新しい元号が「令和」に決まって、日本中を巻き込んだ騒動もひと段落でしょうか。
元号って、西暦729年から20年続いた「天平(てんぴょう)」の後に、「天平感宝」、「天平勝宝」など4文字の元号が立て続けに5つ続いた時代があります。
しかし今回の元号は漢字二文字の構成。
これは、元号法には文字数の規定がないものの、昭和54年の閣議報告で「(元号は)漢字二文字であること」とされたことから、漢字二文字が通例ということになっています。
元々は中国の古典から多くの影響を受けた日本の文化ですが、やはり漢字二文字そのものに品格を感じます。
元号は645年の大化の改新の「大化」が用いられたのが最初の元号となりましたが、これから下ること70年、和銅6(713)年に「好字令」という勅令が発せられました。
これは「地名を良い漢字で表記せよ」という指示で、これがために当時の先進国である唐にならって地名を漢字二文字で表すようになったと言われています。
その過程では、長すぎる地名は短くしたり、逆に短い地名は敢えて二文字にするという表記の変更がありました。
例えば、「吉備道中国→備中」といった二文字化であり、逆に「木→紀伊」や「倭→大和」「泉→和泉」といった二文字化です。
またこの影響は日本人の名前にも及んでいて、苗字は地名から取られることが多かったために日本人の苗字には二文字が多いと言われています。
いずれにしても、漢字二文字への憧れというか、そこにカッコ良さを感じる感性はかなり昔からあったのでしょう。
遥か後代に登場した北海道ですが、都市名の多くは漢字二文字で、どうしてもアイヌ語に漢字をはめたときに文字数が合わないところは三文字のところも見受けられて、それはそれで北海道らしい文化性を残しています。
ただ、日本の多くの地名が市町村合併で消えてしまったり、ひらがなの地名になってしまったりしたのは、個人的には残念に思います。
私自身の中にも、漢字二文字は格好良いというイメージがどこかで刷り込まれているからでしょうか。
元号が漢字二文字であるということも、歴史をたどると面白いものですね。