チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

セルロイドの裁縫箱の中に

2012年06月10日 | 身の回りのもの

雨、29度、87%

 昨年、実家の整理をしていて見つけたセルロイドの裁縫箱。色合いがなんとも言えずにいい感じです。ところが、さてさて何を仕舞っておこうかと思うと、思いつきません。古い物ですし、何か取って置きのものを入れていたいなと思っていました。

 大きい方には、 ボビンやミシン周りのものを入れています。蓋が、少し持ち上がっているおかげで、容量が思ったより多いので助かります。

 小さい方には、   日本に帰る度、手芸用品の店をのぞいては買い集める小さなワッペンを。

 夏場に何にも模様のない真っ白なTシャツやタンクトップを買います。その胸の部分に、このワッペンをひとつ。

  ソウルに行った時買い求めた、鳥のモチーフ。ポギョの残切れで作ってあるそうです。

 香港には手芸屋が少なく、その上売っているものの質がよくありません。縫い針ひとつとっても、日本製はさびも付かず、しっかりとしています。

 2つのセルロイドの箱、色目の優しさも、軽い手触りの暖かさもほっとする感じです。

 

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オースターライザーのブレンダー

2012年06月09日 | 身の回りのもの

晴れ、27度、90% 酷暑注意報

 25年前、日本から香港に送り出した我が家の引っ越し荷物。中には、家具や本と一緒にいくつかの電化製品も含まれていました。変圧器を通せば使えます。アイロン、ミシン、ブレンダーにハンドミキサー。こちらで買ってもそんなにお高くないものばかりです。アイロンもミシンも、ブレンダーもその機能より、デザインが好きだったのです。変圧器を通すと傷みが早く、今残っているのは、ミシンとブレンダーだけ。

 天井裏にしまってあったブレンダー。 ひょんなことで引っ張りだしてきました。ここ5年ほど使っていません。オースターのブレンダーは、今でも、アメリカで一番の売り上げがあるそうです。デザインがきれいなだけでなく、氷も粉砕出来るほどの優れもの。

 我家のこのブレンダー君、我が家にやって来て34年になります。当時、お金がなかった我が家の初めての大きな買い物でした。そうなんです、これは、息子の離乳食用に買いました。 この小さなジャーは、離乳食や胡麻をすったりに使うもの。残れば、蓋をして冷蔵庫に。ほんとに便利なブレンダーです。

 バーミックスに大きなフードプロフェッサーと近頃は、トンとご無沙汰していました。

でも、見れば見るほど素敵なやつです。そこで、よく洗って、油も注して試運転。快調に動いてくれます。ほんとに34歳?

 初めての、パテやテリーヌもこのブレンダーにお世話になりました。

10段変速。何で、こんな優れものを天井裏においていたのか、不思議です。優れものというだけでなく、私には一杯思い出のある道具です。身近において使うことにします。また、よろしくね。

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黒田陶苑からの手紙

2012年06月08日 | 日々のこと

晴れ、27度、92%

 香港に住んで25年。食べるものに関しては、日本のものは、銘柄をとやかく言わなければ手に入れることが出来るようになりました。ウェッブでの買い物も、もう当たり前。ほんとに便利になりました。

 それでも、純然たる日本の伝統のもの、着物や家具、和紙のもの、香のもの、そして焼き物になると、あってもどうも今ひとつ。しかも、年とともに、そういう日本のものに触れていたいと、思うようになるから困ります。

 もう10年以上になります。月に一度か二度、東京の黒田陶苑から封状が届きます。中身は、その月の催し物のパンフレットです。

 焼きものを扱っているお店ですから、花器や茶碗にいたるものです。作家も、物故された人も現代の人も扱っています。北大路魯山人、浜田庄司、金重陶陽、いえ、あげればきりがありません。

