%だったのに対し、一般社員は49%にとどまった。

(2)一般社員の62.5%が「疲れ気味」と感じている一方、部下、または後輩を「疲れ気味」と感じているのは49.7%にとどまった。

                 【引用ここまで】


 まあ、上司と部下との意識の乖離がよく分かって面白いですね。

 特に2の(2)の叱ることが育成と感じている上司と、「叱られると凹む」と思っている部下の意識の乖離は問題です。

 よかれと思っていることが結果には結びついておらず逆効果になっているのですから、ここは上司にも意識改革をしてほしいところです。

 かくいう私も似たような立場に立っていて難しいのは、「叱る」と「怒る」を区別していない人が結構いるということです。

 穏やかな話しぶりでも叱ることはできますし、逆に顔を真っ赤にして大声を上げるのはどう見ても「怒っている」としか見えません。

 辞書では「怒る」と「叱る」の区別をあまりしておらず、「怒る」の意味として「不満・不快で我慢できない気持ちを表す」という意味の他に、「相手の非をとがめ厳しく注意する」という意味を含めています。

 しかし人材育成と組織マネジメントの観点から見ると、「叱る」と「怒る」は明確に意識して使い分けなくてはいけない違いがはっきりあります。


 よく、「自分のために怒る。相手のために叱る」とも言われます。

 「怒る」のは、自分が腹を立てていることを見せるだけの感情的なふるまいで、自分が溜飲を下げるためということであり、叱るのは相手の足らざる部分を指摘してより良くなって欲しいということを強く伝えるためのこと、というわけです。

 幼児教育の世界でも、子供を叱るときには、「感情的になるな」とか、「ちゃんと言い分を聞いてから叱れ」とか、「人格を否定するような突き放す言葉は使うな」といった注意事項があります。

 叱るときには、感情を抑えて相手のためにという思いを大切にしたいものです。


    ◆     ◆     ◆


 逆に、私も叱られたり怒られたりした立場からすると、やはり調査にあったように凹むものです。

 叱られるのではなく怒られていると、(この人は自分を嫌いなのかな)と落ち込んだりもします。
 
 でもそんなときは、怒られる側になったときでも、(この上司は『叱る』と『怒る』の区別のついていない人だなあ)と冷静に心の中で上司を眺め、(これで凹む部下も多いようだが、自分は凹まないでおこう)と自らを鼓舞しましょう。

 この調査は、上司が自らを省みるためにも使えますが、部下としても心をコントロールするために使いたいものですね。

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人口減少と機械の時代

2013-09-05 22:04:00 | Weblog

 未来のことはなかなか推し量れないものですが、かなり正確に分かる未来の1つが人口の将来推計です。

 日本の人口は平成20年の、1億2千8百万人をピークにして減少を始めました。日本人がなかなか結婚をしなくなったり、かつてのように何人もの子供を生むような家族スタイルをとらなくなったりした現状からは、今後人口が増加することは望めず、確実に我が国の人口は減少の一途をたどることでしょう。

 人口が減少することを悲観するか楽観するかは、それぞれの価値観に負うところが大きいのですが、悲観的な見方をする向きが多いでしょう。

 著作・講演活動に精力的な活動をされている日本政策投資銀行の藻谷浩介さんは著書「デフレの正体」のなかで、15~64歳の生産年齢人口と呼ばれる『お金を使ってくれる現役世代』が減少していることが内需縮小の最大の要因だ、と指摘しています。

 経済を消費の面で考えると、「お金を使う人口」が減ると消費がされなくなるのでデフレになるのだ、というのはある程度うなずけます。

 しかし消費する人口だけではなく、社会を支える人口としてみると、もう一つ「労働力人口」という指標があります。こちらは、「15歳以上の者で、実際に働いている人と、働きたいと希望し求職活動をしているが仕事についていない、いわゆる完全失業者の総数」のこと。

 生産年齢人口と違うのは、こちらではカウント外の65歳以上でも実際には2割は働いていることで、こういう人たちは社会保険を支払って年金などを支える側であり、かつまた社会で求められる労働力として社会を支えている数と言えるのです。

 もちろんこの数も国全体の人口減少と共に次第に減少していきます。

 厚生労働省人口問題研究所の資料では、2007年から2025年にかけて、生産年齢(15~64歳)人口は約15%減少し、労働力人口も約5~13%程度減少すると見込まれるとされています。

 労働力人口は、生産年齢人口よりは急激には減らないと予想され、もうしばらくは社会を支えてくれますが、もちろん少子高齢化によってその中身は、数の減少に加えて高齢化が進んだり女性が増えてゆくというように質的にも変化してゆきます。

