チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

永利街  香港

2013年08月26日 | 香港

曇り、25度、93%

 香港島、セントラルからやや西より、ハリウッドロードからケンロードの間に東西に走るわずか数百メーターの道が永利街です。車なんて通れません。人だってほとんど通らない道でした。斜面に向かって一列3階建ての古い建物が建っています。この一帯の開発に伴って建物の取り壊しも決まり、住んでいた人たちはいなくなりました。そうですね、6,7年前のことです。そのすぐ後にこの永利街を舞台にした香港映画が作られました。「歳月神愉」です。この映画は、香港のみならず、ベルリンの映画祭でも賞を獲得しました。香港映画らしくちょっとオーバーな演出があるものの、心温まる映画です。そこで、この古い建物を残す運動があり、取り壊しは回避されました。

  現在、ほとんど補修が終わって、デザイン事務所などが入っています。そして、カメラを抱えた若い人が週日でもやって来て、人が通らなかった道とは思えないにぎわいを見せています。

 つい3日ほど前の香港の新聞では、香港の平均所得の半分にも満たない人口が20%近くいることを報じていました。しかもその、大多数が65歳以上のお年寄りだそうです。男女とも世界で2番目に長寿の香港ですが、実態は、日本の老齢社会より厳しいものがあります。繁華街を歩いていると、腰の曲がったおばあさんたちが、ゴミ箱から紙や空き缶を拾っている姿をよく目にします。そして、そういう記事を読む度に私が思い出すのは、この永利街です。

 この永利街の古い建物に人が住んでいて、住人たち以外の人はほとんど通らなかった頃から、私はよくこの道を通り抜けていました。20年以上この道の変遷を見てきました。道の入り口には、手漕ぎの井戸のポンプがありました。日本でもほとんど見られなくなった代物です。そのポンプを使っているのを見たことはないのですが、きっと、古い建物の住人用のものと思われます。建物の前は結構広く、夕方になるとプロパンの上で、夕飯の煮炊きが始まります。ここに住む人たちは、老齢の貧しい人ばかりでした。

 一棟だけ昔のまま残っています。 これは一階に住む人の入り口です。夏には暑いので開け放されていました。天井は高く、薄暗い部屋には入り口のすぐ横に3段ベットがありました。狭い部屋で、何人もの人が生活していました。 こちらは上の階に住む人たちの玄関です。

 永利街を観光でやって来る人たちは、この建物を写真に収めると来た道を戻ってしまいます。この永利街、建物の横に小さな公園のような廣場があります。 新しく塗り直されましたが、昔からあるベンチです。この廣場を抜けると、 もう一つまだ人が住んでいる古い建物があります。 こんな薄暗い入り口から階段で上に上がります。こちらの建物は取り壊しとも観光からも、全く関係なく古びてきました。

 セントラルから西のこの辺りは、香港でも古くからの街です。この永利街に住んでいたお年寄りたちは、どこに引っ越したのかと、この道を通る度に思います。ここで生活した思い出を胸に、元気でいてくれますように。

コメント
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