北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

ブラックホールの直接観測に成功 ~ ワクワクする時代になりました

2019-04-10 23:36:34 | Weblog

 

 ブラックホールの直接観測による写真撮影成功の記者会見が今日の22時から行われました。

 一般相対性理論を提唱したアインシュタイン本人ですら、「理論ではあるけれど実際にはないよね」と思っていたブラックホールが、観測研究の結果、『どうやら本当にあると思ったほうが説明できる』という段になり、電波望遠鏡の観測結果の視覚化という形で写真が撮れたという話。

 調査機材の性能向上と、世界中の電波望遠鏡のネットワークで観測精度を上げたということが時代の進歩ですね。

 事前のシミュレーション画像と極めてよく似ているという点もすごかった。

 そしてそういう成果もすごいのですが、この記者会見をTBSネット中継で1時間以上もずっとリアルに観られるということもすごい。

 記者さんたちからの質疑応答も生で見られて、ライブ感が半端ありません。

  
    ◆

 
 面白かった質疑応答がありました。

記者「この発見は、我々の普段の暮らしにどのような影響がありますか?」
答え「直接には…ありません(笑)。でも改めて我々の天の川銀河の中心にもブラックホールがあるという確信にもつながりました。ブラックホールと銀河の成りたちは非常に関係が深いので、天の川銀河がどのようにできてどうなるのか、ということもわかってくるのだと思います」

記者「改めて、今回の成果の意義を一言でいうと?」
答え「百聞は一見に如かずで、ブラックホールから光が出ていない、ということを直接見ることができました。天文学者が百年かけて求めてきたジグソーパズルの最後のピースを埋めることができた、ということだと思う」。

 
 子供の時に、『強力な電波源であるクエーサーが謎の天体』という記事を読んでワクワクしたり、今やそれがブラックホールのある活動銀河核だということがわかってきたり、と謎がどんどん解明されていく様をリアルに体験できるのは素晴らしいですね。

 いい時代になりました。やっぱり長生きはするものです。

 健康に気を付けましょうね。

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渋沢栄一氏が新紙幣に ~ 「論語と算盤」と二宮尊徳と

2019-04-09 23:55:55 | Weblog

 

 日本の紙幣が新しいものに変わるそうです。

 実際に新紙幣が出回るのは数年後のことのようですが、新たな年号の発表と合わせたように紙幣も刷新されるというのは、新しい時代が来る期待を強めそうです。

 特に、新しい紙幣に描かれる人物は、一万円札が渋沢栄一、五千円札が津田梅子、千円札が北里柴三郎となるそうで、それぞれを縁にしたブームも起きそうです。

 私が特に注目したいのは、一万円札の渋沢栄一さんです。

 彼が選ばれた意義を「近代資本主義の創始者」というような言い方をして、明治から昭和に至るまでの間、実に多くの企業を立ち上げたことを称賛する記事が多いようですが、私は利益最優先に凝り固まった現代資本主義へのアンチテーゼとして見るべきではないか、と思います。

 彼のもっとも有名な著書は「論語と算盤」で、その大要は「(論語で)人格を磨き、(算盤で)起こした経済を社会に有意義な使い方をせよ」ということに尽きるでしょう。

 この思想の元は、私も掛川で学んだ二宮尊徳さんの報徳思想に極めて近いものがあります。

 報徳思想では『道徳と経済』という言い方をして、実際に掛川にある大日本報徳社の大講堂の前には『道徳門』と『経済門』という二つの門があります。

 そして『経済なき道徳は寝言であり、道徳なき経済は犯罪である』という教えが伝わっています。

 二宮尊徳と言い、渋沢栄一と言い、ある時代にときどき「経済は大事だがもうけすぎてはいけない。経済を生かすためにも自分自身の人格形成を大切にせよ」という声が沸き上がるのですが、いつしかそれもまた「やはり儲からなくてはだめだ」という経済至上主義にとって代わられてしまうことが繰り返されています。

 GAFAの独占的な儲かり方や、カルロス・ゴーンさんの事件をみても、経済と道徳のバランスを改めて大事にしたいものです。


    ◆


 家にあった「論語と算盤」を取り出してきました。

 この中に、渋沢栄一と二宮尊徳の教えが交差する場面があります。

 それは、かつて二宮尊徳先生の弟子がその教えを福島県の相馬藩へ持ち帰って、相馬藩興国安民法として地域づくりを行っていたのですが、それが明治新政府によって廃止されようとしているという事案でした。