 これを我々が携わっている公共インフラの世界で考えると、管理する道路延長や樋門やダムの数が減ることはない一方、社会の労働力は減ってゆくわけですから、つまりはより少ない人間で、公共インフラを管理して行かなくてはならない社会が来るという事になります。

 今ですら既に地方では機械類のオペレーターの高齢化と人員の確保に悩まされているわけで、この傾向がさらに続くということです。

 この矛盾を解決するのは当然ながら効率化にほかなりません。そして効率化は機械力でもってそれを果たしてゆかなくてはならないのです。

 10時間かかった作業を9時間でできれば1割の効率化ができたことになります。そのために除雪機械にはどのような技術開発が必要でしょうか。

 女性や高齢者のオペレーターでも楽に作業ができるための技術開発、二人でやる作業を一人でやれないか、人がいなくても遠隔操作や自動でできないかなどなど、まだまだ効率化のためにできることは多いはず。

 決して現状を守るだけではなく、後の世代のために今我々が工夫しておくべきことは山積しています。

 人口の変動と共に、私たちの社会は否応なく機械力の効率化と技術開発を進めない限り維持することができない社会になるでしょう。

 機械の力が社会に貢献すべき領域はまだまだ広くて多いのです。日々誇りを持って、来るべき社会のために地道にがんばっていこうではありませんか。

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明日からXバンドレーダー配信開始

2013-09-04 22:05:42 | Weblog

 かねてより話題にしていた、より精細な降雨観測レーダー「XバンドMPレーダー(通称:XRAIN)」がいよいよ明日9月5日から北広島市からのデータ配信を行います。

 これは近年北海道においても集中豪雨や局所的なゲリラ豪雨が発生していることから、河川管理や防災活動に役立てるために北海道開発局で整備したものです。

 従来北海道では、1000m級の4つの山頂、すなわち、函岳(美深町)、乙部岳(乙部町)、ピンネシリ(新十津川町)、霧里山(釧路市音別町)でCバンドと呼ばれる帯域でのレーダーで雨雲の観測をしていました。

 これは広範囲に雨雲を観測できるのですが、1000m級と高い位置での雨雲の観測であり、そこから下に本当に雨が降っているかどうかは実はよく分からないものでした。

 それが今回、北広島に設置されたXバンドMPレーダーでは、地上すれすれの雨粒を観測することから、実際に降っている雨を観測でき、さらに、観測の頻度や分解能が大きく向上しています。

 その優れた性能とは、2種類の偏波(水平・垂直)を送信することで、雨粒の形状等を把握し、雨滴の扁平度等から雨量を推定するというもの。

 雨粒は小さいときは丸いのですが、大粒になると肉まんのように扁平になるのでその様子を観測することで雨の量がわかるというのです。

 また、救急車が通り過ぎるときに高かったサイレンの音が低くなる現象をドップラー効果と言いますが、それを利用して雨がどちらへ移動しているかも観測できます。

 さらに、Cバンドレーダーでは配信に要する時間が5~10分だったものが、1~2分程度に高頻度になり、また観測できるメッシュが1kmメッシュから250mメッシュと16倍に改善されています。

 今年の春先に北広島市の防災ステーションに設置されて、観測を続けていましたが、この間、観測で捉えられた値と地上で実際に降っている雨とを整合させるためのパラメーター調整をずっと行ってきたもの。

 そして今般、その調整が終了したことから、明日9月5日の14時からデータ配信が行えることとなりました。

 今回は関東から東北にかけての7基と共に、全国で8基がデータ配信を開始しますが、これで人口の多い平野部のかなりの部分をカバーできることになり、詳細な気象変化状況の把握と精緻な予報が可能になることでしょう。

 高性能のXバンドMPレーダーですが、弱点は電波の性質として、強い雨を観測するとそこで電波が反射して帰ってきてしまうのでその先が分からないということ。

 そのため、このシステムは雨を挟み撃ちにする位置に同じレーダーを配置して、補完する形を取ることで精度を上げる必要があります。

 本州方面ではレーダー網が網状に配置されているので、そうした補完体制ができていますが、北海道は今回の北広島基に続いて、来春石狩川河口周辺にもう一台を配置して補完体制を確立することにしています。

 今回のレーダーで石狩平野を中心とする61市町村のエリアがカバーできるということなので、石狩周辺の高精度な天気予報ができるよう期待されます。

 データ画像はインターネットを介して下記サイトで配信されますので、出先のスマホでも取得することができます。

 どうぞアウトドア活動での情報収集に役立ててください。

 目指せ、情報大国日本!

