北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

稚内でのサクラマス釣り ~ 釣れたのか?

2019-04-20 23:54:54 | Weblog

 

 稚内でのサクラマス釣りは二年ぶり。

 昨夜は夜10時に車中泊で就寝、朝は3時に目覚ましをかけて起床。3時40分に稚内空港近くで待ち合わせて、日の出前に浜辺に出てサクラマス釣りの準備を始めました。

 稚内にいる釣り友達のI田君は、朝野球ならぬ朝釣りで連日サクラマスも釣りに来ているのだそうで、本当にうらやましい限り。

 そのI田君曰く、「僕はサクラマスって、すべての魚の中で一番おいしいんじゃないかと思うんです。捨てるところは内臓だけで身を取ったアラもアラ汁にすればこれまたとっても美味しいんです。最高の魚です!」とサクラマス愛がほとばしります。

 サクラマス釣りの仕掛けは金属でできた細長い魚のようなジグで、これに針をつけて誘い出します。

 日の出前の暗いうちからキャストを始めていると、次第に近在の釣り人たちが集まってきました。

「サクラマスを釣るコツってなんなんですか?」と聞いてみると、「コツですか?ありません(笑)。彼らの目の前にジグがうまく落ちれば食いつくという確率の問題じゃないかと思います」とにべもない返事。

 釣りたければとにかくひたすらキャストを繰り返すのみなのです。

 やがてそれらしい魚のアタリがきました。

 サクラマスは口が弱くて、あまり強く引くと針が外れてしまうので慎重に回収を行います。

 このあたりは海アメマスも混在しているのですが、この一匹は30センチ強のサクラマス。見事に釣りあげることができて、はるばるやってきた甲斐がありました。

 ガイド役のI田君も、「よかったー、これで僕も安心です」と喜んでくれました。

 今日は波がやや高く、濁りも少し出ていて、周りで釣っているベテランたちも苦戦する中、ビギナーズラックで一匹を吊り上げられたのは大収穫です。

 
    ◆


 その後場所を変えて、さらに釣れないものかと粘ってみましたが、アメマスは釣れるもののサクラマスはとうとう朝の一匹で終わりました。

 午後になってさすがにあきらめて、札幌の帰路に就くことにしました。

 海岸沿いを延々と走ってきましたが、やはり稚内は遠いなあ。

 それに長距離走行と車中泊で、早起きとなかなかに大変な旅でしたが、お金と手間に変えられない値千金のサクラマス。

 今日は家に帰って来てから早速さばきましたが、もったいないので今日はハラスの部分だけを塩焼きでいただきました。

 緻密なマスの味が堪能できて、まさにプライスレス。

 釣りのストレスもようやく少しだけ解放されました。次はいつだー。

 

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稚内へ直行 ~ 明日はサクラマス釣りだー

2019-04-19 23:23:24 | Weblog

 

 何も用事のない週末、ずっと釣りに行けずにいたストレスでたまらなくなり、稚内の釣り友達に連絡をして、急遽サクラマス釣りに行くことにしました。

 朝から用意をして車で職場に向かい、仕事が終わった後にそのまま稚内へ直行。

 高速を使いながら5時間半で稚内の道の駅に到着しました。

 稚内では車中泊で、早朝3時起きのサクラマス釣りに備えます。

 ではおやすみなさい。

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追悼 モンキーパンチさん

2019-04-18 23:42:27 | Weblog

 ルパン三世の原作者であるモンキーパンチこと加藤一彦さんが亡くなられました。

 ルパン三世は若いころに大好きだった漫画の一つ。

 画風がちょっとエキゾチックで、話の展開がスピーディ。相当にHな大人向けの漫画で、最後に意表を突くようなオチがあって(スゴイ!)と思わせるあたり、それ以前の日本の漫画とは異質な風がありました。

 テレビアニメになって、そうしたテンポ感は鳴りを潜めた感じがありましたが、キャラが立って、勝手に物語を作れるルパンワールドが出来上がった感じがしました。

     ◆

 さて、私が釧路市役所にいたころに、JR花咲線(釧路~根室間)を走る"ルパン列車"という、ルパン三世のキャラクターによるラッピングトレインがJR北海道によって作られました。