 相馬藩の重臣が西郷隆盛を訪ねて、この興国安民法を廃止しないでもらいたいと陳情したのですが、その西郷が「今の新政府の面々では自分が主張しても聞いてもらえないかもしれないので、渋沢さんから訴えてもらえないか」と相談に来たというのです。

 渋沢が、「話の趣旨は分かったが、では西郷さんあなたはその相馬藩の興国安民法がどんなものかご存知か?」と尋ねると、西郷は「いや存ぜぬ」という。

「やれやれ、相馬藩の興国安民法というものは…」と渋沢は西郷に興国安民法について説明をして、さらに「そのように、相馬の興国安民法が続けば相馬一藩は今後ますます繁盛するであろう。しかし西郷参議ともあれば、我が国の興国安民法をいかにすべきかについてご賢慮が必要ではないか」と説教までかましています。

 渋沢と西郷のエピソードはそれで終わっていますが、その感想として彼は「維新の豪傑の中で、知らざるを知らずとして全く虚飾のない人物は実に西郷殿で、まことに敬仰に堪えぬ人物であったなあ」と書いています。

 「令和」で万葉集が売れているように、渋沢栄一氏が注目を浴びたことで、「論語と算盤」も売れるでしょう。

 この機会に、まさに今日の『儲け過ぎ資本主義』に対する彼の思想哲学を学んでみてはいかがでしょうか。

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あえて孫の入学式に行かない理由

2019-04-08 23:37:33 | Weblog

 

 今日は孫の小学校入学式。

 この春晴れて小学校一年生になる孫の入学式に、娘夫婦はもちろん私の妻も出て晴れ姿を見てきたそうです。

 かくいう私はと言えば、敢えて「孫の入学式には行かないよ」宣言。

 自分の楽しみとして見てみたいたい気持ちはあるものの、あまりにも関わりすぎると、親である娘夫婦と孫との間に刺さりこみすぎるような気がして、少し遠慮したほうが良いかな、と思う今日この頃です。

 以前北大の先生に聞いたのですが、最近は大学の入学式も親の参加が多くて入学式会場の席が足りなくなるのだとか。

 私が大学に入った40年以上前の入学式には、私の親は参加していませんでした。

 それが今や親が入学式を見ることを楽しみにしている。

 もしかして今後さらに長寿社会が実現すると、孫の大学の入学式に祖父母も参加するような時代が来るかもしれず、ちょっとぞっとします。

 祖父母としての自分自身の楽しみではあるけれど、どこかで自制を働かせないと、かわいがっているようで実は若い世代の足を引っ張っているのではないか。

 もっと独立心を養うような場面を意識して作ったほうが良いのではないか、と思います。

 『若者の盾になる』のも良いが、たまには敢えて盾にならないこともまた年寄りの務めなのかも。

 朝ドラの「なつぞら」の草刈正雄の愛を込めた厳しさが味わい深いなあ、と思う今日この頃です。
 

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統一地方選挙 ~ 権利を行使するという事

2019-04-07 23:44:47 | Weblog

 

 今日は平成最後となる統一地方選の開票日。

 北海道では鈴木直道さんが新知事として当選確実、札幌市では秋元克広さんが二期目の当選確実と報じられています。

 また道議会議員選挙と市町村議会の選挙も行われています。

 政治家には行政能力も必要ですが、その前に当選する能力も必要ということで、当選された方には大いに行政能力を発揮して欲しいものですし、選挙民としては、一体どのような政治を行ってくれるかに関心を持ってほしいものです。

 それにしても、相変わらず投票率は決して高くはありません。

 北海道知事選挙での午後9時段階での推定投票率は59.81%だそうで、約4割もの人が投票に行っていないのが現実です。

 投票は権利ではありますが、その権利を行使しない人がこれだけ存在しているとなると、もう3回連続して投票しなければ次から投票権をはく奪するというくらいのペナルティがあっても良いかもしれません。

 今回の働き方改革では、労働基準法が改正されてこの4月から、すべての企業において、年十日以上の年次有給休暇委が付与される労働者に対して、そのうち5日については使用者側が取らせることが必要になりました。

 これだって、年次有給化を取る権利はあるにもかかわらず、実際にはいろいろな事情があってフルには取っていないのが現実なわけです。

 有給休暇の場合は、「いらないならはく奪」ということではなく、「あるからには使わせなさい」という方向での改正ですが、さて、投票の権利は一体どのように行使してもらうのが良いのでしょうか。