【XRAIN雨量情報】 http://www.river.go.jp/xbandradar/index.html

 

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誰もが記録者になれる時代

2013-09-03 22:31:20 | Weblog

 不安定な大気の状態の中で、埼玉県越谷市から千葉県野田市にかけて竜巻が発生し、家屋の屋根が飛ばされたり窓ガラスが割れるなどの被害が発生しました。

 また、60人以上が重軽傷を負い、車両破損が数十台に上るといった報道もあり、被害規模は甚大です。

 被害に遭われた方にはお見舞いを申し上げつつ、避けようのない災害だけに心が痛みます。

 竜巻の映像も多くの住民から寄せられたようで、テレビや新聞などももっぱら住民提供の画像や動画を紹介して報道に使っています。

 また気象庁でも、一般市民から提供された画像によって、いつどこでどれくらいの竜巻が発生していたかを分析することに役立てているようで、面白い世の中になりました。

 竜巻なんておそらくは過去にも被害があったのでしょうけれど、動画として記録に留められるようになったのはここ数年のことで、誰もが撮影能力を有していればこそです。

 これらの動画はおそらくスマホをすぐに取り出して撮影したものでしょうけれど、これほど多くの国民が画像をすぐに撮れる能力を有するようになったというのはすごいことですね。
 

     ◆   


 少し前に、駅で電車の車両とホームのわずかの隙間に女性客が落ちてしまったのを、他の乗客たちが協力しながら車両を押して救出したということが話題になっていました。

【海外の反応】 「これぞヒーロー達!」 日本で電車とホームの間に挟まれた女性を駅員と乗客達が協力して救出!
  → http://bit.ly/1a3hcck

 この行為に対して、海外から称賛の声が多く寄せられていましたが、そのなかの一つに、「輝かしいね。もしこれがイギリスの駅だったらみんなiphoneで挟まれた人の写真を撮ってFacebookに乗せるだけだよ」というのがあって、苦笑いしてしまいました。

 皆が撮影能力を有していても、こんなときには協力できるのがいざというときの日本人の強みであってほしいものです。

     ◆   


 三重県で女子高生が帰宅途中に殺されるという痛ましい事件がありました。

 防犯カメラに上手く写っていないかなと願います。

 こういうところにこそ、社会の目と記録能力を駆使して、一日も早く犯人を捕まえて欲しいものですね。

 

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宮崎駿監督の引退

2013-09-02 22:54:22 | Weblog

 宮崎駿監督が引退する、という衝撃的なニュースが世界を駆け巡っています。

 ロイター通信は、「『日本のウォルト・ディズニー』とも評される監督」と伝え、AP通信は「アニメ界で最も成功した監督」と報道したとのこと。

 ネットには、「引退と言ったのはこれで五回目。また次があるのでは」と考えているファンの声も多いようです。

 72歳という年齢が高齢で、もう絵コンテを描き台詞を考え、期待や批判を全て背負うにはもう気力がない、ということなのかも知れません。

 しかしそれにしても、ジブリアニメをここまでブランド化させた稀代の名アニメ監督と多くのファンが賞賛していて、引退を惜しむ声が止む様子はありません。

     ◆   

 宮崎監督ほどアニメ映画のことばかり心底まで考えていると、我々が考えるような無難で安心できる映画はもう気に入らないようで、今回の「風立ちぬ」では、主人公、堀越二郎役の声優として映画監督の庵野秀明監督(53)が起用されました。

 私も映画を実際に観て、本業ではないだけに庵野さんのちょっと棒読みっぽい台詞に、一瞬違和感を感じましたが、世間でも賛否は両論で、「聞いていると味わいが出てくる」という人もいれば、「本業じゃないだけに下手だ」という声もあります。

 しかし、そうやって何かにつけて世間が関心を持って騒ぐところにこそ、もはや芸術としての、一人一人の鑑賞の楽しみがあります。

 そしてそれこそが芸術家として、「俺の作ったモノを勝手に評価してくれ」と言った孤高の高みがありそうです。

     ◆   
 
 かつて、大学入試の国語の問題で、「この文章で作者が言いたかったことは何でしょう」という問題に、出題された文章の作者が不正解だった、という笑い話があったのですが、映画で宮崎監督が何を伝えたかったのか、などという問いには答えはなくて、「まあただ感じるままに作った」ということで良いのかも知れません。