 この車両は今でも花咲線を走っていて、ダイヤはJR北海道のホームページで公表されています。

 原作者の加藤一彦さんが浜中町出身という事で、浜中町は町を挙げてルパン尽くしの地域ブランドづくりを続けていましたが、それを知ったJR北海道釧路支社の矢崎社長(当時)が「地域おこし事業に協力して欲しい」と加藤さんにアプローチを重ねて実現したものです。

 私は釧路市の副市長という立場でしたが、役得で運良くこのルパン列車の出発式典に参加することができ、そのときの様子をブログに書いていました。

 「ルパン三世ラッピングトレイン出発だよ~、とっつぁん(笑)」2012-0401   

 また記念式典に出席されていたモンキーパンチさんは気さくな方で、心安く一緒に記念写真を写させてくれました。

 当時のJR北海道釧路支社長だった矢崎さんの発案と実現に向けた努力は並々ならぬものがあり、大勢の協力者を巻き込んだ末の完成でした。

 出発式典が行われた2012年4月1日は前夜に思いがけず雪が降り、一面が真っ白になった中、天気は快晴。

 真っ青な空に真っ白な雪原、そしてルパン列車という取り合わせが実に美しかったのを今でもはっきりと思い出します。

 お弁当には、浜中町商工会が「ルパン御膳」というお弁当を出してくれました。今でもあるのかなあ。

 モンキーパンチさん、素敵な世界を世に出してくださりありがとうございました。  合掌

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君の行く道は~♪

2019-04-17 23:54:54 | Weblog

 

 先輩を集めての懇親会がありました。

 先輩と言っても、おおむね70歳を超えたくらいの方たちが集まったのですが、そろそろ体にガタつき始める年齢とあって、話題は「健康に気をつけろよ」という話が多くなりました。

 曰く、「70歳を過ぎると、セメントの25㎏袋を持ち上げて車のトランクに入れるのがもう難しくなった」

「朝のラジオ体操ってやっぱりいいものだ、と思い始めたんだけれど、これを毎日続ける気力が続かない」

「年寄りがラジオ体操をしている姿を見てごらん。音楽とジャンプのタイミングが合わなくなっているのと、ジャンプと言っても足が地面から離れていないよ(笑)」

「必ず体のどこかが痛くなってくるよ。メンテナンスを怠ったらいけないし、具合が悪ければ早めに医師の診断を受けることだ」

「子供よりも孫たちが気になって仕方がない。関わり過ぎかな、と思うけれど、なんでもしてやりたくなってしまう」

 まだまだいろいろな話があったのですが、いずれにしても「若いうちには想像もできないようなことが起きるから、情報を集めておいた方がいいよ」というのが、先輩からのアドバイスでした。

 これが「君の行く道だ」と言われているようです。

 未来のことは人生の先輩に聞くしかありません。年上の友人は大切にいたしましょう。

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シンボルの再建、する・しない

2019-04-16 23:30:03 | Weblog

 【炎上するノートルダム寺院 ロイター】

 

 朝テレビをつけると、ニュースでパリのノートルダム寺院が焼け落ちる様子が映り、衝撃の朝でした。

 全体にゴテゴテとしたゴチック建築の代表建築と言われ、1163年に着工され最終的な竣工は1345年だそう。

 ただ、フランス革命の際に襲撃を受けて一部が破壊され、ファサードの彫刻や屋根の塔など多くが19世紀に改装されて今日に至っていたもの。

 1991年には世界文化遺産に選定されたこともあり、フランスのみならず世界の貴重な財産でしたが、悲しむべき災難でありました。(以上、Wikipediaより)

 フランス政府の威信にかけて修復にとりかかることでしょうし、早速大富豪から修復のための寄付が申しだされているそうです。

 フランスの象徴が再建される日はいつになるでしょう。

 
    ◆


 フランスの象徴がノートルダム寺院であれば、江戸時代の江戸の象徴は江戸城天守閣だったでしょうか。

 江戸城本丸の天守は、徳川家康が改築した後に、慶長(1607年)、元和(1623年)、そして寛永(1623年)と三度築かれましたが、最後に作られた寛永の天守は明暦3(1657年)の明暦の大火によって焼失してしまいました。