 ネットでも投票できるといった、投票しやすさへの制度改革も必要かもしれませんし、投票したことへのメリット追加、しないことへのペナルティなど、様々な組み合わせが考えられるでしょうか。

 本当なら、選挙が終わった後もそれぞれの政治家たちが公約や日頃の政治活動をどれくらいしているか、という監視や関心を強めるということも必要です。

 選挙がお祭りで終わってしまうのでは残念です。

 政治にもっと適切に関心を持ち続けるのも生涯学習です。

 自分たちの未来に責任を持ちましょう。

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娘が中国へと旅立ちました

2019-04-06 23:41:26 | Weblog

 

 次女が旦那さんと一緒に中国へ旅立ちました。

 入籍したのが今年の1月で、婿さんは2月に中国の蘇州市へ単身赴任開始。

 次女は3月半ばに東京のアパートを引き払って、半月ほど札幌の我が家で過ごしていましたが、今週の水曜日に婿さんが迎えに来て、いよいよ今日新千歳空港から上海空港へと旅立って行きました。

 1月に入籍をしたということはあっても、二人が離れて暮らしていたり、半月も昔のように我が家にいたので、実はあまり『お嫁に行った』という実感がありませんでした。

 それが、本当に二人して離れていった、ということで『お嫁に行っちゃったんだなあ』という実感がわいてきて、言葉にしきれないような寂しさが押し寄せています。

 でも心の中の半分は、これからの数年間の中国での生活をうらやましくも思っています。 

 新たな広い世界を見分することや体験は、これからの人生を彩る財産になるでしょう。

 日本とは異なる暮らしになるでしょうが、その違いはつらいとか苦しいとかではなく、それを楽しむという前向きな気持ちを持ち続けて欲しい。

 そうすれば、日々は新しい発見と出会いの連続になるはずです。

 二人の人生のスタートを豊かにする時間を過ごしてほしいと思います。


    ◆


 私の父は転勤族でしたが、転勤の範囲は北海道の中にとどまりました。

 私も転勤族になりましたが、おずおずと本州まで渡り歩くような転勤生活。

 そうして私の娘の世代は、いよいよ日本も出て異国に飛び出して行く転勤生活となったわけで、これもまたグローバル化していく時代の証なのだろうと思うのです。

 幸いなことに通信技術の発達で、中国の現地の二人とはWechatで会話をすることも可能です。良い時代になりました。

 我々が遊びに行く範囲も広がりそうです。

 朝ドラ「なつぞら」のウッチャンのナレーションに似せれば、「なつよ!」じゃなく「夕貴よ!がんばれ!」だな。

  
   

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物々交換成立

2019-04-05 23:01:02 | Weblog

 

 いよいよ明日は次女が旦那さんとともに中国へと旅立ちます。

 札幌での最後の夜は、娘のリクエストで急遽蕎麦を打つことになりました。

 知り合いのお蕎麦屋さんに頼み込んで蕎麦粉を譲ってもらって準備を整えます。

 そんなところへ、今日釣りに行ったという友人から連絡が入って、「ニシンを釣りすぎちゃったので持っていきますわ」とのこと。

「今夜来る?」
「はい」
「じゃあ七時過ぎに来てくれますか?ちょうど娘のリクエストで蕎麦を打つところなので、少し持って行ってください」

 そんな連絡を取り合って、友人がニシンを届けてくれました。

 目が赤くない新鮮なニシンです。

「じゃあ、代わりにお蕎麦と汁ね」
「おー、うれしいなあ」

 とんだところで、物々交換が成立して、それぞれおいしい自慢の食材を手に入れることができました。

 北海道ライフって、こういうことがあるんですね。

 都会ではお金を介在するようなおいしい食材が、すぐ周りにあるんです。

 北海道にいると実によくわかる話です。

   

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これからの地方議会のあり方を考える

2019-04-04 23:51:51 | Weblog

 

 いよいよ今週末の日曜日は統一地方選の投票日。

 週末はいろいろあるので、妻と一緒に期日前投票に行ってきました。

 本来ならば、北海道知事、道議会議員、札幌市長、札幌市議会議員の4つの投票をするところですが、わが西区は市議会の定数と立候補者数が同数のために選挙はなくて、立候補者は全員当選です。

 今や人口減少で、議員の成り手も減っていると報道されています。

 確かに政令市など大きな自治体の議員さんであれば、それなりのお給料ももらえるので、なれるものならなりたい、という人まだ多そうですが、人口の少ない地方の自治体となれば給料も少なくて、専業で議員を行っていても家族を養うのは大変というところも多いことでしょう。