 「お疲れ様でした」と言いたい反面、まだまだ活躍して欲しいものですし、「長編アニメからは引退」という言い方が、「まだ短編ならアリですよね」とか、「総監督として、若手の作品をチェックするだけでも良いのでは」という期待が残るのは当然と言えるでしょう。


    ◆     ◆     ◆


 絵師による一品モノの肉筆画もあるという浮世絵ですが、浮世絵と言えば大方のイメージとしては多色刷りの木版画となるでしょう。

 これは江戸時代中期に技術的に多色刷りに耐えられる和紙が確立したことと、経済の発展と共に分業体制ができあがったことが背景としてあげられていますが、良い絵師が描く絵を、下絵師、彫師、摺師と複雑な工程にわけて多くの職人が支えたのが工房の実態だったようです。

 もっとも、有名な絵師が描く絵だからこそ売れたということなので、宮崎駿さんもそうした有名絵師に相当するのでしょうか。

 しかし、ディズニーアニメだって、ウォルト・ディズニーがいなくなったあとでも技術やノウハウ、クリエイターたちの才能を駆使して今日でもなお、良質のアニメ映画を配給する集団として活躍しています。

 スタジオジブリも、宮崎さんの引退で消えてゆくのではなく、多くの才能がよってたかって支えて、いつまでも日本を代表するアニメ映画製作会社として活躍し続けて欲しいものです。

 まだまだ夢を見させて欲しいジブリファンは多いのです。

 

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災害で強くなるマチ~同潤会アパート

2013-09-01 23:21:36 | Weblog

 90年前の今日、1923年9月1日に関東大震災が発生しました。

 この地震はマグニチュード7.9という大地震で、発生したのが午前11時58分という昼時だったため、火を使っている家庭が多く、建物の倒壊と同時に広範囲に火災が発生し、大変な被害をもたらしました。

 特に巷間語られる大惨事となったのが、本所被服廠跡地での避難民の大量の犠牲でした。

 この土地は、被服廠という、元々陸軍で服を作る部所があったところだったのですが、この大地震の前年に他の地区に移転したために、その跡地を東京市が公園として造成するために空き地になっていたのでした。

 大地震で火災が発生したために、地域の住民たちが避難場所としてこの空き地を目指して大量に逃げ込んできたのでした。

 ところが逃げ込んでくる際に持ち出した家財道具に火が移り、おまけに周囲から火が襲って局所的な上昇気流である竜巻のような"火災旋風"が発生し、被害を拡大させました。

 その強さは、直径30センチの木を引き裂くほどだったと言い、わずか20分ほどの間に3万8千人もの人たちが焼死したのでした。

 
 こうした大被害が木造の家屋が稠密に建てられている当時の東京のまちづくりに起因していたということを理解した行政では、後藤新平をリーダーに帝都復興院をつくり、復興に乗り出しました。

 その柱は延焼を防止する防火帯となるような幅員の広い道路の建設や、建物のコンクリート化による不燃化、そして公園などのオープンスペースの確保でした。

 なかでも東京市公園課の井下清は、海外を視察して鉄筋コンクリートによる不燃化された小学校建設とともに小公園を併設させた震災復興公園を造りました。

 その発想は今日の都市防災の考え方の根幹に通じる先進的なものでしたが、その後特別区制度ができて公園管理が特別区に移った後には、やがてそうした小学校と公園を組み合わせた復興公園は姿を消してゆきました。

 
 同時に住居の不燃化でも、関東大震災の義捐金をもとに設立された同潤会という財団法人は、燃えない鉄筋コンクリートによるアパートを供給し、「同潤会アパート」ととして、時代をリードする住宅提案をしたのでした。

 この同潤会も一つ、また一つと姿を消してゆく中、東京の青山にあった同潤会アパートは、表参道ヒルズの再開発計画が起きた際に、ギャラリーとして残されることとなり現在に至っています。


 【表参道ヒルズと同潤会アパート】

 今やかつての形をほとんど留めない同潤会アパートですが、実は八王子市にあるUR都市再生機構の集合住宅歴史館には移築復元されたものが残っています。

 ここには同潤会アパート以外にも興味深い集合住宅の展示があるので、興味のある方にはお勧めです。

 さて、災害から学んで新しいまちづくり、住宅づくりを進めてきたわが国ですが、やはり一番大切なのは一人一人の防災意識ではないでしょうか。

 この機会に改めて、家族同士の連絡方法の確認や防災グッズの点検などを進めてみてはいかがでしょう。
 

【青山の表参道ヒルズ】 2007年9月29日付本ブログ http://bit.ly/130NuTk

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