興趣つきぬ日々

僅椒亭余白 (きんしょうてい よはく) の美酒・美味探訪 & 世相観察

とりあえず一歩

2019-09-18 | 随感・偶感・歳時感

このところぐっと涼しくなって、わたしにとっても早朝ウォーキングはずいぶん楽になった。
(上の写真は今朝5時過ぎ。明るくなるのがずいぶん遅くなってきました)

とはいえ、朝早くに歩き始めて5か月ほどになるのに、いまだに家を出るまでが億劫である。

エイヤッと気合をいれないと、最初の一歩がふみ出せない。
靴下をはきながらテレビなどを見ていると、アッというまに10分、15分が過ぎてしまう。

そこで最近は、「歩くのは10分でもいい。とりあえず一歩」と自分に言い聞かせ、家の外に出ることを心がけている。
顔など洗わない、ましてやひげなど剃らない。とりあえず外に出る。

この「とりあえず取りかかる」精神が、ものごとを成しとげるコツかもしれないなどと、いまさらながら思っている次第。

 

 


   

毎日歩いていると、同じ人が決まった時間に歩いたり、走ったりしているケースが多いのが分かる。

わたしのように健康のためかもしれない、あるいは鍛えるためかもしれない、それが習慣になっているのだ。
「習慣は第二の天性なり」「習うより慣れろ」「習い性となる」・・・ほんとうにそのとおり。それが力になっているのが見てとれる。

自分の好きなことを長く続けているというだけでなく、好きでないことでも何かを成しとげようと思ったら、「習慣作り」にも意志の力が必要なのであろう。



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4 コメント

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奥床しい「わたし」 (来た釜)
2019-09-20 23:23:08
 長らくご無沙汰しております。
 前々からお聞きしようと思っていたのですが、余白さんは「私」ではなく「わたし」と書かれますね。最近の傾向では、何でもかんでも文節の初めは漢字にしてしまうことが多く、これはおそらくパソコンの「変換機能」と、さらには携帯の「変換予測機能」のせいで、私はひそかに「無変換恐怖症」と呼んでおりますが、古きよき伝統を受け継ぐ(と言っていいのか)人々が時々ひらがなを使うのを見ると、日本語の美しさに気づかされ、はっとすることがあります。
 余白さんの場合は、「わたし」をひらがなで書くのは、誰か好きな作家の影響などはあるのですか。また、漢字の「私」とひらがなの「わたし」は、どのようなイメージの違いがあると感じておられるのか、教えていただけませんか。
 コメントの返信ではなく、お時間があれば、近いうちに新しいブログ記事の形でお書きいただいてもありがたいと思います。
 それでは、たぶんごく近いうちにまたお目にかかれることを願いつつ。
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字面をやわらかく (余白)
2019-09-21 15:55:04
来た釜さん、うれしく拝見いたしました。
こちらこそご無沙汰いたしました。
昨年末から少し体調をくずし、例会にも出ておりませんでしたが、この28日には、ほぼ一年ぶりに顔を出したいと思っております。
「わたし」を使っているのは語感からというより、字面をやわらかくしたいからです。
同じ理由で漢語より和語を努めて選んだり、漢字をできるだけかなに開いたりしております。
「ブログ記事の形で」ということになると構えてしまい、少しむずかしいかもしれませんが、
記事作成の自分なりの指針、文章表現の工夫などは折にふれて少しずつ書けるかもしれない、とふと思った次第です。

さすが来た釜さん、着眼点が鋭いなあと思いました。
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Unknown (来た釜)
2019-09-28 13:23:56
先日はコメントへのお返事、ありがとうございました。
私もまったく同様に「28日には、ほぼ一年ぶりに顔を出したいと思っており」ましたが、
日頃の無理がたたったのか、あるいは「今日は丸一日、仕事をしないぞ」と思ったら気が抜けてか、
どうしても寝床から起き上がれず、残念ながら見合わせることにしました。
また冬頃にお目にかかれるといいですね。
それでは。
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メッセージありがとうございます (余白)
2019-09-29 08:45:16
来た釜さま
昨日はわたしを入れて5人でした。
例会後ロマーノで、しばし楽しい時間を過ごしてまいりました。
小生来月京都でのフォーラムには伺えませんが、年末年始の例会にはできるだけ出ようと思っております。

お疲れが出ませんようお祈りいたしております。
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