 それがために若い人が議員になろうとしない、なれない、というのでは、若い人たちの声を自分のこととして政治に反映してくれる方がいなくなってしまいます。

 私は個人的には、もうそのような成り手の少ない自治体では給料(=議員歳費)を廃止して、全部ボランティアでやる、ということもあるように思います。

 実際アメリカの地方都市などでは、首長も議員もみなボランティアで無給というところがあり、行政実務のトップは市長ではなく、シティマネージャーと呼ばれる職業の方がそれなりの給料で運営を行う、というところがあるのです。

 首長の腕の見せ所は、どれくらい優秀なシティマネージャーを連れてくるか、ということになるそうで、自治体をマネジメントするという仕事が確立していて、またそのための能力評価も確立しているということでしょう。

 人口が減り続ける地方の町村では、いつしかそのようなことも考えなくてはならないでしょうし、そうして無償の人たちによる議会は、仕事のある日中ではなく夜開催で、それならば住民も議論を傍聴しやすい、という利点もあります。

 問題は、ボランティアという形で考え方がしっかりしているような方が議員になってくれるかどうか、ということですが、まさにそこでこそ、その地域の民主主義が試される、一人一人が地元のことに真剣になるような機運づくりが大切になってくることでしょう。

 首長の存在意義は、その人を尊敬して言うことを「もっともだ」と聞いてくれる人を増やすことであると言えるでしょう。

 そういう意味では、人気者であることと、行政能力をはっきりと人で切り分けているとも言えるわけです。

 日本の選挙は、当選するためには人気が必要ですが、そのまま行政トップの役割を担うというところで、当選と行政の両方の能力を備えていなくてはならない人を求めるという意味で、疑問符が付くような方もときどき見かけることもあります。

 さて、自分が未来を託せる人は誰でしょうか。

 期日前でも当日でも、選挙は必ず行きましょう。

 知事選と道議選、そして札幌市長選の投票を終えて、無事期日前投票は終了です。

 

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令和最初の花見は北海道になるのかな?

2019-04-03 22:34:29 | Weblog

 

 すでに中国に赴任中の、次女の旦那さんが中国から札幌入り。

 週末の土曜日に、次女とともに中国へと戻る予定です。

 彼は、次女との結婚のあいさつを含めても、札幌へ来るのが生涯でまだ3回目で、結婚式も開いていないので、私と妻との親類にもまだ挨拶を終えていません。

 そこで申し訳ないとは思いつつ、上海からの直行便で新千歳空港に降り立った彼を迎えに行って、昼食後は私と妻との両親をはじめ義兄や弟・妹たちにも挨拶をしてもらうべく、市内を駆け巡ってもらいました。

「今日だけは選挙の時の政治家みたいに次々に会ったことのない人に会うだろうけれど、よろしくお願いしますね」と言い渡してから、私と妻の両親の家を訪ねました。

 これでようやく次女の結婚相手のお披露目という節目を越えられて、ほっと一安心。後はどこへでも行ってくれて良いですよ。


 彼は、満足に道内観光もしてはいないので、親類周りの後の夜はサッポロビール園で歓迎の宴を開きました。

 ジンギスカンに舌鼓を打ちつつ、「北海道では、何かというと外でジンギスカンをすることが楽しみで、花見の時も木の下でジンギスカンをするんですよ」と北海道の文化を説明。

「桜ってこちらではいつ咲くんですか」

「ゴールデンウィーク明けですね。その頃にはまた寒くなったりするんですが、それでもがっちり着込んで外で花見とジンギスカンなんです」

 すると一緒に参加していた長女が「そうすると、令和元年最初の花見は北海道ということになるんだね。本州はもう桜が終わっているから無理だし、令和最初が北海道というのがいいなあ」と言いました。

 今年は何をやっても、「令和の最初の○○」という枕詞が使われることでしょうね。

 でもやっぱりその御代での最初というのは魅力です。

 次はなにが令和最初になるかな。

 

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漢字二文字はカッコ良い、という感性

2019-04-02 23:43:43 | Weblog

 

