先週の日曜日に続いて、今日は、放送大学面接授業、「近代文学の名作を読む」の2日目。今日取り上げたのは、志賀直哉:城の崎にて、横光利一の「蝿」、宮沢賢治の「注文の多い料理店」、葉山嘉樹の「セメント樽の中の手紙」の4編。(リンク先は姉妹ブログへ掲載したレビュー)
滋賀直哉は、小説の神様と言われていたらしいが、最近の学生には評判が悪いらしい。高校で授業をすると8割位は寝てしまうとも(笑)。その感じ、良く分かる。実際、どこが面白いのか良く分からないし、私だって、寝てしまいそうだ。
小説には、色々な読み方があり、これが正解というものはない。だから色々な読み方ができる。その読み方は、読み手のこれまでの人生とも大きくかかわってくる。放送大学の受講生たちは、高齢者が多いので、こういった授業に出ると、その多彩な読み方には感心する。
私は、趣味で書評を書いているが、これはその書評をする態度とも関係してくるだろう。国語の教科書に、こんな話が載っていても、子供たちは感想文しか書けない。それは人生経験が少ないからだ。書評を行うためには、自分がその作品をどう読んだのかということが必要なのである。これは、なかなか難しいことではあるが。
○関連過去記事
・放送大学面接授業 近代文学の名作を読む(1日目)