  志村ふくみさんの裂の展示のパンフレットです。

 もちろんこうした作家のものは、お値段の方もお高いのですが、パンフレットの中に入っている値段表を見ながら、ん~、これなら買えるわ、などと思ってみています。

 日本のものを身近に感じる喜びもありますが、あまり興味のなかった焼き締めのことなど、本当に勉強になります。 以前のようにあれもこれも欲しいと思わなくなってきましたが、鼠志野の盛り鉢や黄瀬戸が側にあればと思うこともあります。

 近くに住んでいれば、展示の度にお店に寄せてもらい、本物を手に取ることも出来るでしょうが、こんなに離れた所で、いい写真を楽しませてもらっています。

 15年ほど前に小さなものを求めてからのお付き合いです。よくも忘れずに海外にまで、送ってくださることに感謝しています。 先日、本の整理をした折、半分ほどは始末しました。さあ、来月はどなたの展示でしょうか。

 

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私の好きな道 香港 ピールストリート

2012年06月07日 | 香港

晴れ、27度、89%

 私の住む香港島、はじめに住着いたのは漁民、海賊たちだったそうです。穏やかな入り江に船を寄せ、その辺りに棲み始めたのでしょう。今は埋め立てが進んで平地が広くなりましたが、当時は、海際から反り上がるような、坂に沿うように住んでいたのではないでしょうか。古い町並みにはそんな面影が残っています。

 セントラルも、古くからの町です。世界一長いと言われるヒルサイドエスカレーター沿いは、今では、SOHOといい飲食、小さなブティックが軒を連ねます。このエスカレーターから一本横のピールストリート、少しばかり、古い町の佇まいを見せています。

 我が家から、変色ビルとも呼ばれているTHE CENTERを真ん前に見ながら、急な坂道を下りると、傘の修理店などがまだ残っています。この辺り、孫文が一時住んでいた場所でもあり、至る所に 孫文の記念物があります。

 セントラルの市場が、俯瞰出来る所に立つと、石の階段があります。この階段沿いに、小さな廟が。 昔、疫病が流行ったこの辺りには、大小の廟が見られます。

中国独特の蚊取り線香を吊るしたような、大きな線香が昼夜なく焚かれています。

ここの狛犬さん、なぜか一匹です。愛嬌のある顔で、我が家のパグのモモさんよりひと回り小さい狛犬さんです。

 この階段を下りきると、すぐ横の家には、 郵便受けの上に、線香立てが。角、角で線香を焚く古い習慣も見られなくなってきました。この一角を過ぎるともう市場です。この小さな廟は、残り続けるでしょうが、飲食店や流行の店が並ぶのも時間の問題です。町は変わって行くものですから。

 

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薄い薄いピッザ

2012年06月06日 | パン

晴れ、26度、90%

 冷蔵庫をのぞくと、チーズが4つも入っています。こうなると、ピッザにでもして、片付けるしかありません。4つを混ぜるつもりでしたが、カマンベールだけのピッザを試してみることに。

  ピッザの生地は、フカフカでなく、薄く薄く焼きます。この生地、ペッタンコなので、イーストが入ったないようですが、フカフカの生地より沢山イーストを使います。そして、ゆっくり冷蔵庫で寝かせます。一晩くらい置くと、生地が思うように延びてくれるのです。

 最近は野菜のピッザが多くなった我が家、 パグのモモさんにも食べてもらおうと、タマネギは入れません。

 300度近い高温で焼き上げます。生地に焼き色が付くと出来上がり。カマンベールも、中がトロトロ、外は焦げ目が付いて、なんとも香ばしい仕上がりです。

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BB クリーム

2012年06月05日 | 日々のこと

晴れ、24度、89%

 2年ぶりくらいに、化粧品を自分で買いました。私の化粧品は、家人が出張の帰りに、お土産として免税店で買ってきてくれるのです。頼んでいる訳ではありません。しかも、私などとても買わないような高価な品です。確かにありがたいことです。お礼の意味も込めて、買ってもらった化粧品がいいというと、また買ってきてくれます。それで、今まだストックがあるのです。

