本書は、放浪の俳人・種田山頭火が最晩年、四国松山に一草庵という庵を結んだ。庵を結んだのが1939年の12月、日記の書き出しが8月3日となっており、脳溢血で急死したのが1940年の10月11日というから、約2か月の間の日記である。最後が10月8日なので、亡くなる直前まで書き続けていたことになる。
本書には、健という名前が出てくるが、ご子息のことだろうか。
<うれしや、健からの着信、(期待した金高ではなかったのを物足らなく思ふとは何といふ罰あたりだろう!)>
ほんと、罰あたりなオヤジである。おそらく息子に金の無心をしていたのだろう。
山頭火の文には、よく「放下着」という言葉が出てくる。この日記にも何か所かあるが、何もこれは、山頭火がふんどしを放って丸出しで歩くということではない。仏教用語で何もかも捨ててしまえという意味だ。読みも「ほうげじゃく」である。すべてを捨ててしまえば執着が無くなり、悟りの境地に近づく。
しかし、現実にはなかなか難しい。山頭火にしても、なかなかこの境地にはなれず、心の中は寂しさが占めていたのだろう。だから俳句仲間を訪ね、アルコールに逃げたりするのだ。本書の中に次のような一節がある。
<さびしさにたへきれないので一洵居を訪ふ、それから布佐女を訪ふ。>
<私には禁酒の自信が持てない、酒を飲むことが、私にあっては、生きることのうるほひだから!
アル中の兆候がだんだん表れてきよる。ああ。>
実際、彼の文章を読むと、アルコール依存症の人が書いているような感じを受けるし、心の中の孤独感というものが透けて見えるようだ。
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※初出は、「風竜胆の書評」です。