 この明暦の大火は火事の多かった江戸時代でも最も大きな火災と言われ、その後のまちづくりにも影響を与えました。

 今も残る「上野広小路」という地名はこのときに火除け地として幅の広い空間づくりを行った名残です。

 さて、明暦の大火のときにも直ちに江戸城天守の再建が計画されました。

 ところがこの時には、幕府の重鎮であった保科正之の「天守は戦のために必要なものであって、もはや無用の長物ではないか」という一言で、再建は中止されました。

 今に残る天守台は高さが6間に縮小されて、加賀藩主の前田綱紀公によって築かれたものですが、そこに天守が建つことはありませんでした。

  【今に残る江戸城天守の天守台】

 当時天守の再建をあきらめた理由は、窮乏する幕府財政を慮ったから、という説もありますが、いずれにしても、当時の江戸幕府には格好をつけている余裕がなかったのだ、ということになるでしょう。

 それにしても、天守閣を「戦いのシンボルだからもういらない」という言い方に、ある意味で平和のありがたみも込められているのではないか、と思います。

 ノートルダム寺院の再建には何年もかかることでしょうが、精神的なシンボルであれば必ず再びあの姿を見られる日が訪れることでしょう。

 再建をする、しないにもいろいろな考え方があるものです。

 

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「話は空中に消えるからね、だから言いたいことは形にして残さないと」

2019-04-15 23:38:11 | Weblog

 新年度に入ってから、ある団体の支部長になったり、ある冊子の編集部長になったりと、いわゆる「長」がつく立場になってきました。

 そうなってみて、つくづく『ミッションを具体化することと、その会を支える組織体制づくりこそが長の仕事』だと思うようになりました。

 まずはなんのために集まっているのか、せっかく集まったのだからなにをしたいのか、のイメージを共有すること。

 そして会を支えるメンバーを選定して了解を取り付けて、『あなたに期待するミッションはこれね』と伝えて、あとは組織の運営を見守る。

 自覚をもって主体的に活動してくれるメンバーに恵まれるとよいけれど、そうでないときはどうやって活性化をするべきか。

 自分で何かをする能力を磨くのも大切ですが、組織を動かすということはもっと大変なんだな、と改めて感じる今日この頃です。

 
    ◆


 かつて仕えた掛川市の榛村元市長さんは、とにかく自分の知った情報をあけすけに語り、説明し、感想を述べる方でした。

 それらはあまり具体的な指示を発していたというよりも、自分自身の価値観を大っぴらに語ることで、(ああ、市長はこういうことを喜ぶんだ)とか、(この場合、市長ならこのように判断するだろうな)という感覚を職員にもってもらいたかったのじゃあなかろうか、と今ならわかる気がします。

 そういう判断力が身につくためには、いろいろな知識があることはもちろん、人とはどういう存在か、とか歴史とはどのように動いてきたか、とか、目に見えない関係性をどう理解するか、といった経験と人間力が必要になるのであって、そのための情報をたくさん発信していたのが榛村さんだったと今思います。

 指示を出すだけなら簡単です。しかしどうしてそういう判断や指示になるかを部下の人たちが理解しなければ、単なる指示待ちロボットに成り下がる。それは生涯学習ではない、と思ったのでしょう。

 情報は発信したほうが良い、と思った挙句の行動が、毎回はなしの時にはレジメを作ってそれを渡す、という具体的な行為だったのだとも思います。

 首長さんをはじめ、トップリーダーに、自分の考えはこうだよと伝えるのに、空中に消えてしまう話だけではなく、きちんとレジメを渡してくれる人がどれだけいるでしょうか。

 そういう陰の苦労と努力を検分できた自分はまだ幸せでした。

 平成ど真ん中の幸せだった日々の話。

 

 

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蕎麦粉の違いは食べてわかるか ~ そば研究会総会での余興

2019-04-14 23:44:45 | Weblog

 

 今日は奈井江町で、所属している「北海道そば研究会」の総会がありました。

 昨年の収支決算は、それまでの繰越金を大きく減らす結果になりましたが、これは9月に予定されていた空知そば会が地震のために中止になり、その分の売り上げが少なかったことが理由として挙げられました。

 今年こそは、という気持ちもありますが、この「空知そば会」というイベント自体が、自治体からの交付金が打ち切られたことで存亡の危機に瀕しているのだと。

「最近の空知地域は、蕎麦よりもワインの方を売り出そうとしている印象ですね」とは地域の事情通の話。

 自治体のトップが変わると、イベントやその対象への関心の度合いが変わってしまうということはよくあることですが、そのときの判断基準は「単純に予算を少なくしたい」という一点であることも多いのです。

