チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

醤油醸造所

2013年08月20日 | 日々のこと

曇り、25度、92%

 何かの拍子に、そう、角を曲がった途端に今までと違う匂いがしたり、家と家の隙間に吹く風の匂いに、急に昔の匂いの記憶が甦ることがあります。もう随分と匂っていない匂いです。それがどこの匂いなのか、何の匂いなのか、すぐには解りません。目を閉じて、その匂いから甦る様々な風景を辿っても、まだたどり着けずにいます。不思議なことに、ちょっと忘れていると、あー、そうだった、あの匂いだわ、と思い出します。

 昨日、頭の中を巡っていた匂いの記憶は、醤油の醸造所の匂いでした。私の育った九州の福岡は、街の中に幾つか大きな醤油の作り元がありました。同じような作りで、高い板塀で囲まれた大きな敷地、これまた高いれんが造りの煙突が立っていて、醤油の木樽が大きいので、建物自体の屋根も高かったように記憶しています。

 私が通った小学校の隣の敷地が醤油の作り元でした。玄界灘の浜に近く、海から風が吹く日には、海の匂いでなく北側にある醤油の醸造の匂いがします。醤油の匂いとこの醸造の匂いは違います。日本の醤油の馥郁とした甘みを含んだ香りは、独特です。香港の醤油には、どんな高級なものでもあの奥行きが感じられません。醤油は発酵させるのですから、その過程で出てくる匂いが、醸造所の匂いです。その匂いをどう表現していいのか、納豆をもっとカラッとさせたような匂い、とでも言いましょうか。私は、その匂いが嫌いでした。煙突から煙が上がっている時は、匂いが強く感じます。恨めしく、煙突を見上げていました。

 醸造所の隣は、郵政局の官舎の3階建てのアパートでした。3階に住む友達の家に行くと、醸造所の塀の中の様子が見えます。大きな木桶と、まばらに働く人の姿です。どうしてあんな嫌な匂いがするのか子供の私は解りませんでした。ちょうど、日本の高度急成長のまっただ中の時代、その醸造所が、どこかへ、移転することになり、建物の解体が始まりました。明るい印象の建物ではありません、しかも、大きな建物です。日に日に進む解体を見ながら、もうあのにおいを嗅がなくていいという安堵感を感じていました。

 香港だって、大豆から作るみそ、醤油があります。工場で作られているに違いありません。どうして、あの匂いをふっと嗅いだのか解りません。でも、嫌いだった醤油の醸造の匂いが、あの時代、昭和30年代を背負って懐かしく私を訪れてくれました。

コメント
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