 化粧品売り場と美容院がどうも苦手な私です。出来ることなら避けたい。と言っても女ですから、そうもいきません。ところが、2年近くも化粧品売り場に行かなかったら、女として寂しく思うから不思議です。

 BBクリームの存在を知ったのは、4年ほど前でした。当時、まだ香港にいた友人が、いいものがあるのよと、BBクリームのことを教えてくれました。彼女は、ネットで、韓国生まれのクリームを取り寄せていました。何分にも、私は化粧品に疎いのです。香港には安売りの化粧品屋が沢山あります。そんな店で、自分に合うものを探しては使っていました。今年に入り、BBクリームがあちこちの化粧品会社から出てきました。いよいよ、家人が買ってきてくれていた、日焼け止めも底をつきそうです。かの友人に、アドバイスを。透明なのと肌色とどっちがいい?彼女は肌色、と教えてくれたので、同じように肌色を買ってみました。

 私は要するに、化粧品に関しては主体性に欠けるようです。昨日初めて使ったので、善し悪しは解りませんが、新しいものを使うときはワクワクします。

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銀線のガラスの器

2012年06月04日 | 身の回りのもの

曇り、26度、87%

 暑くなると、ガラスの器がテーブルに登場です。クリスタルのピーンとした透明感も大好きですが、クリスタルでなくても、ガラスと銀線のコントラストはなお好きです。

 20年近く前に求めた、 直径14センチの小皿です。手吹きのガラスに、手描きの銀線。イチゴを2つのせても、、水ようかんだって、アイスクリームにも使います。時には、漬け物も。

 日本橋の高島屋で、通りがかりの個展で見つけたガラスの器です。ガラスの色が透明でなく、やや、黄味ががっています。この時、一緒に、 やはり銀でかかれた魚のグラスと2周りほど小さいぐい飲みも求めました。グラスは、家人のビール用。ぐい飲みは、家人の冷酒にでもと思い。ぐい飲みは割れてもうありません。

 このガラス作家は、女性の方なのですが、私すっかり名前を忘れています。日本に帰るたび、この人のガラスの器を探しています。

 ガラスと銀、冷たく感じるのに、この作家のガラス器は、なんとも温かです。このガラス作家が仕事を続けていてくれたら、いつかどこかでまた巡り会えると信じています。

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バゲットのサンドイッチ

2012年06月03日 | パン

曇り、24度、95%

 ハムとレタスを挟んだだけの何でもないバゲットのサンドイッチ。しかも買ったのは、道の脇に留めてある、サンドイッチ屋の車でした。その美味しかったこと。この話は、もちろん香港ではありません。フランスでのことです。

 フランスですから、バゲットにしても、クロワッサンにしても美味しいのは当たり前。滅多に行くことが出来ないのですから、有名なポアラーヌなどのパンを食べてみたいと、思っていました。ところが、滅法時差に弱い家人のおかげで、朝は早くから起き、夜はまた早々に寝なければなりません。思うようには行かぬもの。

 まだ明けやらぬ町を家人と歩いていると、パン屋はもう開いていました。焼きたてのバゲットに、これまた焼きたてのクロワッサン。小さな店構え、その町の住人たちのパン屋です。もちろんお腹が空いていますから、クロワッサンにバゲットを4分の一。バゲットを切り売りしてくれました。これが、また美味しい。

 開いてているのはパン屋とカフェというより、コーヒーにタバコを売っている店ぐらいです。朝早く仕事にでる前に、コーヒーとクロワッサンを食べる人にまぎれて、またしてもバゲットのサンドイッチを頼みました。とにかく期待を裏切らない。フランスのパンでした。

 私のフランスパン、形と風味がもう少し。それでも、中のクラムはしっかり気泡が入り、美味しくなってきました。 小振りに焼いています。

 バゲットサンドを作ろうと、朝冷蔵庫をのぞくと、あるのはペラペラに薄いターキーハムだけ。ならばとパセリを摘んで、ヤギのバターでオムレツを作り、挟んでみました。

  美味しいですね。朝からよく食べます。もちろん、

  モモさんにもお裾分け。

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"A LOVESONG for INDIA" RUTH PRAWAER JHABVALA