 蕎麦振興のイベントであれば、たとえば行政が30万円の補助を行えば、それに参加する蕎麦打ち同好会が集まってきて、蕎麦粉を買ったり野菜を買ったりしてお金が動き、参加する人たちが財布の紐をゆるめて蕎麦を買う、といった経済活動が誘発されて、予算の数倍の経済効果があるものです。

 経済が縮んでゆくということは、種銭の節約だけではなく、そうした経済の誘発ができなくなって行く過程なのですが、背に腹は代えられません。

 地域にとっては苦しいところです。


    ◆


 さて、総会の後はお楽しみの上級者が打った蕎麦で昼食を取る運びなのですが、今年は少々趣向を変えて『蕎麦粉の違いが判りますか大会』を行いました。

 これは、6種類の蕎麦粉を打ち分けて、それぞれを少しずつ食べてみてどの品種の粉であるかを当ててみよう、という蕎麦粉の銘柄当てクイズ大会。

 上級者によって打ち分けられた粉は、①キタワセ、②キタノマシュウ、③ボタン、④レラノカオリ、⑤奈川在来、⑥モンゴルの蕎麦粉、という6種類。

 正解の数に応じて商品も当たるというので、皆さん面白がってチャレンジをしました。

 上級者によって上手に茹でられた6種類の蕎麦をザルに盛って、皆一斉に箸をつけましたが…、「うーん、わかんない」と皆お手上げ。

「普段食べ慣れているボタンくらいわからないものか」「いや、モンゴルは美味しくないんじゃないか」など、意見を交わしながら、自分の考えを投票してゆきますが、正直言って、もう勘でしかありません。

「蕎麦汁も美味しいんだけど、これをつけると皆同じ味に感じちゃうね」

 投票を集計して答え合わせをしてみると、6問中3問正解者がトップでただ一人。

 続いて2問正解者が二人。私は1問正解となりましたが、全く確信はないわけで、単なる偶然にすぎませんでした。

 まあたまにはこういう余興も面白いものですね。


  【正解はこちらでした】

「この蕎麦は美味しいねえ」などと言っても、これだけ蕎麦に接する機会が多い人たちが集まっても、蕎麦粉の違いまではなかなか分からないものだということがよくわかりました。

 まあ裏返せば、それだけレベルの高い蕎麦粉ばかりだったということでもあるのですが。

 さて、今年も蕎麦打ちで仲間と一緒に遊びましょう。

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今、余市は面白い ~ 小さなブランドの戦国時代

2019-04-13 23:47:23 | Weblog

 余市にあるオチガビワイナリーでは、ワインの木オーナー制度という会員募集を行っています。

 これは、1万円で会員になると、なんと8年間に亘って毎年1本ずつワインをプレゼントしてくれるというもの。

 オチガビさんのワインは、大体一本2500円~4000円くらいなので随分お得ですが、今日はシャルドネとドルンフェルダーを一本ずついただきました。

 ワインは毎年3月ころから、現地へ取りに行って渡してもらうか、あるいは会員が送料負担で郵送をしてもらえます。

 今日は天気が良かったので、オチガビさんのワインを受け取りに行くことにして余市まで妻とドライブです。

 今日はそこで昼食も取りましたが、レストランから見渡すと年々ワイン畑も広くなっているようで、喜ばしい限りです。

     ◆ 


 さて、せっかく余市まで来たのだからと、ついでに平川ワイナリーのワインを置いてあるお店も探しました。

 最近は平川ワインも美味しいと評判なのですが、売っているお店が少なくてなかなか手に入りませんでした。

 それがようやく少しずついろいろなお店で売り出して、余市町内の馬場商店というところで手に入れられると聞き、帰りに直行。

 デラウェアを材料にした白ワインと赤を一本買い求めました。

 こちら、白のプレジールを早速家で飲んでみましたが、デラウェアの少し甘めの感じと酸味のバランスが良くて美味しい!

