文理両道

専門は電気工学。経営学、経済学、内部監査等にも詳しい。
90以上の資格試験に合格。
執筆依頼、献本等歓迎。

一盌をどうぞ:私の歩んできた道

2021-03-03 08:54:54 | 書評:小説(その他)

 

 本書は、裏千家の前の家元であった千玄室さんの自伝である。生まれた時の名前は「政興」千家ではこの名前は若宗匠(次期家元)になるまでの物で、若宗匠になった後は、「宗興」。家元になると「宗室」。家元を次代に譲ると「玄室」となった。裏千家では、家元は代々「宗室」を名乗っているらしい。

 ところで、この裏千家と言う流派。正式名称かと思ったら違っていた。本書によればこれは京都の人たちによる俗称で、正式にはそれぞれの家が持っている代表的な茶室の名前の「今日庵」と呼ぶらしい。(ちなみに表千家は「不審庵」らしい)

 ただこれらには少し異論がある。まず、玄室さんは正座をものすごく褒めている。(PP22-24) しかし私は、正座というと説教を受ける時の姿勢くらいにしか思えないのである。自分が正座が苦手だから言うわけではないが(いや言っているのか)、正座が苦手でもいいじゃないかと思うのは私だけだろうか。



 玄室さんは京都府師範学校附属小学校に通っている。そこから京都府立一中、そして旧制高校、帝大へ進むつもりだった。しかし父の強い勧めにより同志社に進むことになった。次第に戦時色が濃くなってくる時代。文系の学生の徴兵猶予が取り消しになり、彼も海軍航空隊に入る。そこで親友となる俳優の西村晃と知り合う。二人とも特攻隊で散る命のはずが、玄室氏は、出撃命令が出ず、西村氏は出撃したものの不時着して命を拾った。本書にはその頃の話が多いが、戦争の記憶というものは、一種独特なもののようだ。数年前に亡くなった私の父も少年兵として招集されたが、よくその頃の話をしていた。

 ひとつ面白い記述がある。玄室さんの同志社予科時代のことだ。馬術部員だったので、練兵場で馬を馴らす役目を与えられていたが、厩当番の下士官は学生たちに怒鳴り散らしていたらしい。

位の低い兵隊は、学生たちに対しては居丈高に威張り散らす人が多いのです。(p65)


これはよく聞く話だ。たぶん兵隊の学生たちに対するやっかみもあったのだろう。本当に品性の低い連中は救いようがない。しかし、これは上層部の兵隊がまともということにはならない。神風特攻隊や回天などで多くの有望な若者を無駄死にさせたのだから。

 その他、大徳寺での修業時代の話、アメリカでお茶を紹介した話、自身の結婚の話などなかなか興味深いものが多い。

☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

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