なずなは、江戸時代の居酒屋ともえのかんばん娘である。歳は14(もっとも4つ目の作品で、客から歳を聞かれて15と答えているので、作中で歳をひとつとったようだ。)。昔は数えで歳を表すから、今の満年齢の数え方に直せば、12歳か13歳というところだろう。要するに今だったら中学に進んだかどうかという年頃である。そんな年齢で居酒屋で働いてもいいのかと突っ込む人もいるかもしれないが、昔はこんなものだ。年齢に関係なく、働いている人はいくらでもいたのである。
なずなの場合は、菱垣廻船の水主であった父の左馬次の乗った船が難破し、病弱な母の具合も良くないことから、伯母にあたるお蔦のやっているともえで働くことになったのである。ちなみに、お蔦の夫が父の兄であり、直接の血の繋がりはない。
さて、本書は、居酒屋ともえを舞台にした連作短編集である。収録されているのは、鮟鱇、看板娘、出世魚、ふるさと、二十六夜待ちの5編。
面白かったのは、このかんばん娘についてだ。なずなは、なんとかともえの戦力になろうと、酒も飲めないのに、お燗を最適の温度で出す工夫をする。燗の番をするから、「かんばん娘」(p104)ということらしい。
もっともなずなは、自分の容貌にコンプレックスを持っている。お蔦は美貌の狐顔なのに、自分は狸顔で美人ではないと。でも、周りの人はみななずなのことを可愛がっているようなので、そのうち押しも押されもしない「かんばん娘」になることだろう。
気に入ったのは、次の言葉。ともえの板前である勘助を逆恨みした矢惣次という男に、なずなはかどわかされた。責任を感じて辞めるという勘助にお蔦が言った言葉だ。
「ねえ、勘助さん。オボコとかスバシリみたいに、人も生きる場所や付き合う人を違えながら、世の中を一段ずつ上がっていくんじゃないかしら」(p155)
ちなみに、オボコとかスバシリというのは出世魚であるボラの途中段階の呼び方である。そうなのだ。あまり過去のことを後悔しても仕方がない。大事なのはそれを踏まえて、人生の階段を一段一段上がっていくことだろう。
なずながかどわかされたことが、一番の大事件と言えば言えるが、全体的には江戸の人情に溢れたお話というところか。
☆☆☆☆