 女性にも飲みやすく仕上がっています。これは人気が出るに違いありませんぞ。


    ◆


 さらに、どうせここまで来たら、とニッカウィスキー工場のお酒売り場へ向かって、こちらならではのウィスキーもゲット。

 ずいぶん散財をしましたが、シングルモルトウィスキーを3本購入しました。

 ウィスキーやワインのブランドも、『北海道』なんておおざっぱなブランドじゃ駄目だと思います。

 それよりも、余市、ニッカ、オチガビ、平川と、小さなエリアのブランドの方がずっと良い。それらが戦国時代のように切磋琢磨をするとさらに良い。

 その方が土地の魅力と結びついて、はるかに尖がったイメージになりますもんね。

 高速道路も通じて、余市当たりは小樽に飽きた観光客の次のターゲットになりうるポテンシャルを大いに感じます。

 それにしても、昨日、「いつかなんて来ない、今を生きるべし」なんてブログを書いたせいもあって、「いつかじゃだめだ、今だ!」とばかりに、ずいぶん散財をしました。

 これでちょっとは持つかなあ。

 

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「いつかそのうちに」はいつまでも来ない

2019-04-12 23:45:09 | Weblog

 

 先日亡くなった現役職員のお通夜があって、行ってきました。

 生前は仕事でもお世話になりましたし、趣味の釣りでも話が合って、いくつか釣りのポイントを教えてもらった仲でした。

 それが左腕の神経にガンが見つかり、手術をせざるを得なくなりましたが、そのために腕の腱を切除して左の手首が思うように動かせなくなりました。

「こんな風になったので、もうフライフィッシングはできないと思います。なのでこの熊スプレーセットは差し上げます」

 そういって彼は、熊スプレーとホルダーと腰に巻くベルトをセットでくれました。

 これが彼の遺品になる日が来るとは思わなかった。


「イトウって、最後は自分の足元の水辺にずるずると引き上げるんですが、普通の魚なら横になるところが、図体が太いのでそのまま上がってくるんですよ!」と、猿払の沼で、フライでイトウを吊り上げて感動していた彼。

「いつか一緒にイトウ釣りに行こう」と言ったけれどかないませんでした。

 物事は思い立った時にやってしまわないといけませんね。

「いつかそのうちに」はいつまで経っても、その日は来ないのだということを改めて思い知りました。

 
 今日の通夜の会場には、先輩を慕う後輩の姿も多く見られました。

 振り返ると、誠実だった人柄が皆に好かれる人でした。

 Kさん、お疲れさまでした。ご冥福を心からお祈りします。 合掌
 

  

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自分自身が一番の宝

2019-04-11 23:20:18 | Weblog

 

 先日、ある官庁へ挨拶回りに行っていたら知り合いから呼び止められて、「小松さん、Kさんって知ってますか」と聞かれました。

「はい、昔一緒に仕事をしたことがありますよ」というと、「今日亡くなった、という連絡がありました。ガンで長期休業していたんですが、残念です」とのこと。

 釣り仲間でもあった彼は、『道北でイトウを釣りました』と喜んでいたのですが、腕に腫物ができてその診察を受けるとガンでした。

 その後大学病院に入院したはずですが、駄目だったようです。

 残念でなりません。


 そんな話を聞かされた後に、逆にこちらから「ところでNさんはこちらに転勤になったんじゃなかったっけ?」と聞くと、今度はその相手から「はい、転勤で籍は今のうちの職場にありますが、実際は入院しているので席は空席です」
「うーん…、ガン…なの?」

「私も詳しくはわからないのですが、それに近いようで、今はその病気に合う薬を探していると聞いています」

 亡くなった方も休職中の方も、現役の働き盛り真っ最中の方ばかりで、最前線で働く戦力なので、その席にいないというのは残念至極。

 まずは健康第一で、目先の仕事などにからめとられることのないように願いたいものです。

 日本における健康診断の受診率は、おおむね50%程度にすぎません。

 約半分の人が、健康診断を受けていないのです。

 健康に自信があるのか、忙しくていけないのか、理由は様々でしょう。

 しかし病気になって初めて、健康の大切さに気が付いているようでは遅すぎます。

 長期的な展望に立って自己を実現できるように、自分の健康状態には常に気を配ることと、なにか異常があれば早めの受診を躊躇せずにおきましょう。

 不健康になって一番悲しくて残念なのは、自分自身ですから。

 

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