わが家から比較的近いバス通りの四つ角に、ブロック壁と植え込みに囲まれた一角があるのを、散歩の途中に見つけました。(写真上)
この地に三十年以上も住んでいるのに、いままでまったく気がつきませんでした。
近寄って見ると、「供養塔」と書かれた高さが2メートルほどもある立派な石塔です。
何の供養塔なのでしょうか。
左の側面には「國泰民安」と大きくかかれ、下に「九月吉辰 菅清成書 西ハところざわみち」とあります。
「国は安泰であれ、民は平安であれ」という願いと、文字を書いた人の名前でしょう。
ブロック内に入って右側を見ると、「風調雨順」と大きく書かれ、その下に「南ハ大やまみち 文化元年甲子秋」とあります。
文化元年といえば、西暦1804年です。今からちょうど210年前、江戸時代の後期です。この供養塔はこの年に建てられたと思われます。
また、風調雨順は、「風の日にはよく事前の備えをし、雨の日には無理をするな」ということなのでしょうか。(たぶん)
國泰民安に比べると、ずいぶん身近で具体的な諭しですが、大局を見る目と足元を見る目の対比が効いて、バランスがよい。
また、南は大山道、西は所沢道とあるのは、この供養塔が当時、道標にもなっていたことを物語ります。
この供養塔は、建ててから210年を経た今となっては、大変貴重な史跡であろう、と思います。
貴重な史跡の風化や破損を防ぐことも大切ですが、史跡保護のためとはいえ、このようにブロックと植え込みで深くガードしてしまっては、今の人に広く知ってもらうことができません。
せめて「何の供養塔なのか、いつの時代なのか」の‘解説板’くらいは、外側の目立つところにほしいと思いました。
ふるさとを誇りに思う気持ちや愛郷心は、ほんとうはこういう地元の先人たちの歩みを知ることから始まるのでしょう。
憲法や法律で、国旗・国歌の尊重義務や「国と郷土を愛する態度」の涵養をいくら声高に、‘上から目線’で謳っても、‘国家の安全保障戦略’に有効であるとはわたしには思えません。