2012年06月02日 | 

曇り、25度、81%

 ルース プラワー ジャブヴァーラという作家を知っている人は少ないかと思います。名前だけを見ると、インドの女性ですが、彼女はドイツ人です。イギリスで知り合った、インド人建築家と結婚したので、この名前です。

 私が彼女の本を読み始めたのは10年ほど前のこと。1975年に、ブッカー賞をとった

 ”HEAT and DUSUT”だったと記憶しています。ところが、なぜ本屋で、この本を取り上げたのか、その辺りトンと忘れてしまいました。それ以来、昨年出版された"A LOVESONG for INDIA"まで7冊の本を読みました。この新刊を書いた時、彼女は84歳。

 作家としてジャブヴァーラを知らなくても、脚本家としての方が馴染みがあるかもしれません。 監督ジェームス アイヴォリーと組んで、”眺めのいい部屋”、”ハワーズエンド”などでオスカーをとっています。私が脚本家としての彼女を知ったのは、最近のことです。彼女が本を書くきっかけになったのは、結婚して、移り住んだニューデリーでの生活です。インドのことが、真ん中に据えられた作品が多い中、最近の作品は、彼女のドイツ人としての回顧のものも見られます。

 20年住んだ、ニューデリー。今ではニューヨーク、ロンドン、ニューデリーでの生活を楽しんでいるようです。もちろん、それ以来は、ヨーロッパのこと、アメリカの話も出てきます。  “East into Upper East". "MY NINE LIVES"

  イギリス人でない白人のジャブヴァーラが見たインドは、彼女の深い所にしっかりと根付いているようです。

  “Three Continents"             "Out of India"

 

   "In Search of Love and Beauty"

 

 今年、85歳のジャブヴァーラ、新しい本が読めるか、気がかりです。

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香港のケーキ屋さん

2012年06月01日 | 香港

晴れ、25度、86%

 20年以上前の香港、独立したケーキ屋さんは、ホテルのケーキ売り場くらいのものでした。ケーキは、町のどこでも買えました。パン屋がケーキも売っています。ロールケーキだとかエッグタルトとか、当時の値段で、香港$1以下ですから、安いものでした。しかも、バタークリームなんて、塩味のマーガリンで出来ています。なんともレトロな味で、私は、地元のパンもこんなケーキも大好きです。

 独立したケーキ売り場は、ペニンシュラホテル系のケーキ屋と日本のイタリアントマトが長くやっています。ここ5、6年びっくりするほどに、ケーキ屋さんの質が向上しました。フランス、日本、イタリア有名どころがこぞって、大きなモールにお店を出しています。

     

 どれがどこのお店か、解らなくなりましたが、ショーケースは、まるで宝石箱のようにきれいです。日本に帰っても、どこのケーキが食べたい、だなんて思わなくなりました。

 もちろんパン屋のケーキも健在です。見出し写真が、香港最大手のマキシムのケーキのケースです。パン屋のケーキは、未だに手頃な値段で買えます。ひとつ200円もしません。こんなにケーキ屋がなかった頃は、バースデーケーキなどもパン屋に注文します。しかも、何ポンドと言って注文するのです。イタリアからのコバも長くケーキコーナをやっていますが、初めの頃は、家に持ち帰ると、ケーキがフニャフニャになっていました。

 日本のパティシエがやっているお店もあります。先日前を通ったら、小さな店に店員さんがケースに頬杖を付いて手持ち無沙汰にしていて、入りそびれてしまいました。

  これはアニエスの喫茶店のケーキコーナーです。こういう、ケーキ屋の値段は、日本並み$40~50します。香港人、豊かになりました。

 香港のケーキやパンの質が良くなった背景には、日本の企業や個人の日本人の支えがあることを感じます。

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