 新しい元号が「令和」に決まって、日本中を巻き込んだ騒動もひと段落でしょうか。

 元号って、西暦729年から20年続いた「天平(てんぴょう)」の後に、「天平感宝」、「天平勝宝」など4文字の元号が立て続けに5つ続いた時代があります。

 しかし今回の元号は漢字二文字の構成。

 これは、元号法には文字数の規定がないものの、昭和54年の閣議報告で「(元号は)漢字二文字であること」とされたことから、漢字二文字が通例ということになっています。

 元々は中国の古典から多くの影響を受けた日本の文化ですが、やはり漢字二文字そのものに品格を感じます。

 元号は645年の大化の改新の「大化」が用いられたのが最初の元号となりましたが、これから下ること70年、和銅6(713)年に「好字令」という勅令が発せられました。

 これは「地名を良い漢字で表記せよ」という指示で、これがために当時の先進国である唐にならって地名を漢字二文字で表すようになったと言われています。

 その過程では、長すぎる地名は短くしたり、逆に短い地名は敢えて二文字にするという表記の変更がありました。

 例えば、「吉備道中国→備中」といった二文字化であり、逆に「木→紀伊」や「倭→大和」「泉→和泉」といった二文字化です。

 またこの影響は日本人の名前にも及んでいて、苗字は地名から取られることが多かったために日本人の苗字には二文字が多いと言われています。

 いずれにしても、漢字二文字への憧れというか、そこにカッコ良さを感じる感性はかなり昔からあったのでしょう。

 遥か後代に登場した北海道ですが、都市名の多くは漢字二文字で、どうしてもアイヌ語に漢字をはめたときに文字数が合わないところは三文字のところも見受けられて、それはそれで北海道らしい文化性を残しています。

 ただ、日本の多くの地名が市町村合併で消えてしまったり、ひらがなの地名になってしまったりしたのは、個人的には残念に思います。

 私自身の中にも、漢字二文字は格好良いというイメージがどこかで刷り込まれているからでしょうか。

 元号が漢字二文字であるということも、歴史をたどると面白いものですね。 

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新しい元号は「令和」でした ~ 歴史的な一日

2019-04-01 23:45:54 | Weblog


【NHKテレビより】

 

 今日からいよいよ新しい年度の始まりですが、平成はいよいよあと一か月となりました。

 今日は昼前から新天皇の即位に伴う新しい元号が発表になるというので、午前中はなんとなく気もそぞろ。

 11時15分くらいからつけたテレビの前にはオフィスの職員も集まって、新しい元号の発表を今か今かと待ち続けています。

 11時30分頃に発表、と言われていたのに、テレビの画面は皇居へ向かう二大の黒塗りの車を上空から撮影している絵ばかり。

 アナウンサーの説明は、「元号の制定は政令によるので、元号を改める政令を閣議決定し、この政令は皇居に運ばれ、天皇陛下の御名・御璽(ぎょめい・ぎょじ=署名となつ印)を得たうえで官報に掲載され公布となる」ということで、車列は天皇陛下の御名御璽をいただくために皇居に向かっているとのことでした。

 新元号の制定の手続きにちょっとでもミスや瑕疵があれば、後で批判を招きかねないので、このあたりは慎重にも慎重を重ねて進めているのでしょう。


 11時40分すぐにようやく菅官房長官が記者団の前に登場して、新たな元号の発表が始まりました。

 新しい元号は「令和」で、出展は万葉集の梅の花を詠んだ歌の序文からだそう。

 この元号を聞いた感想は人それぞれでしょうが、テレビのインタビューではおおむね好意的に受け止めている人が多いようです。

 平成もいよいよ終わりを告げて、新しい令和の時代が始まるかと思うと、やはり気持ちを切り替えられるような気がします。

 元号の使用には、面倒くさいとか、世界標準と異なるのでガラパゴスだ、などいろいろなネガティブな意見もあるでしょう。

 しかし私自身はポジティブに受け止めています。

 西暦で1925年代からの60年間、と言われても時代の雰囲気はなかなか伝わりませんが、それを元号のくくりで「昭和の時代」と言われると、いろいろな変化や出来事がよりくっきりと浮かび上がるような気がするからです。

 日本の歴史でも、「明治維新」とか「享保の改革」などと言われると、時代性がよりはっきりとイメージできます。

 土を掘っていった時の地層のようなもので、そのときどきの出来事をひとくくりに表現しているのではないでしょうか。

 日本には言霊信仰があって、縁起の良い漢字や言葉を組み合わせて、佳き未来を祈るということが多いですが、日本という国の未来を切り開くのは単なる言葉の力ではなく、国民一人一人の社会に貢献しようという思いの総和です。

 二宮尊徳の報徳思想でいうところの、「推譲の精神(=他に譲る気持ち)」を改めて実践して、明日の日本を切り開いてゆきましょう。

 歴史に残る一日をこうして記録しておくことにします。

 

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